蛇蝎の旅人

白川雪乃

1,旅人学Ⅰ ─a dried up fountain─

 砂漠の中を一台の車が走っていた。大人が四人乗ったらいっぱいになってしまいそうな小さくて白い車体に、見合わないような大きなタイヤを履いて、平坦な砂の上を一直線に走っている。

 運転席には男性が一人座っていた。黒くてまっすぐで背中にかかるほど長い髪を、頭の高い位置で括り、シャツの上から軍服にも似たジャケットを羽織り、細身のズボンを履いていて、右の太腿には革製の大きなホルスターが空のまま付けられていた。特殊な砂避けの加工がされたブーツを履いた足は片方で無造作にアクセルを踏み込み、奇妙に白い手の片方はハンドルに乗せられている。男の名前はラドといった。


 ラドは不意に大欠伸をした。そのはずみでハンドルがぶれ、砂に刻まれた轍が歪む。ラドは慌てて両手でハンドルを正面に戻し、元の軌道に直すと走り続けた。


 そのまま三十分ほどそうしていただろうか。不意に、地平線の先に石造りの高い塀のようなものが見えた。


「お」

ラドはそう小さく声を発した。ラドのリアクションはそれだけだったが、先ほどより心做しか嬉しそうに見える。既に底まで踏まれていたアクセルが更に踏み込まれ、車は一段と強烈なエンジン音を響かせながら加速していく。速度計は140で振り切れていた。尤も、先ほどからタイヤは幾度となく砂の上で、跳ねて潜っては空転を繰り返しており、針が振り切れていなくても正しい速度は知れなかっただろう。


 三分ほど経って、車の速度は段々と遅くなりはじめた。と言って、塀にぶつからないためでも、エンジンが耐えきれなくなったわけでもない。先ほどは一度嬉しそうな様子だったラドの顔が心做しか暗くなり、それに伴ってアクセルを踏む足が緩み始めたからだ。


 更に五分後、とうとうラドはブレーキを踏み、石の塀から数百メートルの地点で車を停めた。狭い車内で体を捻ると、手早く身体中の装備を確認し始めた。

 ジャケットのボケットの中身や、腰のベルトに留められた小物入れの中身、その他身体の各位置に付けられた様々な道具を全て確認すると、最後に、助手席との間の隙間に差し込まれていた.40口径のリボルバーを右腿のホルスターに差し込んだ。

 そして、今度はゆっくりと、塀に向かって車を進め始めた。


 塀には門があり、その前に車を止めると、ラドは扉を開いて車から降りた。

 塀は立ったラドの三倍くらいの高さがあり、横には長く続いていて、おそらく直径一キロ程度の円を描いているのが見て取れる。

 ラドは太腿の拳銃に軽く手を添えたまま、ゆっくりと周囲を見て周り、やがて門のそばに作られた小窓に気づいた。向こうを警戒しながら、ゆっくりと小窓の中を覗き込む。窓の向こうには小部屋が造ってあり、机や椅子、書類らしきものがあるのが見えたが、人の姿はなかった。

 ラドは改めて門の前に立った。門は金属らしき素材で作られていて、塀と同じ高さがあり、高く聳え立っている。

 試しにラドは門を力一杯押してみた。すると予想に反し、門はあっさりと奥に開き、ラド一人であれば通り抜けられそうな隙間ができた。


 ラドは一度呼吸を整えると、その隙間から向こうへ身体を滑り込ませる。

 そこには、砂を熱で押し固めて作られた道路と、両脇に木や金属で作られた建物があった。奥にはもう一つ門があるのが見える。

 ラドは改めて門を広く開けると、車に乗り込んで門の中に入る。そして奥の門の前に来ると、また車を降りて門を押す。しかし今度はびくともしない。

 ラドは少し考えたが、よく見ると、門の表面に細い窪みのようなものがある。試しにそこに手をかけると、思い切り手前に引いてみた。すると門はゆっくりと開いた。


 車が通れるだけの隙間が開くと、車に乗り込み、ゆっくりと門の向こうへ進み始めた。やはり砂を熱で押し固めた道路が続いていたが、やがて集落らしき場所に出る。

 木や金属でできた家。中には石組みでできた家も混ざっている。そしてそれらに、人はただの一人もいない。


 ラドは集落の只中で車を降りると、道端に歩む。そして、

「やっぱ、これ人間か。」

 ラドはため息と共に、塀の外からここまでの間、転々と転がっていた細長くて色とりどりな、茶色い塊の傍にしゃがみ込んだ。


 その塊には、近くで見れば顔らしきものがあり、よく見れば腕や脚があったらしいことがわかるが、限界まで乾燥して朽ち果て、もはやなんだかわからない物体と化していた。そしてそれらが衣服らしきものに彩られて至る所に転がっている。


 無辺の砂漠の中には、こうした「国」がたくさんある。国のほとんどは「オアシス」という水源の周りに作られており、砂漠の中に城壁を造って領土としている。

 砂漠においては、このオアシス以外に水源はほとんどなく、もしこのオアシスがなくなれば国は滅びるしかない。どうやらこの国は、そのオアシスを失ってしまったらしい。


「ご愁傷様、としか言いようがないか。」

 オアシスの水は、どこからどのような経路で湧いているのか、あまりよくわかっていない。砂漠には雨が降らないし、川もない。地下水脈があるのではないかと言われているが、それにしたって経路はよくわかっていないのだ。

 ある日突然オアシスが枯れ、そのまま国ごと滅びる。そんなことは別に珍しくもなんともない。だがしかし、それは決して良いことではない。

「全く面白くないね。」

 ラドはそう呟くと、塊に一度手を合わせ、再び車に乗り込んだ。


 ラドはその日一日をかけて国内を巡った。食料や飲み物は皆乾き果てて見つけることができなかったが、唯一車の燃料だけはいくらか残っているのを見つけたので、それはすっかり貰っていくことにした。

 日が暮れると、家のまばらな場所に車を停めた。途中で拾い集めておいた、枯れた木材や枝などに火をつけると、簡単な焚き火にして、その脇で眠る。そこらじゅうに空き家はあるし、中に入ることもできそうだったが、そうすることはしなかった。


 夜が明けると、ラドは軽く運動をして、それから焚き火の始末をすると、また車に乗り込んだ。これ以上この国にいても仕方がないと思ったラドは入ってきた方へと引き返すと、元と同じ、この国唯一の門から国を出た。一応門扉は元通りに閉めておいた。


 ラドは国を出ると塀に沿って半周走り、そこから元来た方とは反対に進み始めた。


 少し走ったところで、ラドはふと、近くに何かがあるのに気がついた。進路をずらしてゆっくりと慎重に近づいてみると、そこには直径十メートルほどの窪みがあり、中には綺麗な水が湛えられていた。


 オアシスが枯れた後、近くに新しいオアシスが生まれることはよくあるらしい。国によっては移動するオアシスに合わせて、国を移動させることもままあるそうだ。

 無辺な砂漠では近くても、こんな小さな水場を見つけるなんて困難だろう。

「気づかなかった、ってことかな。」

 あの国の人たちがこの水場に気づけたら、あるいは幾らか助かったのだろうか。

 いや、それでもあれだけの国を賄える水量は得られなかっただろう。


 ラドは窪みに降りると、タンクに水を汲んだ。タンクには浄水器が組み付けてあり、そこらの水でも飲み水にできる。最後にその水場で顔を洗うと、ラドは再び車に戻り、そしてまた次の国へと出発した。

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