水路の失意、地下の希望

 リュカオンは恐る恐る地下への道に足を踏み入れた。足音が遠くまで反響し小さなランプ一つではその先に何があるのか伺うこともできない。時折、強い風が吹き上げ歩みが止まる。湿った石畳の洞窟では足場が滑り時折、身体がよろける。しかし、リュカオンは歩みを止めることはなかった。


(……あの時のあの人はきっと)


 リュカオンは確信していた。あの時絶望から祈りを捧げた。その突如に姿を現した青年。そして示された新たな道。あれは天に住まう神の慈悲であると。

 フィロクレスがミリアを奪ったことは間違っていると神が追い風を運んできたのだ。


 ほどなくして、地下道を下り続けると水が勢いよく流れる音が聞こえてきた。地下水道だ。


(……この水は、どこから?)


 リュカオンは水流に逆らうよう歩んでいった。苔むした岩肌。響くのは一つの足音と激流の音。

 やがて、通路は大きな扉で先を塞がれていた。いや、扉だけではなかった。金色の髪。青年だ。ゆっくりとリュカオンは前へ進んだ。


(……フィロクレスと瓜二つの顔、影武者だったとしてもおかしくない)


 リュカオンに気がついた青年はそれまで感情の無いそれから嬉しそうなそれに変わり扉の方へリュカオンを追い立てた。


「……あなたは、フィロクレスの御付きの方か何かでしょうか?」

「……?」


 リュカオンは意を決して対話を試みたが青年は不思議そうな顔をしてまた、微笑んだ。

 とうとう二人は扉の前に立ち、それを見上げた。字を習ったことの無いリュカオンにでも扉に刻まれた文字は見たことの無いもので楽園のものではないと理解した。高く聳え立つ扉はく二人でも開けられるとは思えぬ重々しい質量だ。


「これは……扉?この先には……?」


 リュカオンは呟いた。扉に圧倒されて見ている彼を青年は不思議そうに見ていた。


「あの、これは、どこに続く道なんですか?」


 その問いを待っていたかのように青年はまたあの笑みを携えて扉の前に立った。ゆっくりと右手が上がる。それは扉の前に止まる。光だ。右手の周りから光が流れる。絶えず扉の向こうまで光が流れ新たなそれがまた流れる。どこからともなく風が轟々と音を響かせ舞い上がる。

 風の圧、リュカオンは飛ばされまいと足に力を込めた。風圧、轟音、リュカオンは向かってくる圧力に耐えていた。ふ、とそれも止んだ。リュカオンが顔を上げるとそこには左右にずれた石の塊とこちらの様子を見ている青年の姿だけだった。

 青年はリュカオンの方へ歩む。


「……これは、あなたは、誰……?」


 その問いにも青年は答えなかった。青年はリュカオンの肩を叩きその手を扉があったかつての場所へ指示した。


「あの向こうへ行けというのですか?」


 青年は笑っていた。

 リュカオンは一つ息を吸い込み、扉の向こうの暗闇を見据えた。

 

「……行きます、この先に何があろうとも」


 足音がひとつ、ひとつ重く響く。

 リュカオンは扉の向こうへ足を踏み入れた。青年はその後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。

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