第4話 七月二十五日 湊編
カリカリ、カリカリ——
鉛筆の先が紙を走る音が、部室に静かに響いていた。
新聞部の部室には、校内新聞のバックナンバーが山のように積まれている。
夏の午後。窓の外では蝉が鳴いていた。
「失礼します……新聞部、ですよね?」
戸を開けた湊が、おずおずと声をかける。
すると、奥で書き物をしていた女子生徒が顔を上げた。
ポニーテールにメガネ。鋭そうな目つきだが、無愛想というより単に“人と話し慣れていない”ような雰囲気だった。
「ああ、九重くん。弟のほう……湊くんだよね」
「……はい。えっと、丸井さん……ですよね?」
湊の親友だった堺 幹人の死。犯人はいまだ捕まっていない。
たとえ真相にたどり着けなかったとしても、少しでも親友の無念を晴らしたい——その思いが、湊をここへ連れてきた。
「お兄さんには、前に何度か取材したことがある。変わってたけど、話は面白かったよ」
そう言いながら、丸井は手元のプリントを丁寧に揃えた。
その手つきは、妙に落ち着いていて頼もしく見えた。
「今日は、何か聞きたいことでも?」
湊は静かにうなずき、声を少し潜めて言った。
「堺くんのことです。……彼が亡くなる前に、何か変わった様子とか、ありませんでしたか?」
その問いに、丸井の手がほんの一瞬止まった。
「……“変だった”ってほどじゃないけど。私、見たんだよ」
「見た?」
「堺くん。体育館の近くで、誰かと話してるのを。放課後だった。ちょっと遠かったから、内容までは聞こえなかったけど——」
「誰と話してたんですか?」
「……ごめん。顔までは見えなかった。距離があって。……ただ、結構真剣な顔だった」
湊の中に、冷たい感覚が落ちてくる。
丸井は少し目を伏せ、ぼそりとつぶやいた。
「こんなことになるってわかってたら、もっとちゃんと見ておけばよかったのにね」
湊は唇を噛む。
(幹人が誰かと話していた……?)
「その日って、いつですか?」
「七月二十二日。……彼が亡くなる“当日”だよ」
新聞部の人から話を聞いたあと、図書館の前にある階段を登り、3階にある赤本がたくさん並べられている部屋へ行った。
そこである人と待ち合わせをしていた。
「ごめんね。湊くん少し待ったかな?」
と頭を下げながら来たのは、朔と湊の担任である戸川だ。
「いえ、大丈夫です。自分も今着たところですから。」
と笑顔を振りまいた。
「そうかい。ところで湊くん。私に何か用事かな?」
湊が戸川をここに呼び出したのは、幹人の死について聞くためだ。しかし、直接聞くとのらりくらりとかわされる事は目に見えている。
そのためーーーー
「ここの問題がわからないので、教えてほしいのですけど……」
湊が開いた問題集には、英語の長文読解のページが広がっていた。
戸川は椅子を引いて湊の隣に座ると、眼鏡を押し上げながら目を通す。
「……ああ、ここの文章は比喩が多いから、ちょっと難しいかもしれないね。
この 'guilty silence' って表現は、ただ黙っているんじゃなくて——」
湊は戸川の解説を聞きながら、頷く。
(……先生の声、やっぱりどこか沈んでる。事件のせいだろうか)
しばらくして、湊は話題を切り出すために、ふと自然を装ってこう口にした。
「先生、最近……学校、少しピリピリしてますよね」
「……そうだね。あんなことがあったから」
戸川の手が、一瞬止まった。だがすぐに、ペンを持ち直して説明を続ける。
「堺くん、いい生徒だったからね。部活も勉強も、まっすぐで。残念だよ、本当に」
先生の目には哀れみの色が浮かんでいた。
「先生、やっぱりあの事件以来休んでいる人は多いんですか?」
戸川をここに呼び出した本当の理由を尋ねる。
「そうだね、やっぱりあの事件のショックから休んでいる人は多いね」
とどこか悲しげな表情で言った。
「それは先生方もですか?」
湊の目が少し鋭くなる。
「うん。そうだよ。先生達も大人である前に一人の人間だからね」
少し笑って言って来た。
休んだ理由は人が死んだ悲しみか、それとも、次は自分かもしれないという恐れなのか。今はまだわからない。
「ところで湊くん」
と戸川先生が少し尖ったような口調で言ってきた。
「朔くんが、堺くんの件を独自に調べているそうだね。……彼は聡い子だ。でもね、これは“殺人事件”だよ。警察が動いている以上、生徒が深入りすべきことじゃない。……くれぐれも、あまり首を突っ込まないように。そう、朔くんに伝えてくれるかな。」
先生のこの忠告は有無を言わせぬ圧があった。
湊は一拍置き、ゆっくりと口を開いた。
「分かりました。朔にはそう言っておきます。」
湊はにこやかに頭を下げる。
だが、その背中が見えなくなった瞬間——
湊は静かに、眉をひそめた。
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(兄さんもこの事件を追っているのか……)
戸川の言葉が、何度も頭の中で反響する。
(……そういえば、兄さんと話したの、いつが最後だっけ)
同じ家にいるのに、まともに顔を合わせた記憶がない。
朝、隣で歯を磨いていたはずなのに、目も合わさず言葉も交わさなかった。
夕食のときも、兄はいつもどこか遠くを見ていた。
(俺たち、兄弟……だったよな)
教室のざわめきが遠のいていく中、湊の胸に、ぼんやりとした不安が広がっていく。
——兄は、どこまで知っている?
——どこまで、行こうとしている?
そのときだった。
廊下の向こうから、誰かがこちらを見ているような気がした。
——だが振り返っても、誰の姿もない。
気のせいか。そう思ってスマホを見ると、1件のメッセージ通知。
>「君の“兄さん”、危ないよ。止めなきゃ、次は——」
息が詰まりそうな静寂が、耳鳴りとともに押し寄せた。
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その日は、どうにも力が入らなかった。
湊は卓球部に所属している。場所は第一体育館のギャラリー。
ギシッと床が軋むたび、下のコートではハンドボール部が汗を飛ばして動いていた。
(……磨人も、あの中にいる)
ピンポン球を指先で弾き、ラケットを構える。
下回転のサーブを打つと、相手は軽くツッツキで返してきた。
ここまではいつも通り。
——なのに。
浮いた返球にドライブをかけたつもりが、ボールは力なく上へと逸れた。
高く、高く、相手の頭上を越え、そのまま落ちることなく壁にぶつかった。
「……おい、湊。今日、調子悪くねーか?」
隣から聞こえた声は、同じ部の七隈 遊技(ななくま ゆうぎ)。
ラケットを肩に引っかけ、怪訝そうにこちらを見ている。
「やっぱり。全然ダメだ、今日は」
湊は苦笑して、髪の汗をかき上げた。
「もうすぐ大会なんだからさ、しっかりしてくれよな」
遊技の声は責めるようでいて、どこか心配そうでもあった。
ボールが床でピタリと止まり、静寂が戻る。
(……集中できない。兄さんのこと、幹人のこと、戸川先生の言葉……)
湊の中に、澱のように溜まったものが卓球台に影を落としていた。
その後何回か打ち合いをし、二分間の休憩を取った。
「……磨人ってさ、最近部活に戻ってきたけど、元気ないよな」
遊技が卓球台のネットを直しながら、ふとつぶやいた。
「……え?」
「いや、なんか気になって。アイツ、前より練習中に周り見てること多くない?
誰かに見られてるみたいに、キョロキョロしてるんだよな。……ああ、悪口じゃないぞ」
冗談っぽく笑いながらも、遊技の口調にはどこか引っかかるものがあった。
(……磨人が、キョロキョロ?)
湊は思わず下の体育館を覗き込む。
ハンドボール部の練習は続いていて、その中に、確かに磨人の姿があった。
いつものように声を出し、パスを受け、走っている——ように見える。だが。
(……あの時も。丸井さんが言ってた、幹人が誰かと話してたのも……体育館の近くだっって言ってたな)
手が震える。ラケットのグリップが汗で滑りそうになる。
「おーい、湊、続きやんのか?」
腕時計に目を向けると、針は5時26分を指していた
遊技の声が聞こえたが、湊はわずかに首を振った。
「ごめん。今日、帰るわ。ちょっと用事、思い出して」
「え? あー……そっか。ま、無理すんなよ。最近ピリピリしてるし」
湊は軽く手を挙げて体育館を出る。靴音だけがやけに大きく響いた。
(……やっぱり何か、ある)
そんな気がした。
そして、けたたましくチャイムがなり響いた
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