第2幕:静かなページの向こうに
放課後の図書室は、いつもひんやりとしていた。
真夏の空気も、ここだけは別世界のように涼しくて、ページをめくる音すら、そっと時間を巻き戻してくれるようだった。
蓮が図書室を訪れるのは、決まって水曜日の夕方だった。
あの日も、彼は窓際の長椅子に腰かけ、誰かが置いていった文庫本を手にとっていた。タイトルは覚えていない。けれど、その中に挟まれていた一枚の便箋だけは、今でも忘れられない。
《この図書室には、小さな秘密が眠っています。
見つけてくれて、ありがとう。》
癖のある丸い文字。ところどころに消しかけた跡。
それはまるで、言葉にできない気持ちの断片を誰かが静かに預けたようだった。
ページを戻しても、そこにはもう何もなかった。けれど、その日から、蓮は水曜ごとに一通の手紙を受け取るようになった。
誰からともなく、どの本に挟まれているともわからない、けれど確かに自分宛てのもの。
《風のない場所に、風が吹くとき。
きっとそれは、誰かの想いが通り過ぎた合図です。》
《あなたが読んだ物語が、いつか現実になるとしたら。
そのとき、あなたは誰に会いたいですか?》
そんなふうに、言葉だけが手のひらの中に残された。
ある日、ふと図書室の奥、雑誌架の裏に人影を見つけた。
誰もいないと思っていたその時間に、まるで“待っていたかのように”背を向けて立っていたのは——
「遥……?」
彼女は振り返らず、本を開いたまま答えた。
「やっぱり、気づいたね。蓮くんなら、見つけてくれると思ってた」
「……あの手紙、君だったの?」
遥は静かに笑って、顔を上げた。その瞳にはどこか、ほんの少しだけ、哀しみが宿っていた。
「手紙って、安心するんだよ。姿が見えなくても、声が聞こえなくても。言葉だけは、ちゃんとそこにあるから」
蓮は黙って、彼女の隣に座った。窓から差し込む西陽が、ふたりの間に淡い影をつくった。
「でも、不思議だよね」遥が言う。「本当は、手紙って未来に向けて書くものなのに。私の手紙は、全部……過去に向かってる」
蓮はその言葉の意味をすぐには理解できなかった。ただ、彼女の声が少し震えていたことだけは、わかった。
「ねえ蓮」遥はぽつりとつぶやいた。「もしも、私がこの世界のどこかで、もういなくなっていたとしても……それでも、私のことを覚えていてくれる?」
風もないのに、ページが一枚めくれた。
棚の奥から、誰かの笑い声のような音がかすかに聞こえた。図書室の時計は、5分だけ時間を巻き戻したように遅れていた。
蓮は静かにうなずいた。
「覚えてる。君の言葉も、笑い方も。たとえ全部が夢だったとしても、覚えてるよ」
遥は目を伏せて、小さな紙切れを差し出した。
それは、花びらのかたちをした便箋だった。
そこに記された文字は、まだ読めない未来への手紙だった。
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