CASE 4 可愛いという呪い
その朝、カーテンの隙間から差し込む光に、道重さゆみは目を細めた。
「……んー……もう……七時?」
枕元の目覚まし時計はとっくに鳴り終わっていて、部屋の空気はすでに初夏の匂いを帯びていた。まだ肌寒さが残る春が過ぎ、窓を閉め切って寝ていると、寝起きの呼吸がやや重たくなる時期だ。
布団の中でひと伸びして、天井を見上げる。
白い天井。貼りっぱなしのアイドルポスター。斜めの角度で設置された姿見の鏡。どれも変わらない、変えない、変わらないようにしている──“道重さゆみの部屋”。
「おかーさん、起きてるー?」
起き抜けの声を張る。すぐに、台所の奥から返事が聞こえた。
「さゆ、顔は洗ったの?」
「いまから~!」
ぎし、と床板が鳴る音も、毎朝の一部。
彼女の一日は、だいたい似たようなリズムで始まる。実家暮らし。家事は母がほとんど引き受けてくれている。たまに手伝うと褒められるので、そのときだけは全力で“お手伝いする娘”の仮面を被る。演技ではない。自分でも不思議なことに、その“仮面の自分”が一番、家族に愛されていると感じられるから。
──だから、かぶるのは自然だった。
洗面所の鏡の前。寝起きの顔に水をあてる。その瞬間、ほんの一瞬、鏡の奥に映る自分の顔が、誰か別人のように見えた。
ほんの一瞬だった。
それでも──心臓がドキン、と跳ねた。
「……ん、気のせい?」
鏡の中の“自分”は、ちゃんとさゆだった。いつも通り。いつも通りすぎるくらいに、何も変わらない。
でも、気のせいではない“違和”が、そこに微かに残っていた。
その日、道重さゆみはいつものように洗顔を終え、軽く化粧をしてから、家のリビングに降りてきた。
「さゆ、トースト焼けてるよ」
「ありがと。うち、ゆで卵も食べたい気分~」
「あるよ。昨日多めに茹でといたから」
「さすが~! うちのママ、ほんと優秀」
家族の中で一番よくしゃべるのは、さゆだった。
母親も姉も、そのテンションに苦笑いしながらも応じてくれる。だから、この家は平穏だった。少なくとも、外の世界と比べれば。
(でも……外に出ると、なんか変なんだよね)
誰かと話してると、自分の“顔”がずれる感覚がある。少しだけ大げさに笑って、目の端の角度を整えて、姿勢も意識する。それが癖になっていた。
学校も行っていた。高校はもう卒業していたけど、大学にも専門学校にも行かず、家事手伝い──という建前で、実質的にはニートだった。家族も分かっていて、無理には言わなかった。ただ、
(なんで……わたし、こんなに“かわいいのに”、世界のどこにも居場所ないのかな)
ふいに、そんな言葉が心の中に現れて、すぐに自己嫌悪と空虚に変わる。
昼過ぎ。スマホを眺めながら、なんとなく自撮りをした。
最近は、加工フィルターが標準だ。目が少しだけ大きく、肌は白く、頬の赤みが強調される。アプリ越しの“さゆ”は、ちょっとだけ理想に近かった。
(この子、ほんとかわいい。……わたし、じゃないみたい)
その瞬間、部屋の空気が──すっと冷たくなった気がした。
「……え?」
鏡を見た。鏡の中の“自分”が、ほんの一瞬だけ微笑んだ気がした。
でも、その笑顔は──自分が浮かべているものとは違った。
「……なに……?」
リビングの窓ガラス、スマホの画面、洗面所の鏡。あらゆる“映像”の中の自分が、どこか“別人”のように見える瞬間が、ここ数日、何度も起きていた。
怖くはなかった。ただ、気味が悪かった。
──いや、気味が悪いのではなく、“美しすぎた”のだ。
理想の自分が、そこにいる。完璧に整った目鼻立ち、どこから見ても「かわいい」と言われるはずの自分。だが、それが“現実の自分”とは乖離していると、はっきり感じてしまう。
(でも……この子のほうが、ほんとの“わたし”に近い気がする……)
“ズレ”が、さゆを蝕み始めていた。
夜。
部屋の照明を落として、ベッドに横たわる。
壁にかけた鏡が、ふと光を反射した。
その中に、“さゆ”がいた。
理想の姿をした、さゆ。
彼女は鏡の中で、まばたきをせず、こちらを見つめ返してきた。
「……あたし、かわいいでしょ……?」
さゆはぽつりと呟いた。
すると──鏡の中の“彼女”が、頷いた。
その瞬間、胸の奥に“なにか”が落ちてきたような感覚があった。響き、揺れ、ぶわっと視界が滲んだ。
そして──鏡の中から、“それ”は奇妙な音ともに現れた。
ピンクを基調にした、細身で滑らかな人型のシルエット。頭部にはティアラ状の装飾があしらわれ、目は宝石を埋め込んだみたいにピンク色に光っている。さらに全身の関節やラインには、淡く輝く音符模様やハート、鍵盤モチーフが描かれており、胸の真ん中にあるハート型のプレートはアーマーというよりも玩具のような質感だった。
しかも──
『ピピピ ピピピ ピピピ』
そんな電波音が背中にあるスピーカー型の翼から鳴っている。
明らかに人ではない。ただ“存在感”は圧倒的だった。
「あなた……さゆみなの?」
『ピピピ ピピピ』
「そっか」
さゆみは、一言そう呟くと出かける支度をはじめた。
準備が整い、向かった先はこの辺で一番しゃれたカフェだった。
そこは朝からイケてる若者が集まる社交場のような存在。
これまでずっと行ってみたいと思いつつ、避けていた場所。
『自分は可愛い』と思ってはいても、どこかその場に負けている気がして赴けなかった。
──でも、今は違う。
さゆみはカフェのドアを開け、店内を見渡した。既に席は埋まっている。
男性店員が「申し訳ございません」と、満席であることを告げ、頭を下げる。
しかし、さゆみは「あたし、こんなに可愛いのに?」と、脈絡のない返事をかえした。
──ピピピ、ピピピ、ピピピ
その背後で、もう一人の“彼女”が奇妙な電波を発している。
普通であれば騒ぎになりそうなものだが、周りには“彼女”の姿が見えていないのか、店員は困った様子で「あの、ええと、」と口ごもり、次第に頬を赤らめだした。
そして──
「わかりました。席は私がなんとかしますから」
唐突にそう言った店員は、その足で窓際の席まで行くと、そこに座る客をいきなり突き飛ばした。
「なにすんだよ!」
当然のように怒声があがる。
しかし、店員はそのテンションを上回る勢いで、
「うるさい! あの方がここを使いたがっているんだ! どきなさい!」と、まくし立てた。
客は気圧されたのか、困惑した様子で店をでていく。他の客達も唖然としている。
さゆみは鼻を鳴らし、肩越しにもう一人の自分を見た。
──これがあなたの力……ううん、あたしの力。
そう思いながら、彼女は店員に促されるまま空いた席に座った。
「ご注文があればなんなりとお申し付けください。いや、それ以外にも、お世話できることがあればなんなりと」
店員は片膝をつきながら頭を垂れ、立ち上がってからもう一度深々と礼をしてカウンターへ戻っていった。
さゆみは何気なしに窓に映る自分の姿に目をやる。
──可愛い。いつにもまして……。
ピピピ ピピピ ピピピ──もう一人の自分が電波を発している。
これは、可愛さを周囲に伝播させる力。“理想のさゆみ”を周りの人達に植え付ける力。
「ラララのピピピ──」
自然と頭に浮かんだ名だった。
「次はどこに行こうかな」
「せやな、わしのところなんてどうや?」
聞きなれない声に視線を向けると、小じゃれたスーツを着た茶髪の男性が立っていた。
「店員さん、じゃないですよね?」
「ちゃうよ」
男性はそう言って、おもむろに彼女の向かいの席に座った。
「あの、何か用ですか?」
「んー、せやな。とりあえず君の幽波紋(スタンド)をしまってくれへん? ピピピうるさいねん」
さゆみは、自身の背後を向く男性の視線を追った。
「見えてるんですか? <ラララのピピピ>が」
「当然や。なんなら、能力もわかるで。わいのスタンドはそういう類やさかい」
「スタンド……? さっきからそう呼んでるけど、なんです?」
「んー、端的に言うなら、魂と意思の共鳴からなる人の可能性の具現ってとこや」
何をいっているのかさっぱりだった。
「これは、もうひとりのさゆみなんですけど」
「はは、まあそういう解釈でも間違いではないけどな」
「ふーん。あなたは、さゆみのこと可愛いって思います?」
──ピピピ、ピピピ、ピピピ。
<ラララのピピピ>の音波が当たりに響く。
耳にした客達の視線が、さゆみに集まる。
それはまるで、憧れのヒーローやアイドルを前にしているかのような尊敬の眼差しだった。
しかし──
「可愛いんちゃうか。少なくとも平均よりは上やろ」 男は違った。
「もしかして効いてないですか?」
「いや、効いてないわけやない。けど、抗うことはできるねん」
「抗わなくてもいいのに」
「そうもいかん。ていうか、君もやで? 道重さゆみ」
「なんで私の名前を?」
「そらずっと監視してたからな」
さゆみは眉を寄せた。
「変態ですか?」
「まあ、そう言われても仕方ないかもしれんな」
「ふーん。でも、さゆみは許しますよ。あなたがさゆみの可愛さをちゃんと知ってくれるなら」
「知ってるで。見た目のわりに周りからは注目されへん。中心にはなれずやきもきしとる。ええやん。そっちの方がリアルな“道重”って感じで可愛いんとちゃうか?」
「リアルなあたし……」
さゆみは思わず窓にうつる自分を見た。
少し目が縮んだ……? 頬が膨らんだ……? なんだか野暮ったい気がする……。
「嫌だ、こんなのあたしじゃない、あたしはもっと可愛いはず」
男は眉を上げた。
「十分かわええやん。何が不満なんや? 君も抗わなあかん、君自身のスタンド能力に」
「あたしの……?」
<ラララのピピピ>が背後でピピピという音波を発している。もしかして、この音は自分にも影響が──
「せや。君のスタンドは“理想の自分”を君自身に植え付けようとしとる。いや、正確には君がそれを望んでる。それが君の願望。せやけど、“力”に溺れたらあかん。そうなった者は必ず悪道へ堕ちる」
「可愛いなら、それでもいい。可愛いって思ってもらえるなら」
「君はええやろけど、お母さんはどう思うやろ」
「ママ……?」
「せや。よう考えてみい。本来の“道重”を否定するのは、生んでくれたお母さんを否定してることになるんちゃう? 君の顔はお母さんにも似てるんやろ」
さゆみはもう一度、窓にうつる自分を見た。
確かに顔のパーツは母親に似ている。疎らな眉、少し腫れぼったい頬、歪な唇──でも、母はそれが親しみやすい。笑った顔が朝日のように温かい。自分はそれを受け継いだ。それっていうのは、ただ端正なだけよりも“可愛い”と言えるのかもしれない。人を惹き付けるのかもしれない。だから父と結ばれ、自分が生まれた。“さゆみ”が存在していること、それそのものが、この顔が可愛いという証明──
「あたしって、こんなに可愛かったんですね」
そう言った瞬間、ラララのピピピから出ている音波が止んだ。
「そうやな。わしの会った女の子のなかで三指に入るかもしれんな」
「お世辞はいいです」
さゆみは男へ向き直る。
「そんな真っ直ぐみるなや。それにお世辞ちゃうよ、見た目やない“魂”や」
言われた彼女は首を捻る。
「まあ、いつかわかる。てか名乗ってなかったな、つんく♂や」
「あ、そういえば、つんく♂さん──変な名前」
「ははは、確かにな。んで、君にはスタンドの事とか、色々教えなあかんことがある」
さゆみは黙って頷くと、つんく♂の瞳を見つめた。
そこに映る自分は、やはり最高に可愛いかった。
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