言葉は銃よりも重く
蒸気研究所
第1話 従軍
朝霧のなかを行軍する日本軍の列は、まるで沈黙を強いられた葬列のようだった。
暁はその最後尾にいた。兵士たちの背中は無言で、彼の存在に気を留める者は少なかった。通訳とは、必要なときだけ声を発する影のような存在だった。
「敵兵が降伏した。通訳、前へ!」
将校の声が飛ぶ。暁は一歩前に出た。進んだ先には、草むらにうずくまる清国の兵士がいた。顔は土にまみれ、目の焦点は定まっていない。
「……命乞いか?」
近くにいた坂井中尉が、眉をしかめて吐き捨てる。暁はその言葉を訳そうとしかけて、ふと口を閉ざした。今、この男が本当に求めているのは命か。それとも、言葉か。
「あなたの名は?」
中国語で問うと、男は顔を上げた。怯えてはいたが、目の奥に何かがあった。それは諦めではない。怒りでもない。説明のつかない、ある種の誇りのようなもの。
「ジャン・ミン」
と答えたその男の声は震えていなかった。
「彼は投降したようです」と暁は中尉に伝えた。「名はジャン・ミン。武器はすでに手放しています」
坂井中尉はわずかにうなずいた。
「処遇は後で決まる。だが、明日にはまた別の村を攻める。今夜は早く休め」
暁はうなずいたが、足は動かなかった。ジャン・ミンはまだ彼を見つめていた。何かを言いたげに。
「……なぜ通訳などしている?」
男が口を開いた。暁は答えられず、ただ視線をそらした。
「あなたの国の兵は、我々を獣と見る。だが、あなたは違う目をしている」
その言葉が胸に残った。
夜、簡素な天幕の中で、暁は筆を取って日誌をつけた。
だが文字は何一つ進まず、墨だけがにじんでいった。
“通訳とは、どちらの言葉を信じるべき存在なのか。”
そう問いを書いたまま、彼は筆を置いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます