第4話・在りし日の記憶~遠き涙~
酷く順調に、俺たちは森の中を進む。通常ならば、そこかしこに動物たちの姿が見え隠れし、子供を連れている今は勘弁願いたいが3度は魔物に襲われるものだ。しかし、今はそれが一切ない。まるで、森全体が何かに怯えているようだ。俺は、自然と警戒を強めていた。最初ははしゃいでいたドイル少年も、俺の雰囲気や物々しい森の雰囲気に気圧されたのか、今ではすっかり快活な表情は消えて、不安げなものがその顔を彩っていた。
俺たちは、会話をすることもなく目的の川に着いた。目的の物も見つかった。だが、明らかな罠が仕掛けられていた。あのウキュロイヤ草を抜けは、まあまあなダメージを喰らうだろうし、いい加減森の半ばからついてきていた視線がうっとおしかった。
「ドイル」
事前に言い含めておいたのと、この異様な雰囲気の森に口答えをすべきではないと思ったのだろう。ドイルは素直に近くの木に登って息を潜めた。それを確認してから、俺はずっとついてきている視線に呼びかける。
「なあ、俺たちをずっと見てたんだろ?いい加減姿を現せよ」
「おやおや、ヒューマンにも中々聡いモノが居たのですね」
呼びかけに答えて姿を現したのは、奇妙な生物だった。人のような姿であり、獣のようであり、軟体のようであり。気の弱いものであれば、即座にその意識を手放したであろう風貌。魔族だった。それも、恐らく高位の魔族だ。ここで戦えば、ドイルは巻き添えになる。なんだって、高位の魔族がこんな辺鄙な森に居るんだと思いながら問う。
「魔族が、どうして俺たちを見てたんだ?何の変哲もないヒューマンだぞ?」
「だからこそですよ。私は、『ヒト』を観察するのが大好きなんです。特に、危機に瀕したヒトのあがきを見るのがたまらなく楽しいのです」
「やろうってのか?」
相手の返答に、思わず臨戦態勢になる。腰に付けていた剣の柄に手をかける。勝てる確率はそう高くはない。ドイルに逃げろと告げようとしたとき、魔族はその手らしきものをぶんぶんと振って、慌てた様に言う。
「私が戦うなど、とんでもない。私は観察が趣味な魔族。戦闘は不得手でしてね。アッというまに死んでしまいます。それに、今日は貴方も『お荷物』を抱えているでしょう?全力をみられそうにありませんからね。引きますよ」
どこかで俺の全力を見たことがあるような口ぶりだった。しかし、俺の方には心当たりがない。訝しんでいると、魔族の姿が徐々に薄れていく。完全に消えかけた時、声だけが響く。
「ふふふ、いつかまたお会いしましょう。その時は、貴方の全力を、ルクタスの輝きを見せてくださいね」
一陣の風が吹き、木々のざわめきが収まるころになると、徐々に森の喧騒が復活していた。俺はそのまましばらく身構えていたが、やがて剣から手を放した。何も、自分が感知できる範囲では危険がないのを確認してから、木に避難させたドイルを呼び寄せる。
「……もういいぞ、ドイル。ウキュロイヤ草を回収して、戻ろう」
「ヴァリアス、アイツは一体なんだったんだ?」
「さあな。魔族の考えることは良く分からん」
そこからは、用意しておいたロープを近くの木に結び付け、見張りをドイルに頼む。俺は川の中に入ると、罠が張られていたウキュロイヤ草を確認する。仕掛けられていた魔法は、抜くとデカい音が鳴って、周囲の魔物を引き寄せるタイプの物だった。
「Isal u kais i isen(イサル・ウ・カイス・イ・イセン)」
俺の魔法が発動すると、ウキュロイヤ草に絡みついていた気味の悪い魔力が循環に取り込まれていく。あの様子なら、自然と浄化されていくだろう。川底の様子を見ると、いくつかのウキュロイヤ草はわざわざ別の場所から持ち込まれたもののようだった。それらを優先して抜いて持っていく。
「あのタイミングでドイルに逢えたのは、運がよかったな」
他から持ち込まれたウキュロイヤ草だけでは薬に足りない。自生している分からも3本ほど拝借して、川から上がる。ドイルは、タオルを手に俺を待っていた。
「ヴァリアス!」
「おう、ドイル。ちゃーんと必要なウキュロイヤ草は確保したから安心しろ?」
「そうじゃなくて、俺、おれ……」
ドイルからタオルを受け取って、体をふきつつ、彼の言葉を待つ。俺が体を拭き終わるころになると、ドイルは伝えたいことがまとまったのか、ぽつぽつと話し出していた。
「俺、なんで子供が森に言ったらだめって言われてるか、今回のことで良く分かったよ。こういう危ないことがあるからなんだな。それに、ウキュロイヤ草だってヴァリアスじゃなきゃ取れない。俺だったら、入って取れても川の流れが速くて岸に戻ってこれない」
だから、ヴァリアス。俺を止めてくれて、一緒についてきてくれてありがとう。そう言って泣き出したドイルをあやす。
しばらくして落ち着いたドイルは、俺が泣いたことは他の奴らには内緒な!とすっかりいつもの調子に戻っていた。
帰り道。森にはまだあの魔族の余韻が残っているのだろう。動物にも魔物にも合うことなく村へとたどり着く。夕暮れの中、村の入り口につくと、テロメアが仁王立ちになっていた。
思わず、声が漏れた。
「げ」
「あら、ヴァリアス。おかえりなさい。『げ』ってどうしたの?」
そこには、俺の最愛テロメアが実に美しく微笑みながら、その実、こめかみに怒りを浮かべて立っていた。そのあまりの怖さに俺でなくても、思わず呻いてしまうだろう。現に、同行しているドイルも引きつった表情をしている。
俺は、とんでもなくバツが悪い思いをしながら、テロメアに帰還を告げる。そして、一時撤退の申請をテロメアに乞う。
「あー、テロメア。ただいま。とりあえず、ドイルの親父さんの所に行ってきていいか?」
「どうして?ドイル君がいるのだから、頼めばいいじゃない」
分かっていたが、俺の撤退申請はにべもなく却下される。今回のお怒りは、ちょっとやそっとでは解けないらしい。長期戦を覚悟する必要がありそうだ。
「あー、うー、そのー」
俺が何の意味もないうめきしか上げられていないうちに、テロメアはその美しい顔のまま、ドイルをこの場から帰す。まあ、ドイルはドイルでご両親からの説教が待ってるんだろうが。互いに強く生きようと内心でエールを送る。
「ドイル君、ヴァリアスから薬草を受け取って、貴方のご両親のもとへ持っていけるわね?」
「へ!?あ、ああ。うん!!俺、もってくよ」
ここまで言われてしまえば、大人しく指示に従うしかない。俺は、ドイルにウキュロイヤ草を手渡す。
「お前さんのご両親によろしくな」
「うん。ヴァリアスありがとう!!」
元気に駆け出していくドイル少年を2人で見送る。その小さな背中が見えなくなったところで、とうとう笑顔を無くしたテロメアが俺に向き直る。俺は怯みながらも、テロメアの叱責を受ける構えを取る。
「さて、ヴァリアス?聞かせてくれる?『どうして私に何の相談も連絡もなく、子供と森へ行った』のかを。当然、私を納得させるだけの理由があるのよね?」
こう詰められると、ルールを犯した俺は分が悪い。言い訳にしかならないことを自覚しつつも、問いに答える。この場面では、下手な嘘をつくとよりヒートアップするからだ。怒りを収めるには、素直にその時考えていたことを伝えるしかない。
「村長には報告したし、良いかと思って……」
「おバカ。いいわけないでしょうが。子供を連れていけば、何かあったときに取れる手段が限られてくるのよ!?それなのに、自分1人でだなんて、自分を過信するにもほどがあるわよ!!何のために、森に行くときは複数人って決まってると思ってるの!!」
当然、このルールも分かっていたので叱られる。彼女の怒りは、いつも俺を心配してのことだ。ただ、それでも俺の悪癖はなかなか治らない。いつも、申し訳なく思っているが、どうしてもそうやって動いてしまう。
『1人が犠牲になるだけでいいなら、安いもんだ』と。それを、テロメアは知っているから、こうして毎回俺を叱るのだ。『容易く自分の命を軽く扱うな』と。
「……すまん」
「すまんで済んだら、裁判官なんて職業要らないわよ!!」
このいつもの台詞を聞いて、俺は心配で叱ってくれているテロメアに申し訳ないが、村に帰ってきたんだなと思う。ただ、今回は度が過ぎたらしい。
テロメアは、叫ぶと俯いてしまった。俺はそっと彼女のそばに近寄ると、ぎゅっと抱きしめる。じわりと、服が湿る。ああ、まただ。何度も繰り返してしまう。俺の悪癖だ。
「悪かった。軽率だった。……だから、泣かないでくれ。テロメア」
「……心配、したんだから。別件で森に行ったゴンドルさんとジュウ爺が、森の様子がおかしいって言ってて。周囲を探ったら、強い魔族の気配も残ってたって……」
「うん。変な魔族だったよ。俺たちを観察していたらしい」
俺の胸に顔を埋めていたテロメアは、顔を上げると涙に濡れた瞳で見上げる。そして、俺の頬を思いっきり抓る。思わず、痛みでうめく。しかし、テロメア的にはそれどころではないらしい。
「~もう!!どうしてそういう大事なことをさらっと何でもないように話すの!!村長に報告行くわよ!!」
彼女の行動が、深く愛しているからだと理解している俺は、手を引かれるまま村長の自宅へと2人で向かった。ちょくちょく、テロメアに説教をされながらも、報告を終えてしばらくは村の警戒を強めるという結論になった。実際のところ、それくらいしか対策はないともいう。小さな村では、それだってきちんとした対策の1つなのだ。
森での事を報告し終わると、陽はすっかり暮れてしまっていた。食事処へと2人で歩いている途中で、テロメアがポツリとこぼす。
「貴方があった魔族、またここへと来るのかしら……」
「また会おうとは言ってたが、どうだろうな。なんにせよ、今は飯だ。腹の減ってるときに考え事なんざ、ろくなもんが思い浮かばねぇ」
「……ふふ、それもそうね」
食事処の扉を開けると、魚が焼ける良い匂いが漂っていた。それは、現実でも。俺は、その香りに釣られて、過去の記憶から今へと意識を引き戻す。記憶をさらっている間に、約束の30分は経っていたらしい。朝食調達から戻ってきていたユーエルが笑顔で告げる。
「あ、ヴァリアス。考え事は終わりました?何度か呼びかけたんですが、返事がなかったんで、先にご飯食べてますよ。今回は、タエナが2匹も釣れたんですよ!!大漁です!」
ほくほくとした顔で、ほどよく火の通ったタエナに噛り付くユーエルを見守る。そのあどけない笑顔に、テロメアの影を見る。そして、必ず復讐を完遂すると誓いなおすのだった。
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