CASE 2 矛盾を演じる世界
スーパーのレジに立っていると、いろんな感情がぶつかってくる。
「ポイントカード、お持ちですか?」 「……あ、はい……(今朝、夫とケンカした顔)」 「お箸いりますか?」 「……いりません(この人、他のレジの子を見て苛立ってる)」
笑顔で接客しながら、彼女──新垣里沙は、その一つ一つの感情の“揺れ”を感じ取っていた。
別に特別な能力だとは思っていない。小さい頃からずっとそうだった。人と話すと、その人の“心の温度”が流れ込んでくる。言葉と顔の間にある“ズレ”が、びっくりするほどよく見える。
(また、うそ……)
誰かが笑っているとき、それが本当に楽しい笑顔か、嘘を隠してる仮面か、自分にはわかってしまう。
レジを打つ手を止めず、ふと、思った。
(でも、なんでだろ。自分の気持ちだけは、よくわからない)
バイトが終わると、駅の近くにある小劇場へ向かう。商店街の裏手にある、古びたレンガ造りの建物。彼女が所属する劇団『おまめ座』の稽古場だ。
「里沙ー! 今日も手伝って!」
先に来ていた団員たちが、照明の準備や小道具の整理に追われている。
「うん、わかったー」
笑顔で答えながらも、どこか“浮いている”感じは拭えなかった。
自分は、ここでも“本物”じゃない。
演技をしているとき、自分は他人になれる。でも、“演じてる自分”のほうが本当みたいな気がして、終わったあとに急に虚しくなる。
だからこそ、演じ続けたかった。誰かに認めてほしかった。 「すごいね」「上手だね」って、言われたかった。
自分の中にある“空洞”を埋めるために。
──“選ばれたい”。
その想いは、かつて好きだった人にも向けられていた。
(でも、叶わなかったな)
その人は、自分のことを最後まで「良い子」としか見てくれなかった。
それ以来、恋は遠ざかった。 誰かを好きになるよりも、「演じてる自分」が“誰かの理想”でいられるほうが楽だった。
その夜、稽古が終わったあと。
照明を落とした劇場のステージに一人立って、誰もいない客席を見つめていた。
「……誰か、あたしを見て」
思わず漏れた独り言が、劇場の暗がりに吸い込まれていく。
そのとき──
ステージの照明が一灯だけ、ふっと点いた。
「え……?」
背後の舞台幕が音もなく揺れた。風もないのに、ステージ全体が“息をしている”ような、奇妙な感覚。
そして、
「私はずっと見てたよ」
ステージに響く声。
音響設備をつかったエコーとはまた違う。ステージそのものが語り掛けてくるかのような奇妙な感覚。
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
まるで撫でるような物言いと共に、舞台幕から突如、手が生えた。その手が伸びて新垣の肩を掴む。
「きゃっ!」と声をあげて振り返ると、舞台幕からは手だけではなく、胴や足、顔が生えてくるところだった。
まるで“わかるやつにはわかる”モダン彫刻を見ているかのような気分。とにかく完全に理解の範疇をこえていた。
しかも、生えてきた人間は、見知った顔だった。
劇団仲間のひとり──小川麻琴。
「なに、なに、どういうことなのまこと。いま、どこからでてきた──ううん、なにも言わなくていい、なんかの見間違えだよ」
自分を説得するかのように新垣はまくし立てた。
「慌てないでガキさん。ガキさんにも見えるでしょ? あたしの“スタンド”」
「……ス、スタンド!? なに言ってんのまこっ──」
言いかけたところで彼女は言葉を飲み込んだ。
小川の身体に、細い人型の“なにか”が絡みついている。全身が網タイツのような柄で、いたるところに〇や△や□、☆や◇といったカラフルな図形のマークがあしらわれている。
「ほら、やっぱり見えてる。ガキさんは、ずっとこっち側だと思ってた」
「こっち……側?」
「そうだよ。自分が他とは違うって感じてたんでしょ?」
新垣は押し黙った。その通りだからだ。
「言わなくていいよ。スタンドはまだ使えないみたいだけど、見えてるってことは波紋共鳴はあるはず。あたしたちの仲間になるなら、スタンド能力の覚醒も手伝ってあげるよ」
「それになんの意味があるのさ。仲間は劇団のみんなでしょ」
小川は首を横に振る。
「違うよガキさん。世界は二つに別れてる。あたし達みたいに使える側と、それ以外。なんで、優秀なあたしたちが我慢して力を押えなきゃいけないの? ガキさんも感じてるでしょ」
そう、感じている。
人の言葉と、心の内にある本音は違う。人間はみんなズレている。この世界には嘘つきしかいない。劇団の仲間だって、実際は誰も本音を語っていない。「今の演技よかったよ」なんて言っていても、それを言った者から濁った赤い怒りの色が見えたりすることもある。理由はわからない。でも本音じゃないことはわかる。そして、いま目の前にいる小川麻琴が嘘を言っていないことも──
彼女から出ている感情の色は、澄んでいる。言葉と感情が一致している証拠だ。でも、だからこそ恐ろしい。
新垣はズレのない小川を見て、心底そう思った。まるで欲望というナイフを首に突き立てられている気分だった。
「ごめん、まこと。私は、私のままでいい」
「どういうこと? ガキさんも暗黒教に行けば、あたしみたいに生きやすくなるよ」
「余計に遠慮しとく。だって、人って矛盾している生物でしょ。矛盾がないってことは、本能のままに生きるってことじゃん。そんなの獣と同じじゃない。誰かを憎いって思ったら憎んで、誰かを邪魔だって思ったら排除して、そんなの心がないのと同じじゃん」
「……はあ、ガキさんはそんなに頭は良くないんだから、難しく考えなくていいのよ。それに、それこそあたし達の望む世界じゃないの。見てほしいんでしょ? じゃあ、その欲望のままに人を支配して見させればいいじゃない。見なきゃ殺すって脅してさ」
新垣は一歩後退る。
「私は、そ、そんなの望んじゃいない。私を見てくれる人がいつか現れればいい。それに、見たくない人を振り向かせられるくらいになりたい。そう、私は誰かを支配したいんじゃない、私は、私を見せたいだけ!」
決意するように彼女が強く語ると、突如、照明が明滅し、すべてのライトが消灯した。
同時に、月のように淡い光が、そっと彼女の背に降りた。
それは仮面のような顔をした存在だった。硬質な白い仮面の奥で、黄緑色の光が細長い目から漏れている。肩から細身の肢体にかけて、まるで舞台衣装を思わせるような柔らかな意匠。背中には薄く光る紋様が浮かび、動くたびに空気がわずかに震えていた。その紋様は、まるで感情の波のように、ごく微かに変化し続けていた。
「……スタンド」
小川が呟く。
「そうなんだ。これが、スタンドなんだ」
新垣はそっと自身の胸の真ん中に手を置いた。
すると頭のなかに自然と映像が浮かんだ。
今日、挨拶を交わした劇団の後輩。彼女はこちらを疎ましく思っている感情の色を出していた。その理由が映像になって見えた。自分が彼女の役を取ったからだ──
次に見えたのは、今日、劇団の前を通りすがった男性の笑顔。その人は、悲しい出来事があった感情の色を出していた。喋ったことすらないあかの他人なのに、それがどういう出来事だったのか、映像が浮かんだ。溺愛していた愛犬が、その日の朝に息をひきとったらしい──
まるで感情の色と、その変化から相手の記憶をプロファイリングしているみたいだ。ズレがズレじゃなくなっていく気がした。
人は、矛盾を抱えているからこそ人なのだ。“嘘”も含めて、その人達の真実──
「まこと、私はやっぱり私のままでいいよ。私は、この矛盾した世界が好きなんだと思う。みんな誰かを演じてる……それって素敵じゃない? 舞台みたいでさ」
「そっか……残念。出来れば敵にはなりたくない。だから、スタンドで“使えない側”を守ろうなんて考えないでね」
小川はそういうと舞台幕に手を当て、自身のスタンド<ここにいるぜぇ!>の力を行使した。彼女の身体が吸い込まれるように舞台幕の中に沈んでいく。
「ばいばい、ガキさん」
「……ばいばい、まこと」
異様な光景と共に消えていく小川を、新垣は引き止めなかった。
矛盾のない彼女を引き止めることは、きっと今の自分には出来ないと思った。
そうして、その日を境に、新垣里沙のみる景色は変わった。
街ですれ違う人の“声にならない声”が、胸の奥に届くようになった。表情を作っても隠しきれない葛藤、諦め、希望、嘘。それがはっきりと感じ取れるようになった。
小川とのやりとりのなかで現れた“力”が、それを感じ取って拡張してくれている。
「スタンド……<ミスター・ムーンライト>」
その名前が、なぜか自然と浮かんだ。名乗られたわけではない。だけど、自分の中にそう響いた。
これは“こころの温度”に触れる力。そしてそれは決して攻撃的なものではなく、ただ、まっすぐに“理解”しようとする力だった。
同時に──誰かが「行動する直前」の一瞬の迷いや戸惑い、怒りや恐怖の“発火点”を感じ取れるようになっていた。それは演技ではつくりだせない“生きた動機”だった。
ずっとズレを抱える人々がわからなかった。彼等のなにを信用していいのかわからないと思っていた。でも、ようやく自分も誰かをわかってあげられる側に立てた気がする。
新垣は劇団へ向かう途中の信号で足を止めた。
「こちらが理解しようしなければ相手も理解してくれない。誰かに見てもらえるのを待っていてもしかたがない。自分から歩み寄って、感じて、受け止める」
それはきっと傍からすれば“おせっかいな人”なのかもしれない。でも、いいのだ。それが私のやりかたなのだから。
「君、えらい成長したな」
そう、後ろから声をかけられ振り向くと、こじゃれたスーツを着た茶髪の男性が立っていた。
「あの……会った事ありましたっけ?」
「いや、こうやって対面で話すのは初めてや。けど、君の事はずっと監視してたで」
「か、監視!? まさか、まことの言っていた──」
「暗黒教か?」
男の言葉に新垣は頷いた。
「いや、ちゃうよ。わしは、つんく♂とでも呼んでくれや。暗黒教とは一応敵対してる側や」
「敵対……まことと?」
「ん? ああ、小川麻琴か。暗黒教のメンバーのひとりや」
「なんなんですか、その暗黒教って。まことはそんなところに所属してて大丈夫なんですか?」
「せやなぁ。詳しい話、聞きたいか?」
新垣は頷いた。同時に<ミスター・ムーンライト>を顕現させて、つんく♂と名乗る男の感情の色を探った。
「なんや、それが君のスタンドか」
「見えるんですか?」
「まあな。わしもスタンド使いやから」
嘘は言っていない。でも、何か隠している。そんな色が見てとれた。
「……話を、聞かせてください」
「そうこなきゃやな。ほんなら、そこの茶店にでも入ろか。わしのおごりやで」
そう言ってつんく♂が喫茶店の方へ歩いていく。
新垣は眉を寄せると、その後に続いた。
[つんく♂レポート]
・スタンド名:ここにいるぜぇ!
・タイプ:人型
・波紋共鳴:不明
・スタンド詳細:細身の人型で、網目状を基調とした肌にカラフルな図形が無数にあしらわれている。
平面の中に入って移動することができる。
現在わかっているのはそれだけである。
破壊力:不明 スピード:不明 射程:E 持続:不明 精密動作性:不明 成長性:B
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