本質的な生きかた 簡易版
古 散太
第1話 「死」を覚悟して
自分の中の一番深いところにある思考として、「死」に対する覚悟、「いつ死んでも後悔しない」覚悟がある、というお話です。
だからと言って、死にたがっているわけではありません。まだこの世で体験したいこともたくさんあります。
「生きる」に全力を尽くしていますが、「死」が訪れたときに素直に受け入れられる覚悟をしている、というのが、近い表現ではないかと思います。
例えば、大病を患って余命宣告が出ても「しょうがない」と良い意味であきらめることができるつもりでいます。実際にしょうがないことですしね。死を恐れてアタフタしてる時間に、自分がしたいことをしたほうが、心残りや未練が減って、さっさと肉体と魂を分離することができ、この世から離れられます。つまり成仏です。
この世から離れたあとの魂がどうなるのか、その答え合わせがしたいという好奇心はありますが、そのために自死をしようものなら、執着が生まれてこの世から離れられなくなりますから、やはり自然の流れで死を迎えられることを望んでいます。
あなたが恐れていること、その根っこを探索してみてください。ほとんど人がたどり着く先は「死」になるはずです。人間の究極の選択肢は「生か死か」ですからね。「生」は当たり前でも「死」は体験がないので、いつまでも特別な存在で、様々な想像がふくらみ、恐怖を感じます。
恐怖を感じながらも、そのときが来たら素直に「死」を受け入れる、そう決めて生きれば、後悔しない人生や、「今・ここ」の生きかたを考えるようになります。
後悔しない人生、それは生きているすべての時間を充実させるか、満足させることになります。充実には達成感があり、満足には幸福感がありますからね。
そのために、日々の一秒一秒を精いっぱい楽しんで生きようとします。享楽的な意味ではなく創造的な楽しさですね。
「死」を過剰に恐れることがなくなれば、人生は一気にその可能性の幅を拡大します。拡大した可能性の中で、時々ですが、希望にも手が届くようになります。
今のぼくには強い欲求がありません。美味しいもの食べたいとか、またバンドをやりたいとか、その程度の欲求はあるので、可能性はどれだけあってもありがたいです。
何をどうあがいても生物はいつか滅びる。そのことに対して反発や否定をしたところで、逃げることも遠ざけることもできません。いっそ逃げられないなら、せめてそれまでのあいだ「全力で楽しく生きていく」、それがぼくの覚悟したことです。
「死を覚悟する」ということは「生きる覚悟をする」という意味でもあり、人生を輝かせる第一歩でもあるんです。
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