其の五  『あぁ~この距離感なんです』

「そ、それは本気なんですか圍先生」

「はい。圍胡桃子は不覚にも生徒に心を奪われてしまいました。ですので、この想いをどうしたら良いのかと智原先生に相談に訪れている次第であります」


 知恵乃は胡桃子からの相談に衝撃を受けながらも、冷静さだけは失わず、どのようにすれば一番良い解決方法になるか悩みました。


「困りました……生徒の名前を教えていただけませんか?」

「な、名前を言うことができません」

「どう言うことでしょうか?」

「いや、ドキドキするでしょ。好きな人の名を口にするなんてチキン野郎ってことですよ」

「はあ」


 しばらく知恵乃は悩んでみた。そのしばらくが何時まで続くのか分からないと感じたのか、珍しく胡桃子の方が先に口を開いた。


「では、一度教室に行き、どの生徒か教えてあげます」

「え?」


 知恵乃は驚きを隠せなかった。好きな人の名を口に出すことができないチキン野郎のくせして、相手の顔を見ることにはドキドキとか緊張したりとかはしないんだと思いました。


 胡桃子と共に知恵乃は一年の教室まで行きました。胡桃子の想い人がいる教室はお昼休みということもあり、楽しんでいる生徒たちがいる。邪魔をしないためにも教室に入ることはせず、廊下から確認する程度にしました。


「圍先生、どちらの生徒でしょうか?」

「あれ」


 胡桃子は堂々と想い人と思われる生徒に指を差しました。その人物を知恵乃は確認しました。他の騒ぐ生徒達とは違い、物静かに読書している人物がそこにはいました。眼鏡をして、長い髪は後ろで束ねている男子生徒。


「大人しそうな子ですね。何度かお話をしたことがあるんですか圍先生は」

「恥ずかしくて話はしてませんが、サングラスをよく変えたり、無精髭のデザインもお洒落なんです」

「……」


 大人しそうな子に見えただけに驚いた知恵乃でした。休みの日はサングラスをしたりしている? 無精髭があるようには見えない、などの疑問は尽きなかったが、冷静に知恵乃は分析しました。


「見た目に反してワイルドで大人の感じなのですね。圍先生はもしかしたらその辺りに好意を抱いたのかもしれませんね」

「その肌は焼き過ぎだろ、ハワイ帰りかよおっさんってツッコんでも笑顔を向けてくれたあたりでドキュっとした覚えは確かにありました」

「……」


 あの大人しそうに本を読んでいる生徒は明らかに日焼けなどしていない肌、知恵乃は自らの目が信用できなくなりました。何かしらの眼病の恐れがあると感じた彼女は明日は眼科へ行くことを決めました。


黄昏たそがれさーん」


 胡桃子は教室内に向かって大きな声で名を呼びました。

 突然の大きな声で叫べば誰かしらは反応するはずなのにも関わらず、教室内の生徒たちは誰一人として気にしていないようでした。恐らく胡桃子は普段から叫んでいるので、生徒達が慣れてしまったんだろうと知恵乃は思いました。


「か、圍先生」

「おかしいな~」

「静かにしてください。それよりも今ですね、私の生徒達一覧表で調べたんですけど、彼の名前はひいらぎ君みたいなのですが、黄昏くんとは? そもそもそのような名前の生徒はこの学校にいないような気がするんですけど」


 嘘でしょとい言わんばかりの表情で胡桃子は知恵乃の顔を見つめました。その表情から知恵乃は察してしまったのです。もしかして、胡桃子にしか見えない霊が教室に存在しているのではないかと……。


 生卵の一気飲みよりも大っ嫌いである霊がいるかもしれないと思った瞬間から知恵乃の体に震えが走りました。そして、自分の想い人が学校に存在していないことに衝撃を受けて舌が口に収まらなくなった胡桃子。


「あの、今も黄昏さんって人は見えているんですよね?」


 知恵乃は怯えながらも胡桃子に黄昏が教室内にいるのか聞いてみた。


「ええ、そこに」


 胡桃子は再び、柊君に指を差しました。彼の傍に黄昏さんがいると思うだけで恐怖でしかない知恵乃でした。


「黄昏さんは今何をしているんでしょうか?」

「ビルの工事現場でバリバリ活躍している感じでしょうか?」


 知恵乃は胡桃子が何を言っているのか理解できませんでしたが、相手が胡桃子だけに冷静に頭をフル回転しました。なぜビルの工事現場で黄昏さんが活躍しているのか。そして知恵乃は気付いたのです。


「胡桃子先生は視力良いですか?」

「はい良好です」

「では、この教室から遠くのビルまで見えたりしますか?」

「そうですね」

「あの柊君の傍に黄昏さんがいるんですよね?」

「はい」

「それ柊君の眼鏡越しに、ビルで働いている黄昏さんを見ている可能性があります」

「え、黄昏さんって生徒じゃないの?」


 柊君の眼鏡を通して見ていたことから、胡桃子は黄昏さんがこの教室の生徒だと思い込んでいたようです。肌の焼き過ぎへのツッコミに笑顔をこちらに向けたのもタイミングが良かっただけという。そんな馬鹿なことがとは知恵乃も思いましたが相手が胡桃子なだけに心の中でグッとその思いを仕舞い込んで考え抜いた結論でありました。それでも、教師と生徒による禁断の恋は避けられたことに安堵する知恵乃でありました。


「ところで黄昏と言う名前はどこで知ったのでしょうか?」

「声くらい聞こえますよ。黄昏さんは明日になれば三十七歳の誕生日って今話してます」


 胡桃子の視力も聴力も化け物でした。知恵乃は絶叫したくて仕方がありませんでした。恐らく、胡桃子の味覚や嗅覚も化け物なのでしょう。


 とは言え、胡桃子が保健室に訪れていたのは生徒に恋をしてしまい、悩んだ末に相談がしたかったから。今回のことにより解決したので、知恵乃に相談する必要は無くなってしまいました。


「智原先生、私はなんか黄昏さんに冷めちゃいました」

「え、どうして?」

「とりあえず、これからも人生は続くので智原先生には私が死ぬまで相談しますね」

「しょ、生涯」



 胡桃子は日々、新たな悩みを生み出しては知恵乃に相談しに保健室を訪れる。それでも知恵乃は胡桃子を見捨てることはせずに相談相手をしました。今までと変わらない日々を保健室にて繰り返す二人……めでたし、めでたし、でした。

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くるみ割りラプソディ 千尋井 玖ゆ @WhereWeBelong

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