恥知らずながらも人生続けています、生きてます。ほんと。。。
生草
第1話 本当のこと①
相手の本当のことがわからないことが多いのはどうしてだろう。
いろんなところでそんな話を見たり聞いたりすることが多い。
若いころは、確かにそうだよねって思うことも多く、だからといって、それについて何かこれといった、考えをもつことも無かったように思う。
確かに、とか、そうだよね、と思ってもドライだっただけではなく、その際になんでだろう、とかよりも、そういうこともあるかなっていう感覚が多かったように思う。
多分、思考が止まる、というか別のことに意識を持っていかれるようなことが多かったんだろう。
それでも、とかく人は思い込み、決めつけてはまた思い込むことが多いように思う。それがどんなことであれ、自分の考えが正しいと思い込みたいのか、自分の価値観に近いものを見ては安堵するからか、または否定されたくないとの思いが強いからか思い込むようにしていることが多いように思う。それほどまでに、人の自我は確実に安定的な地盤があるわけではないようだ。
例えば、グルメの話をしよう。
急に転職でも転校でも、新しくその土地に来た人からどこが一番おいしいラーメン屋かと問われたら、多分、自分もそうだが、大体の人の返しでは世間一般(この場合は身の回りの人たちの評判やネットの口コミ)の中から、自身でも一回は行ったことがあり、お店の雰囲気も味も覚えているからこそ話しやすいネタとなる、お店を挙げて、会話の中では返すことでコミュニケーションを成立させようとする。どこがおいしいのかもきっと、なんとなく特徴が残っているし、他のみんなも口コミで挙げているから安心感がある。だから話題に出す。なぜなら、それなりに知っているから、もし異論が出ても、自分の意見だけではないから、それに反論したり、やっぱり同意も割り切ってできたりする。自分の意見よりも他の目に見えない口コミの意見とかが、割と相手を説得するのに役立ったりすることもある。
そこには、何よりもそのタイミングで話している相手と意見を戦わせる必要がないという魅力がある。そこには、否定されずに済ますことが出来る、という自我を守るという本能が働いており、なおかつ自分が本当においしいと思うラーメンを(話題に挙げれば、否定されるリスクもあるため)、そのまま邪魔すらされずに引き続き、おいしい、と思い込み続けることが出来る。それはとどのつまり、なんとなく、他人の威を借りているわけではないせよ、何かしらそのお店を一番だと勧めることが出来る、安心感があり、その中で最善の選択肢を勧めている、という自分がいる。
決して、自分の感覚を疑っているわけでもなく、何か自分の考えに近い、価値観のようなものを守りたい、という思いが働いているようにも感じられる。
だからなんだ、と言われればそれまでなんだけど、、、、
ちなみに、それは果たして、相手の質問に対して答えたのかな?と思ってしまう自分がいたりして、とってもやりきれない感じなんです。聞かれた個人としては、一番おいしいラーメン屋さんを伝えたい!よね。でも怖いよね!なんとなく。
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