第2話 真洞優英の打算と妥協
全く何なんだ、あいつはっ⁉
「おーい、ツキちゃーん! 一緒に部活見学行こーよっ!」
廊下から鷹嶋深桜の声が聞こえてくる。
入学から今日で五日目。鷹嶋深桜は毎日毎日しつこく私に話しかけてくるし、部活見学に誘ってくるし、やたらと一緒に帰りたがる。
鷹嶋深桜に捕まらないように、掃除が終わった後すぐ荷物をまとめて帰っているのだけれど……、今日は掃除が長引いてしまったのだ。
仕方がないから絶賛逃走中だ。
廊下をグネグネ曲がってまいた後、一旦図書室に逃げ込んだのだ。
図書室は出入りが少ないみたいだし、外から見えるような窓はない。声が遠のくまで、ここにいれば大丈夫のはず。
いや、でも。隠れる場所が安直すぎたかもしれない。
私はくるっと辺りを見回した。
「あ、あそこなら」
図書室の左奥、あの辺りなら入り口から見えないはずだ。
「これ……」
本棚の陰に隠れると、丁度目線の位置に見覚えのある本を見つけた。
『白雪姫の冒険』
手に取ると、表紙にはそう書いてあった。
確か、『白雪』という女の子が妖精にかけられた呪いを解いていくという内容の児童書だったはずだ。小学生の時に読んだ記憶がある。そう確か、四年生の時、読書感想文を書くのにこの本を選んだんだっけ。
パラパラと軽くページをめくった。ああ、このシーンあったよね。
この本はページ数も少ないし、十五分もあれば読めるはず。
ちょっとだけ読んでいこうかな。
「……ちょっと懐かしかったなぁ」
パタンと本を閉じる。そういえば、廊下に響いていた鷹嶋深桜の声も聞こえなくなった。
帰ろうかな。そう思って、本棚に本を戻そうと腕を伸ばした。
その瞬間だった。
「君っ!」
ガシッと右腕を誰かがつかんできた。
「な、何⁉」
腕をつかんできたのは、男子生徒——ネクタイの色的に、二年生の先輩らしかった。
身長は170センチ後半、髪は金髪……だけど西洋的な顔立ちをしているから、染めているわけではなく地毛らしい。
普通にイケメンでかっこいい。まるで白馬の王子様の様だ。
まあ、私が今感じているこのドキドキは恋心なんかではなく、恐怖と嫌悪感だけどね。いくら顔が良くても、初対面でこの距離に来られたら嫌だ。
「今、本を読んだよね。『白雪姫の冒険』読んだよね」
「え……」
「結構ちゃんと読んでいたよね……?」
ふと先輩と目が合った。かなり真剣な顔でこちらを見つめてくる。
そこで、ハッと気が付く。
先輩の眼光がいやに鋭い。まるで獲物を狙う狩人の目だ。
も、もしかしてこれ、下級生いじめ……? 喧嘩っ早い生徒もいるみたいだし、ひょっとして私、これからボコられる?
「よ、読みましたけど、何か悪かったんでしょうか」
恐る恐るそう尋ねる。先輩は一瞬、不思議そうな顔をした。
「悪い……?」
「悪いなんてとんでもない! すばらしいよ、本当にすばらしい! 僕がこの図書室で張り込みを続けて早四日! 昼休みも放課後も、入学式の次の登校日からずっとずーっと見張っていたけれど、図書室に入ってマンガじゃない『小説』を手に取って、最後まで読み終えた生徒は君一人だ! いやもう、僕としたことが、この感動はとても言い表せないよ」
さっきまでの狩人のような雰囲気から一転、ものすごく明るい声色で先輩は一気にまくしたてた。
「『白雪姫の冒険』はそこまでメジャーな作品ではないし児童文学だけれど、県内作家の作品だから蒼天高にも置いてあるんだよね。繊細な心理描写、妖精世界に入り込めるかのような幻想的な情景描写、うんうん、まさに隠れた名作といえるよね。君はどんな場面が好きなんだい?」
「え、えっと私は白雪の名付け親の妖精さんが白雪の杖を取り上げる場面が好き、ですかね」
先輩の勢いに押されて、思わず答えてしまった。
「意外な場面が好きなんだね。どうして?」
「杖がないと妖精さんたちにかかった呪いが解けなくて困るから、白雪は名付け親の妖精にすごく反発するじゃないですか。その場面を読んだときは私も名付け親は嫌な奴だな、って思ったんですけど……よくよく考えてみると名付け親は白雪が心配だっただけなんじゃないかなって思うんです。だけど、このお話で白雪と名付け親は仲直りしないんです。名付け親が気の毒だな、可哀そうだなって……だからこの場面が好き、というより印象に残っています」
「そこに着目するなんて珍し——あ、君もしかして」
先輩は何かに気が付いたようで、一度言葉を止めた。
「晚小学校出身、『真洞優英』くんだったりするのかい?」
その言葉に、私は驚いた。確かに、私は晚小学校出身だ。
「え……あ、あの、どこかで会ったことありましたっけ」
「本当に真洞優英くんだったのか! 僕たちは初対面だと思うよ。ただ僕が一方的に君のことを知っていただけさ」
「え、怖いんですけど」
というか、なんだかすごくデジャブだ。
この学校の人、初対面の人に対する距離感がおかしいんじゃないの⁉
「あ、心配しないで。ほら、君が書いた『白雪姫の冒険』の読書感想文、賞をもらっていただろう。昔新聞で読んだんだ。そのとき読んだ感想と、君がさっき言った感想が、特徴的で似ていたからもしかしてって思ったんだ。ビンゴだったみたいだね」
そんな昔に書いた読書感想文の内容を覚えられているのも、それはそれでちょっと怖い。
「君は本が好きなのかい?」
「まあ、好きか嫌いかでいえば」
私が言葉を言い終わらないうちに、先輩は叫んだ。
「そうか! ならばぜひっ!」
「ぜひ、うちの部活に、文芸部に入ってくれ!」
「文芸部、ですか?」
星が入っているのかというくらいに、先輩は瞳を輝かせてそう言った。
その瞳からは『期待』の二文字が嫌でも透けて見えて、ほんの少しだけ断りづらい。
断りづらいけど……。
この変な先輩がいる部活には、絶対入りたくない。
「すみません、それはちょっと……」
「他に入りたい部活があるのかい?」
やんわり断ろうとしたら、一番めんどくさいタイプの質問が返って来た。
「そもそも部活自体、入ろうと思っていなくて。勉強したいんです」
最低限、卒業できればいいのだ。勉強時間が少なくなるし、そもそも部活に入ろうとは思っていない。
「……そうか、なら仕方がない」
先輩は一歩下がった。
ようやく解放される。私は本を戻して図書室を立ち去ろうとした。
「ところで、昨年度卒業してしまった先輩が僕に良くしてくれていたんだけど」
「急に何の話ですか」
恨み言かな、めんどくさいな。
「その先輩、今『梔子大学』の一年生でね」
今、梔子大学って言った?
私はピタッと、足を止めた。
梔子大学は全国でも指折りの難関大学で、何を隠そう、そこの経法学部は私の第一希望だ。
「その先輩、今でもよく部室に顔を出してくれるんだ。とても面倒見のいい優しい先輩でね、頼めば勉強を見てくれると思う。ああ……君が文芸部に入ってくれれば、だけど」
「……決して心が揺らいだわけではないんですけど、興味本位なんですけど、その先輩って何学部ですか?」
「確か……経法学部だね」
「えっ、経法学部⁉」
叫んだ後で、あっと口をふさいだ。この反応では、私も梔子大学の経法学部に興味がありますと言っているようなものだ。
確かに、この変な先輩がいる部活には絶対に入りたくない。
でも、梔子大学に受かった先輩の話を聞けるのは、その先輩に勉強を教えてもらえるのはまたとないチャンスだ。しかも、学部まで同じなのだ。
「確か先輩は、面接に苦労したって言っていたよ。もっと情報を集めるべきだったな、とも」
「面接、ですか……」
苦い記憶が頭をよぎった。
私が私立猩々学園に落ちたのは、面接が原因だ。
筆記合計497点だった。失点はたったの3点だった。
…………ところが、面接は0点だった。
面接室に入ったら頭が真っ白になって、ありえないことに自分の名前を間違えた。その後、何を聞かれて何を言ったのかなんて覚えていない。
頭が真っ白になったのは、きっと、練習が足りなかったからだ。ちゃんとしていたつもりだけど、それでもまだ足りなかったんだ。
今度は、失敗するわけにはいかない。
使えるものは何だって使わないと。
それに部活は、やるならやるで受験に役立つかもしれないし……どうせやるなら活動時間の長そうな運動系の部活や、文化系でも楽器系、合唱系は避けたい。
文芸部はちょうどいいのかも。
「……分かりました」
「本当かいっ⁉ 君みたいに本が好きな新入生が入部してくれるなんて嬉しいよ! 本当に本当に嬉しいよ!」
そう言うと、先輩はまぶしいくらいの笑顔を浮かべた。
奇妙先輩とがけっぷち文芸部 蝶夏 @tyouka
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