2.機械学I ─machine for people─

 砂漠の中を一台の車が走っていた。大人が四人乗ったらいっぱいになってしまいそうな小さくて白い車体に、見合わないような大きなタイヤを履いて、平坦な砂の上を一直線に走っている。

 運転席には男性が一人座っていた。黒くてまっすぐで背中にかかるほど長い髪を、頭の高い位置で括り、白いシャツと細身のズボンを身に付け、右の太腿には革製の大きなホルスターが空のまま付けられている。ハンドルを握る右手は妙に白く、華奢な見た目をしている。男の名前はラドといった。

 そしてラドの肩の上には、白くて細長いものが巻き付いている。よく見るとそれは白蛇だった。長い舌と鋭い牙、綺麗で真っ青な目を持っている。


「なあラドよぉ。」

「……」

 首に巻き付いていた蛇がラドに話しかけた。これはさして重要ではないことだが、この蛇は少年のような声で喋る。話しかけられたラドからは何も反応がない。


「おい!」

「うぇ……?」

 耳元で叫ばれて、ラドが急に目を覚ます。


「おい、いくらなんもねぇ砂漠だからって、運転中に居眠りてのはどうなんだ、あ?」

「シロの言うとおりだね……本当、いくら疲れててかつ寝不足だとは言っても、居眠りは良くないよ。」

 これは重要なことなのだが、蛇はシロという名前だ。実に安直な名前である。

 ラドはこの前夜、何気なく野営場所に選んだところが空砂(注:上に乗ったものを徐々に沈めてしまう砂。一見では判別できないため注意が必要。)だったために、深夜にそこからの脱出をする羽目になり、あまり寝られなかったのだ。


「空砂は沿岸で多いとされてるから油断してたね。」

「だとしてもお前、普段居眠り運転とかしねぇだろ。流石に変だぞ?」

「全くだね。今日は日が傾き出したら早々に休もうか。」

 ラドは頬を一度叩くと、席に座り直して、ハンドルを握り直した。

 そして大欠伸をした。

「あ〜あ。こりゃもうダメかもな。」

「ふぁぇ……」

 ラドは無理やり欠伸を噛み殺そうとして涙目になる。

「まだ日はあるが、今日はここで休むか?このままじゃお互い命が危ねぇんだが。」

「う〜ん……いや、それには及ばないかな」

「あ?」


 ラドは左手で前方を指し示した。

「なんということでしょう。あんな所に国らしきものが。」

「そりゃあ良かったな。」

 ラドは少しだけ車の速度を落とすと、その国らしき、怪しい光沢を持った壁に向かって進んでいった。

 と思うや否や、首が傾くラド。

 シロが不意にラドの耳に嚙みついた。

 車内にラドの悲鳴が響いたのは言うまでもない。



[入国手続きを行います。画面の指示に従って、必要事項を記入してください。]

「……」

 ラドがたどり着いた先にあったのは、高い壁と、大きな門。それらが金属らしき黒光りする素材で作られている。

 門の隣には小さな小屋のようなものが壁から出っ張っていた。ラドとシロがそこに入ると、そこには壁際に机と椅子、そして机の上に大きなモニターが設置されているだけだった。モニターには先述の短い文章、そして[手続き開始]のボタンが表示されている。


 ラドは椅子に座ると、そのボタンに触れてみた。すると画面が変化し、入国に必要な事項を記入する欄が現れた。名前、出身地、年齢、性別、入国の目的、期間、持ち込もうとしている銃器、車両、動物……

 ラドが慣れない画面の操作に苦戦しつつ、なんとかそれらを入力し終えると、今度は画面に隣の部屋に入るよう言われた。


 言われた通り扉を開けて隣の部屋に入ると、そこには机などはなく、壁掛けのモニターが一枚と大きな籠が置いてあるだけで、今度はモニターにこう書かれていた。

[身体データを取得します。服を全て脱ぎ、中央の円の中に立ってください。]

 よく見ると、壁や天井には小さなカメラのような機器が大量に埋め込まれているようだ。それどころか部屋の中心の円というのは、そこの床が丸くガラスでできていた。


 ラドは仕方がないので、靴とズボンとシロと襟シャツと各種武器を脱いで籠にいれると、ガラスの円の真ん中に立った。すると周囲から、何やら光が当てられ、測定されているようだ。しかしすぐにブーっと音が鳴り、光が止まった。モニターを見ると[測定エラー。下着・装備品などを全て外してから再度お試しください。]と表示されていた。

 ラドはその文章を読むと小さく舌打ちをした。そして、怯えるような、とても不安げな表情を浮かべた。しかしそれはほんの一瞬のことで、すぐに元の表情に戻ると、一息に上半身を隠していた薄手の白いシャツを脱いだ。

 続いて下半身を隠していたボクサーパンツに手を掛けたところで、再び一瞬躊躇う様子を見せたが、すぐにそれも脱ぎ払うと、再び円の中に立った。


 また周囲から光が照らされ、三十秒ほど照らされ続けた。

 今度は問題なく測定が終わったようだ。モニターに[測定完了。衣服・装備品を着用して構いません]と表示された。


 ラドが手早く順にパンツとシャツと襟シャツと各種武器とズボンとシロと靴を着ていると、途中で画面が切り替わり、測定の結果が表示された。

 それを見てラドは驚いた。

 身長百五十七センチ、体重四十六キロなどの結果はもちろんのこと、ラド自身も知ろうと思わないような詳細な寸法や体組成、挙句は視力や心拍数や血液の成分といった情報まで、そこには全てが表示されていた。


 一番下に表示されていた自分の身体の詳細な3Dモデルに眉を顰めながら、ラドは呟く。

「舐めてたよ。全裸にさせられただけのことはあるね。」

「服脱ぐくらいでそこまで言わなくたっていいと思うんだがな。」

 首に巻き直されて人心地ついたシロが、どこか不愉快そうな声を出す。

「人間一あれば千の歴史あり、ってやつだよ。」

「蛇に諺なんて通じねえよ。」


 ラドが元の部屋に戻ると、モニターの下に二枚の紙とカードが置かれていた。どうやらモニターの下には印刷機が組み込まれていたようだ。そしてモニターにはこう書かれていた。

[以上で入国手続きは終了です。以後は印刷された用紙の指示に従ってください。]


 一枚目の紙には文章があり、もう一枚の紙を車両の前面に貼り付けること、カードは常に携帯すること、そして国内での禁止事項などについて簡単な説明があった。

 もう一枚の紙は耐水性で、表には二次元コードと番号が大きく書かれ、裏面には金属やガラスのみに貼り付くような糊が仕込んであった。

 最後に小さな樹脂製のカードには、ラドの名前、年齢、性別、番号、そして顔写真などが書かれていた。


 ラドは小屋から出ると、言われた通り車のフロントガラスに紙を貼り付けた。

 そして門に近づくと、自動で門が開き始めた。どうやら先ほど貼り付けた紙を検知して門が開くようにできているようだ。

「まだ入国していないけれど、なんだか随分とハイテクそうな国だね。」

「全くだな。」

 門はよくある二重門になっているようで、奥にもう一枚、同じような門がある。

「さて、それではそのハイテクな国を拝見しよう」

 二枚目の門は、ラドが近づくとやはり音もなく滑らかに開いた。

 そしてラドはアクセルを踏み込むと、市街地があるはずの方へと走っていった。


「うーん。」

「……」

 ラドは、綺麗に舗装された道路の路肩に車を停めて、運転席から街を眺めていた。

「ここまで走ってれば、何かしらあると思ったけど……」

「本当に生きてんのかこの国。」


 入国してからラドは、しばらく大きな道路をひたすら走り続けた。やがて道路沿いには民家や店舗が並び始め、さらに行くと都市の中心部らしい街区に辿り着いた。

 そしてラドはそこまでの間、一人の人ともすれ違わなかった。

「これだけの都市が存在してるし、見た感じ放棄されてるとも思えない。人は住んでると考えるのが妥当……なはずなんだけど。」

 見たところ街はオフィス街といった感じで、夕暮れ時の景観からは、退勤中の人が歩いていてもなんら違和感ない……というより、そうでないことが違和感に思われる。

 ラドはそんな街中をしばらく走り回っていたが、徒に走っていても燃料の無駄なので、パーキングメーターを見つけてそこに車を停めた。本来は車のナンバーで料金が賦課されるようだが、ナンバーがなかったラドは入国時に貼り付けた紙の番号を入力してみると、それで登録ができ、なおかつ料金が免除されるようだった。


「まずは宿屋を探そうかと思ってたけど、どうもそんな雰囲気でもないね。」

「さっさとラドを寝かせようと思ってたんだが、流石にここで寝させるのは不味そうだな……ある意味砂漠で居眠り運転されるより命の危険がある。」


 ラドはそれから一時間ほど、今にも途切れそうになる意識を、なんとか保ちながら座っていたが、やがて向こうからヘッドライトが近づいてくるのが見えた。

「!」

「お?なんだ?」

 近づいてきた車は、屋根に細長くて赤いランプを載せ、車体が黒と白で塗られていた。雰囲気から察するにどうやら警察車両のようだ。

 ラドは窓を開け、腕を出して振ってみた。

 対向車線を走っていたその車は速度を落とすと、Uターンしながらこちらの車線に入り、ラドの車の少し先で停車した。

 中から降りてきたのは、どうやらこの国の警察官らしき人物二人組だった。


 一人がラドの車の運転席に近づいてくると、声をかけた。

「どうかなさいましたか?」

「ぼくは旅人で、数時間前にこの国に入国した者です。対向車が現れたので、思わず呼び止めてしまいました。」

「ああ、なるほど。」

 もう一人の警官が何か端末のようなものを取り出して、ラドが車の前面に貼っていた紙を見ながら操作していたが、今度はラドの方に来た。

「すみません、入国時にカードのようなものをお受け取りになりましたか?」

「はい、これですね。どうぞ。」

 警官はお礼を言ってカードを受け取ると、それを見ながら端末を操作し、結果を最初に話しかけてきた警官に伝えた。そしてカードをラドに返却した。


「すみません。確認いたしました。一応規定ですので。確かに少し前に入国した旅人のラドさんで間違い無いようですね。」

「はい。」

「さて、一応お聞きしますが、何か非常事態や急病などで呼び止めた訳ではないのですよね?」

「ええ、はい。」

 警官は、その返答を聞くと、何かとても疲れたような表情をして、こう続けた。

「では、この国に入ってから初めて見た人間が我々だったので、思わず声を掛けてしまった、ということでしょうか?」

 ラドは警官とは反対に、にっこりと笑みを浮かべた。

「ええ、全くその通りです。」


 十数分後、ラドはビルの一階にある交番の中にいた。と言っても別に何か犯罪を犯した訳ではなく、路上で話すのはあまり良くない、ということで案内されたのだ。


「さて、まずは我が国にお越しくださいましてありがとうございます。我が国は数千年の歴史と、一千万を超える人口を持つ由緒正しき国です。この都市の中心には城があり、そこには国の王がお住まいです。ただ王は政治に関しての実質的な権限は持っておらず、実際の国の運営は国民議会で行われています。」

「なるほど」

 そういうラドの目は心做しか虚だったが、それでもちゃんと座って話を聞いている。

「というこの内容は、規定上旅人さんにお伝えしなければならないと決まっている文言です。旅人さんがお知りになりたいことは、なぜこの街には誰もいないのか?ですよね?」

「はい。」


 警官は薄くため息をついた。

「まず旅人さんに一つお聞きしたいのですが、この国の文明レベルはいかがですか?失礼など考えずに、率直にお聞かせ願いたい。」

 ラドは眠い頭で少し考えてから、素直に感想を言った。

「そうですね……入国審査の時点で、かなり技術力が高いと言う印象を受けました。都市の設計も十分に整っていて、見たところ地下鉄駅らしきものも存在している。もちろんこれより先進的な国はいくらでもありますが、人を見ないという点を除けば、必要十分以上なレベルと言えるのではないでしょうか?」

「なるほど。そう思っていただけたようで何よりです。そしてこの場で断言いたしますが、答えはNoです。」

「え?」

「この国は、旅人さんが思っておられる、おそらく数十倍は愚かで後進的な国です。」

「そうなんですか?」

「理由は、じきにお分かりになるでしょう。……あ、窓の外をご覧ください。」

 ラドは街を見た。

 そしてそこには人がいた。

 すっかり陽が傾きかけて、ほとんど夜に近くなった街中を、スポーツウェアを着て歩いている女性。少し遅れて、サラリーマンらしきスーツを着た人々が十人ほど、まばらな間隔で通っていった。それから時々、道路を車が通過していくようになり、人通りも少しずつ増えていく。

 そこにあったのは、まるで陽が昇りかけの、早朝の街中のような景色だった。


 ラドはその光景を見て目を丸くした。

「これは……」

「これからこの国の「朝」が始まります。」

「一体どういう訳です?」

「全て「システム」が悪いのです。」


 警官は一息おくと、こう話し始めた。

「この国では、発電から交通といった全てのインフラ、それから人々の労働や娯楽のためのサービス提供まで、一連の管理を全てシステムでおこなっています。このシステムは高度なプログラムで動いており、どのように人々が動き、どのように働けば、国の運営がスムーズにできるか、全てを計算して動いているのです。」

 ラドはまた素直に感心して言った。

「それはすごい……」

「いいえ。これが全ての諸悪の根源なのです。」

 警官は吐き捨てるように言う。

「と、言うのは?」

「このシステムには、とんでもない重大な欠陥があるのです。」

「ん?」

「旅人さんは、この惑星が、ちょうど二十四時間で一回転し、それによって昼夜が生まれていることはご存知ですか?」

「ええ。」

「ところがこのシステムにはですね、一日が「二十三時間五十九分三十六秒」しかないのです。」

「え?」

 またもや目を丸くするラド。普段表情豊かでもないはずの彼が、今日は特に表情豊かに見える。多分眠いからだろう。


「つまりですね。毎日毎日、システム時間と現実の時間には、二十四秒ずつずれが発生するという訳なのです。」

「なるほど……」

「このシステムがこの国全体に組み込まれたのは約十五年前のこと。それから時間は一周し、現在はこの時間、現実における十九時ごろに朝の五時ごろを示すようになってしまいました。」

「……修正しようとは思わなかったんですか?」

「もちろんしましたとも。しかしこのシステムは、国中に同時に組み込んだまでは良かったものの、修正するのは極めて困難だったのです。下手にメインサーバーの内容を書き換えてしまうと、国のほぼ全てのインフラが、数日以上、下手をすれば一ヶ月近く停止する事も考えられます。端々の機能や調整はできるものの、根幹たるシステムに手を出せる人間はもはやいません。」

「そもそものシステムの作成者は?」

「作成を受託した会社は、不具合発覚直後の壮絶なデモによって倒産し、実際の開発者が誰だったかはもはやわかりません。」

 警官の表情も一周し、今や諦念が見て取れる。


「ついに国民は諦めました。街灯などの照明器具だけは実際の明るさに応じて機能するように修正され、生活はなんとか送れるようになりました。しかし地下鉄などの運行システムをもう一度開発し直すのには、とてつもない労力と費用がかかりますし、それ以外のシステムも同様です。今も国民議会の評議により、新たな修正システムの開発は進められてはいるようですが、現在は間違った時間に起き、間違った時間に眠る生活を受け入れるものがほとんどになりました。」

「なるほど……」

「農村部などは、それでも日照が極めて重要ですから、旧来の通りの生活を送っているようですが、農村部があるのは旅人さんが入国された門の反対側です。だからお気付きにならなかったのでしょうね。」


「……一つだけ聞いてもよろしいでしょうか?」

 虚な目のラドは恐る恐る聞いた。

「はい?」

「この国には宿はありますか?」

 警官は事も無げに答えた。

「ええ。都心部にはビジネルホテルがありますし、かなり距離はありますが、農村部にも民宿などはあるようですよ。」

「では、今すぐ宿泊できるホテルはありますか?」

 警官はやや気の毒そうに答えた。

「都心にはありませんね……少なくとも、ここから車で四時間ほどは行っていただかないと……」


 ラドの首元で、ただのしゃべれない蛇のフリをしていたシロが、深々とため息をついた。

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