ハロの奇妙な冒険~プラチナは砕けない~

UP-FRONT NOVEL

目覚めの刻

CASE 1 悪運に憑かれた女

 朝の空はどこか霞んでいて、東京の街を薄い灰色が覆っていた。梅雨の入り口のような、湿気を含んだ空気。高橋愛は薄手のカーディガンを羽織って、駅までの坂道を足早に歩いていた。

「間に合うかな……」

 今日の撮影は朝イチの現場だった。都内の某スタジオで、地上波バラエティの再現ドラマのワンシーン。まだ知名度もない自分にとって、こういう小さな仕事もチャンスだと思っている。

 でも──

「……アクションシーンならな」 口をついて出た。

 子供の頃から運動は得意だ。それに──

 高橋は踏切の手前で足をとめる。

 カンカンカン! と、甲高い警告音が鳴り始め、バーが下りてきた。

 電車が轟音をあげて通り過ぎていく。

 もしもいま、ここに飛び込んだとしたら、──“悪運に愛されている”自分でも、生きてはいられないだろう。

 そんな馬鹿げたことを考えていると、ふと、空気が止まる感覚を覚えた。

 電車の音も、車の音も、人のざわめきさえも遠のいていく。まるで何かが抜け落ちたような、世界が音を忘れたかのよう静寂の世界。

 だが、すぐに電車の通過音が耳の奥をついてきた。

「……また」

 高橋は少し顔をしかめた。

 こういうことが、最近たまにある。音が消える。景色が揺れる。自分だけがそこに取り残されたような感覚。最初は気のせいだと思っていた。けど、同じような感覚が何度も起きると、さすがに無視できなくなる。

 だけど、それを誰かに話す気にはなれなかった。バカみたいだし、第一、説明できない。言葉にしようとすると、自分が自分でなくなる気がした。

 結局、その日も何事もなかったように踏切を渡り、スタジオに向かった。


「OK、じゃあもう一回入りまーす!」

 現場は相変わらずの慌ただしさ。カメラマン、照明、音声、それぞれのスタッフがせわしなく動き、演者たちも床に貼られたマークの位置を確認していた。

 高橋の出番はまだ先だったが、立ち位置の確認と簡単なリハーサルのために現場に入っていた。女優と言えるほどの台詞はなく、数秒だけ笑顔で振り返る──ただそれだけの役。

「……え、これだけ?」

 台本をめくりながら小さく呟く。

 でも、それでもいい。目に留まれば次に繋がるかもしれない。そう信じて、ここまでやってきた。

 撮影が始まる。照明が点灯し、カメラが回る。

 すると、、また“あれ”が来た。

 音が、消えていく。

 いや、遠ざかっていくと表現した方が正しいのかもしれない。すべてが水の中にいるように、鈍く、遅く、歪んでいく。

 そんな中で、金属が擦れるような音が聞こえた。

 照明の支柱が、きしむ音だった。

 瞬間、高橋の体は動いていた。両腕を交差させて顔を庇う。

 そこへ、

 ──ドンッ。

 照明の鉄パイプが落ちた。

 周囲のから悲鳴があがる。

 当然の反応だった。

 直撃すれば骨の一本くらいは確実に持っていかれるほどの重量と衝撃。

「大丈夫ですか!」

 ざわつく周囲の人を押しのけ、男性スタッフのひとりが駆け寄ってくる。

 高橋はハッとしたように痛がる“フリ”をした。

 痛くないわけではない。ただ、大したことはない。だって少し擦りむいただけなのだから。

 昔から、躓いて転んだくらいじゃ傷はできない。今みたいに、それなりに大きな事故だったとしても、少し擦りむいたり、切ったり、酷くても打撲や大きな擦り傷がつく程度ですむ。

 悪運が強い──いや、愛されている。ある意味、呪われていると言った方が良いのかもしれない。だから、踏みきりの前ではいつも考えてしまうのだ。

 悪運さんはどこまで仕事をしてくれるのだろうか、と。 

 高橋はとりあえず、救急車を呼ぼうとするスタッフに大丈夫だと告げた。

 すると「運がよかった」と言われた。

 何度、このセリフを聞いたことか。

 彼女は内心で、やれやれと頭をふった。


 帰り道。傷を絆創膏で覆ったまま、人気のない路地を歩く。

 誰もいない夕暮れ、音がまた薄くなる。高橋は足を止めて、ゆっくりと目を閉じた。

 運がよかった、か。

 でも、今回はそれだけじゃない。身体が自然と動いていた。まるで鉄パイプが落ちてくることを、遠退く音の中で、誰かが教えてくれたみたいだった。

「私を呪っている悪運さんかな」

 冗談めかした独り言──の、はず。

 今、高橋は身体の奥に自分の鼓動ではない何を感じていた。

 心臓よりも深くにある“何か”が、震えている気がした。まるで呼びかけるような、合図のような震えだった。

 それから数日、高橋は自身の身体の異変に気づき始めていた。階段を駆け上がるときの脚の軽さ、重い荷物を持っても感じない疲労感。鏡に映った自分の瞳の奥に、見慣れない何かが宿っている気がする。

「本当に呪われてるのかも……」

 だが、それを“怖い”とは思わなかった。むしろ、彼女は確信していた──これは偶然なんかじゃない。ずっと前から、自分の中にあった、と。

 その日の夜。

 布団に入り、ぼんやり天井を見上げているとスマートフォンが鳴った。知らない番号からだった。

 スタジオでの事故以来、必ず同じ時間に電話がかかってくる。

 マネージャーに言うとストーカーなんじゃない? と言われた。

 まったく売れてない自分に? と、その時は返した。

 本当にそうだとしたら──

「まさかね」 高橋は手に取ったスマホを枕の横に戻した。

 呼び出しのコールは、いつもきっかり20秒で切れる。今回も20秒我慢すればいいだけだ。

 案の定、コールは切れた。

 ふう、と息をついて彼女は目を瞑った。

 するとふと、人の声のようなものが聞こえた。閑静な住宅地なので、外の音も多少は聴こえたりはするが──流石に普通の会話程度では部屋までは聞こえてこないはずだ。

「……けて」

 またそんな女性の声が聞こえた。

 聞き間違いではない。

 高橋は布団から出るとベランダから外を見た。

 パーカーのフードを目深に被った男性が、キャップを着けた女性を電柱に押さえつけている。

 二人の顔までは確認できないが、合意ではなさそうだった。

 そして、

「助けて!」

 と、女性の叫び声が聞こえた。

 間違いない、キャップを着けた女性の声だ。

 早く助けを呼ばなければ──

 しかし、警察に通報しようとした手が止まる。

 通報したとして、どのくらいで助けはくるのだろう。間に合うのか? いや、間に合わない。

 高橋はベランダから身を乗り出した。人通りがまったくない。時間帯を考えれば当然だ。周りに住む人たちは? 自分以外、気付いていないのか……。

 考えている暇はなかった。

 彼女はクロックスを履き、そのままの格好で駆けだした。

 ──なんだ? 体が、異様に軽い──

 気付けば、正面数メートルのところに女性を襲っている男の後姿を捉えていた。

 どうやって、ここまで移動した……走っただけ……でも、明らかに速度が──

 そんな事を考えながら、高橋は男性へ「やめろ!」と怒声を浴びせる。

 すると男は直ぐに行為をやめてこちらを振り向いた。

 その顔に、高橋はぎょっとした。見たことがある……この人は確か──

「やっと会えましたね」 男がフードをとった。

「あなた……あのスタジオにいた……」

「覚えててくれました? 全然電話にでてくれないから、きちゃいましたよ」

 そう、この男は、あのスタジオの事故の時に『大丈夫ですか!』と真っ先に駆け寄ってきてくれた男性スタッフだった。

「あなたが……あのいたずら電話を……なぜ──。いや、それよりも女性を放して! はやく!」

「ん? ああ、この子はいいんだよ。だって今からこの子は君になるんだから」

 男はそう言うと、女性の顔を見るよう高橋に促した。街灯の明かりが、キャップを取った女の顔を映しだす。 

 それを見て、高橋は思わず出そうになった声を飲み込んだ。

 そこにあったのは、自分の顔だった。

 いや、よくみれば背丈も体格も自分とそっくり──“そのもの”といってもいい。

「あー、やっぱり怖くて固まっちゃうよね。そうだよね~。今までもそうだった」

「今まで……意味がわからない。なんですか? もしかしてドッキリ番組かなにかですか? だとしても全然わらえませんよ。こんな夜遅くに。いくらなんでも、たちが悪すぎます」

 これに男は声をあげて笑った。

「ドッキリ番組に出られるほど君はまだ売れていないだろう? でも、安心して良いよ。僕が君を、売れさせてあげるから。でも、そのためには君に死んでもらわなきゃならない。君が生きてると、“僕の君”が完全な君になれないんだ」

 高橋は頭がおかしくなりそうだった。目の前に無表情の自分がいる。男の発言から察するに、彼は自分を殺し、かわりに目の前の彼女を“高橋愛”にするつもり──ということ。考えれば考えるほど頭がおかしくなりそうだ。

「その女性は、人形なの? わたしを殺して、魂を人形に移す……黒魔術みたいなことを言っているの──」

「黒魔術? そうか、まだ使えないのか。あの事故を見て、てっきり君も“使える側”だと思っていたよ。<波紋共鳴>の段階で止まっているようだね……困ったな。覚醒前のスタンド使いの場合どうなるのか」

「使える側? 波紋……スタンド?」

「まあいいや。試してみればわかるか。僕のスタンド<ラブマシーン>の生贄になってもらうよ」

 男が言い終わると同時、目の前の自分が飛び掛かってきた。

 よく見れば、手に包丁を持っている。だめだ、体が動かない──逃げられない。

 そう思った。しかし、直ぐに異変に気付いた。

 音が遠い。相手の動きが遅い。

 高橋は飛び退いて、ドッペルゲンガーの振う包丁を躱した。

「殺されるわけにはいかない。どこの誰かもわからないあなたなんかに、私の命はあげないわ!」

 人を殴ったことなんて一度もない。でも、自然と身体が動いた。

 高橋の拳がドッペルゲンガーの胸を打つ。

 その衝撃で、もう一人の自分が1メートルほど後方へ飛んだ。

 それに合わせて、何故か男は胸を押えて蹲る。

「馬鹿な……君はスタンドを出していない。なのに、僕のスタンドにこれほどのダメージを与えるなど……波紋共鳴の影響か──本体が強くなるなんてレアだな。余計に君もろとも君のスタンドが欲しくなったよ。さあ、ラブマシーンよ今ので覚えただろう、高橋愛の能力の一端を」

 男の言葉に応えるように、目の前の自分が頷く。そして、また飛び掛かってきた。

 ──速い!? 

 躱しきれずに、高橋は両腕で顔を庇う。

 そこにドッペルの包丁の刃が走った。まるで腕ごと首を落とさんばかりの勢いだった。

 腕から血が零れる。

「頑丈だね。あきらかに人の域じゃない。それも君の波紋共鳴の影響か。僕のラブマシーンも学習したはずなのに、それでも致命傷を与えられないなんてさ」

 高橋は痛みで顔を顰める。凄く痛い。でも、おそらく傷は深くはない。指は動く。神経はやられていない。運がいいのか悪いのか……ただ、次はきっと庇いきれない。この状況──私って、本当に呪われてる?

 男の合図に合わせて、ドッペルゲンガーが無表情まま大きく包丁を振りかぶる。

 高橋は眼前に迫る切っ先を見つめながら胸の真ん中で唱えた。

 ──悪運さん、もうどうせこれが最後なんだから、せめて一度くらい顔をみせてくれてもいいじゃない。

 そして、額に刃が刺さる──と、男も、高橋すらも思っていた。

 が、包丁は彼女のおでこにふれる寸前で止まっていた。

 いや──止められていた。

 それは、身長が優に2メートルを超える。全身は白を基調とした筋骨隆々な体躯で、まるで彫刻のように完成された肉体美を誇っていた。胸の中心には太陽のようなシンボルが埋め込まれており、そこから放射状に無数の黄色いスリットが全身へと走っている。手首、足首、腰にはごつく重厚な金属の輪がはめられており、存在そのものが“力の具現”のようだった。

 そしてそれが、高橋の背後から風を押しのけるように現れ、包丁を持つドッペルの腕を掴んでいた。

「やっと、顔を見せてくれた」

 高橋は身じろぎもせず、ただただもう一人の自分の目に映る“力”を見据える。

「スタンド!? 覚醒したか! ラブマシーン!」

 男が叫ぶと、ドッペルがもう片方の手で高橋を殴りつけようとした。

 しかし、彼女の“力”が、その拳を軽々と受け止める。

「すごい。思った通りに動いてくれるんだね悪運さん──」

 いや、違う──自分のなかにいたこれは、悪運なんかじゃない。本当は、ずっとわかっていた。今までずっと守ってくれていたことを。そして、今ならよりわかる。これは私自身。もう一人の自分。目の前にいるニセモノとは違う。これが私の──

「<マンパワー>」

 自然と呟いていた。自身の名を──“力”の名前を。

「クソッ!」と、男が呻く。

 高橋は「いくよ!」と言って、駆けた。

 <マンパワー>がドッペルから手を離し、拳を振り上げる。

 そして、高橋の平手が男にヒットすると同時、マンパワーの前腕がドッペルの肩口に落ちた。

 男は白目を剥いてバタンッと倒れた。

 後方を確認すると、もう一人の自分は消えていた。

 そこには力の具現──<マンパワー>が佇んでいる。

「これからはずっと居るの?」

 高橋が訊ねると、その姿が薄くなっていき煙のように消えた。

 高橋はそっと胸の真ん中に手を当てた。

 居なくなったわけじゃない。今まで通り、ずっとここに居る。

「ありがとう」

 告げてから、彼女はハッとした。

 もしかして、男のことを殺してしまったんじゃないか、と。

 しかし口元に手を当てると、呼吸はしていた。顔と肩が変形している以外は無事なようだ。無事といっていいのかはわからないが……。

「運がよかったね」

 高橋は救急車と警察を呼ぼうとスマホを手に取った。

 すると、

「ああ、やめとき」という声と共に、交差点の影から男性が現れた。

 茶髪で、男性にしては少し髪が長い。スーツ姿だがサラリーマンには見えない。制服として着ているというより、オシャレとしてきている。どこかそんなこじゃれた雰囲気があった。

「誰、ですか」

「誰って、まあ、つんく♂とでも名乗っとこか」

「つんく……さん? もしかして今の、見てましたか?」

「ん? そら当然や。高橋愛、君のことはずっと監視してたんやからな」

「監視? 私を? 何故?」

「なんや、ごっつい質問多いやん。まあ、そりゃ君が幽波紋(スタンド)に目覚める可能性があったからや」

「……スタンド。そこの男も言ってた」

「せや。そいつもスタンド使いや。“悪い”やけどな。君は“善い”や。そうやろ?」

「……わかりません。何がよくてわるいのか」

 これに、つんく♂と名乗る男は後ろ頭をかいた。

「君は見ず知らずの女性のために、危険を顧みず助けようとした。もしかしたら自分が襲われるかもしれへんのに。違うか?」

「それは無我夢中で。それに襲われている女性なんていませんでした。スタンド? ってやつで」

「おう。それは君よりようわかってるよ。けど、部屋を飛び出した時はそうは思ってなかった。ただ一身に女性を助けようと思ってた。やろ?」

「……はい」

「ならOKや。君は善いスタンド使い。わしのお墨付きや」

「はあ……」と、高橋が困った顔をしていると、つんく♂は親指で倒れている男を指した。

「こいつの事はわしに任しとけばええ。それより、もっと詳しく知りたいんとちゃう? スタンドのこと、君を監視してたこと、わしがなんでそんなスタンドに詳しいか、こちらの目的とかもろもろ」

「訊いたら答えてくれるんですか?」

「全部やないけど、な。五人揃ったら全部いうたる」

「五人?」

「ああ、せや。ま、とりあえずはスタンドのことについて教えたる。ほな君の部屋いこか」

「え、部屋にあがるんですか?」

「なに警戒しとんねん。今の君はスタンドあるんやぞ。なんかあってもわしなんてワンパンやろ。まあ、なんもないけど」

 つんく♂はいたずらっぽく笑い、高橋の住むマンションの方へ歩いて行った。

 高橋は意を決したように頷き、後に続いた。


[つんく♂レポート]

・スタンド名:ラブマシーン

・タイプ:無形型

・波紋共鳴:触れた相手の情報を、触れた時間に比例して知ることが出来る。

・スタンド詳細:基本ビジョンは存在せず、使い手の欲望と=の状態で存在する。

知っている対象の情報量に比例して、その対象の精巧なコピーを作り出す。コピー元の本人を殺害することで、ドッペルゲンガーと化したラブマシーンは、使い手に忠実な“本人”と成る。もしもコピー対象がスタンド使いであれば、『本人』となった段階でスタンド能力すらも完全にコピーして得ることが出来る。

破壊力:─ スピード:─ 射程:─ 持続:∞ 精密動作性:─ 成長性:A

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