隕石

めが

隕石

「みんなにお別れのことば言わなきゃ」

 本気と冗談の間をふらふらするような調子で、SNSのタイムラインを適当に流し見しながらそう呟く声が隣から聞こえる。「お別れのことば」なんて仰々しい言葉をあえて使っているのだから、どうせふざけ半分なのだろう。本気であれば、テスト期間に放課後のファストフード店で教科書とノートを広げるだけ広げた挙句目もくれず、机に頬をくっつけてインターネットとにらめっこしながら時間を食いつぶすようなことはしない。

 そんなことをぼんやりと考えながらも、私の視線は裕子の方を向いてはいない。かくいう私も、先ほどタイムラインで目にした「7月5日、人類は滅亡する」などという今時映画の題材にもならないような話題はすでに記憶から薄れつつあり、頭の中は専ら視界にとらえた一人の男性に占拠されていた。


「はあ、こんなことなら早く彼氏を作っておくんだった」再び裕子の気の抜けた声が聞こえる。「作っておく、って、作ろうと思えば簡単にできたみたいな」顔は向けないまま、口だけで応対する。「なによ、私だって」

 続く文句は幾度となく聞かされたもので、店内に流れている、耳にタコができるほど聴かされてもはや嫌いになりそうなヒットチャートとともに耳の穴を抜けていく。

 視線の先の男性に意識が吸い込まれていくとともに、裕子のぼやきとヒットチャートがまぜこぜになって徐々に不鮮明に、そして遠くで鳴っているように薄れていく。


 彼は、私が意識し始めてから、つまり少なくとも小一時間は優に超える間、一度たりとも視線を外すことなく、ノートパソコンと顔を突き合わせている。

 落ち着いた紺色のジャケットのセットアップと、手入れが行き届いた革靴。派手すぎないが品が感じられ、コーディネートを引き締めている銀色の腕時計と、画面を見つめている顔にかけられている銀縁の眼鏡という、絵に描いたような“真面目”といった装いは、子連れの家族や学生たちの談笑に賑わう店内で、彼の周りにだけ見えないかたい壁を作っているかのようであった。

 きっとあの画面に映されているのは、雑多なインターネットの海などではなく、自分たちには(特に裕子のような人間には)到底理解できないような、データや数字の海なのだろう。その空気から勝手な想像を膨らませ、さらに強い引力で引き付けられていく。

 自分は俗世のくだらない流行やら噂やら、そういったセンセーショナルな、一過性の刺激に浮つくような烏合の衆とは一線を画す存在だ。思春期特有の穿った自意識を適切な時期に適切に持ち合わせた彼女は、それを彼にも重ね合わせ、引き付けられていくのだった。


 再び周囲の音が鮮明になったのは、裕子の視線が私と同じ方を向いていることに気が付いたときだった。先ほどまで机にくっついていた裕子の頬は、私の頬のにくっつきそうな位置に移動している。

「君って本当にわかりやすいよねえ」隣の口から、間延びした調子のぼやきが溢れる。「典型的な、貴子のタイプね。いかにもインテリー、カタブツー、って感じの」「うるさいな、」あんたなんかに私の何が分かるのだ。「あんたは海に溺れていればいいのよ」インターネットの海に。「え?なんで海が出てくるのよ?」

 比喩表現も理解できない裕子に呆れ、しかしこれ以上男性を見つめていることに言及されるのも癪で、開かれたままの教科書とノートに向き直り、氷の溶けたアイスコーヒーをひと口吸う。結露が垂れ、ノートにシミを作る。

「あ、海といえばさあ、」もう次の話題に移るようだ。「今回の予言、なんか隕石が落っこちるってやつじゃん。」落っこちる、とはまた呑気な表現だ。「あれ、隕石に直接ぶつかって死んじゃうってことかと思ってたの。それだったらなんか落っこちてこないところに逃げれば助かるのかなあとか思ってたんだけど、なんか違うみたいだね。」なんか、と短い間に3回も言ったな。「なんか、隕石のせいで、ほら、隕石って熱いじゃん。たぶん。だから、そのせいで北極だか南極だかの氷が全部溶けちゃって、なんかそれで津波が起こるんだか海が増えて地面が沈んじゃうんだかで、それで死んじゃうんだって」まとめサイトの情報をさらに切り貼りした下手な切り絵みたいな情報が、さらに裕子の頭と口というフィルターを通され、雑音となり耳を抜けていく。

「私も泳げないから溺れて死んじゃうなーたぶん」私はそこそこ泳げるから助かるだろうか、空にでも逃げれば助かるだろうか、と裕子の話題につられて考えそうになり、すぐに思考を振り払う。「今からでも泳ぐ練習しとけば」と言葉を適当に投げつけ、ポテトを一本つまむ。視界の端では、相変わらず彼が画面に向かって真剣な顔を突き合わせ、キーボードをたたいている。


「え」裕子がすっとんきょうな声を上げる。また新しい“情報”でも拾ってきたのか、とそちらに顔を向けることなくポテトに手を伸ばそうとしたその時、視界の端の空気が変わるのを感じた。そちらを向く。かたい壁が崩れる。そこに女性が現れたのだ。「えー」さっきよりも大げさな、こちらに聞かせようという意思を持った声色が飛んでくる。しかし、それには応じず、いや応じる余裕は無く、男性と、突如現れた女性に心臓ごと吸い寄せられる。「なんか、」裕子の声。女性は男性の向かいの席に座る。「人類滅亡って、」女性の顔を見て、男性は先ほどとは別人のように顔を綻ばせている。「デマらしい」何をいまさら、と苛立つ自分と、突然目の前で始まった天変地異に動揺する自分が混在し、鼓動を早める。「なあんだ、みんなにお別れ言えないじゃん」言いたかったのかよ、と心の中で突っ込みながら、ほぼ同時に、女性の左手の薬指に光るものが目に飛び込む。鼓動は早いのに、心臓が止まるように感じる。

「隕石、見てみたかった気もするなあ」

 聞き流しているはずなのにしっかりとその言葉を意識しながら、願うように視線を男性の左手の薬指へと移していく。

 そこにあった輝く小さな石は、そのまま頭の上から落ちてきて、心臓を貫いて体を砕いていく。



 白なのか黒なのか、どちらともつかないがとにかく一色の視界に呆然とする。男性と女性の会話が耳に流れこむ。

「え、ツイッター見た?」女性の声。「見た見た、必死に調べてたのに、デマだってさっき流れてきて」男性の声。「もう、参っちゃったよ」「いやいや、滅亡する方が参っちゃうでしょうが」二人の笑いあう声。

 そこに割って入るように、裕子の声が聞こえる。

「ま、溺れるのは恋だけでいいか。ね。」

 空の上へ飛んでいきそうな意識を何とか手繰り寄せながら、嫌な視線を感じるほうへ目を向ける。にやついた裕子の顔が、そこにある。

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隕石 めが @mega_218

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