【第三夜】宝償箱
一色
episode1.
その頃の私は宝石や時計を取り扱う宝飾店で働いていた。働き出して二年が経とうとしているが、お店に行くのは毎日憂鬱だった。
店長は優しい人だし、同僚たちともそれなりに良い関係を築けている。仕事も好きだし、これといった不満はない。
それでもどうしようもなく足が重いのは、とても恥ずかしくて情けない理由…。
――毎月のように、何かを『盗んで』しまうからだ。
始まりはたった一本のボールペンだった。お店で借りたものを返し忘れた、それだけのこと。次の日にでも「昨日間違えて持って帰っちゃって」と返せば済んだ話だ。
しかし、あの日から何かが狂った。たった「それだけのこと」がきっかけで、私は一年も抜け出せずにいるのだ。
盗むものは何でもよかった。
可愛いから、使えるから、価値があるから、だからそれが欲しいという訳では無い。ただ、そこにあったから。
備品のクリップ、窓際の砂時計、誰かの置き忘れたヘアピン、廃棄予定の宝石の欠片、折れた小さなネジ、床に落ちていた時計の秒針――。
持ち帰ったものはクッキーの空き缶に詰め込んでいるが、それを眺めて楽しむ趣味はない。缶の蓋を開けるのは、また新しい何かを持ち帰った時だけだった。
盗む瞬間、胸の奥で“カチリ”と音がする。
汗ばむ指先でそれを掴んだ途端、脳のどこかが痺れるように静かになる。持ち帰らなければ息が詰まる。置いて帰るくらいなら、いっそこの場で粉々に壊してしまいたい。そんな衝動に支配される。
抗おうとしても、それの感触や輪郭をなぞるように手に取った瞬間のことを何度も何度も思い出してしまう。胸の奥であの音が鳴ってしまえば、もう戻ることは出来ないのだ。
スリルを楽しんでいるわけじゃない、とも思う。
いつかはバレると怯え、眠れない夜もある。窃盗罪という立派な犯罪だということも分かっているし、人として最低な行いだと思う。
返さなければ、言わなければ、償わなければと何度も思いながらも、あの衝動には抗えない。
私はこのまま、もっと大きなもの――店の宝石や時計、人の荷物、お金にまで手を伸ばしてしまうのだろうか。
そう思うと、心臓がきゅっと掴まれるように痛む。
助けてほしい。でも誰にも言えない。もういっそバレてしまえば良いのに……。
ぐるぐると考えが巡るたび、ポケットに忍ばせた小さな獲物が体温で温まっていくのを感じる。
私はもうきっとここから抜け出せない。
心の奥底にいるそれは、私に抗うことも償うことも許さない。
それを心に飼ったまま何食わぬ顔で日々を生きてゆくしかないのだ。
――今日もポケットに何かを忍ばせて。
【第三夜】宝償箱 一色 @ishiki1011
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