(4)殿様の異変はそれだけでなく

 カガミは、元々、奥方様の輿入れに伴ってきた乳姉妹でもあった。

 そして、奥方様しか知らないことであったが、奥方様の父が抱える忍び衆の家系の出でもあったのである。

 『秘密を知る者は、少ないほうが良い』というカガミの判断に従って、側近たちもカガミが何をするのか知らされないこととなった。


 まず、カガミは姫君の埋葬をしないことに決めた。

 親である殿様の許可なく埋葬などできぬのはもちろんである。

 が、カガミに埋葬を思いとどまらせたのは姫君の姿であった。

 不思議なことに、姫君の体は腐らず、朽ち果てぬどころか、以前にもまして艶めいて麗しい姿を保ったままであったからである。

 しかしながら、城内に寝かせたままでは、悪い噂のたつ可能性もある。

 それゆえ、城から少しばかり離れた領地の森の中に、小さな屋敷を建てさせた。

 その屋敷に姫君を運び入れ、信頼の置ける者に世話をさせる。


 元々、姫君には数人の影がいた。

 姫君の体調が思わしくなくても、人前に出なければならないこともある。

 もしくは、麗しい姫君をさらおうとする輩や害そうとする者がいないとも限らない。

 そのような事態に対処するための、念のための影であった。

 その影たちに、交代で姫君の役を演じさせる。

 もちろん姫君の麗しさに敵う娘はいないのだが、そこは忍び衆に伝わる化粧の術で、ほぼすべてのひとを誤魔化すことができた。


 こうして作った時間で、なんとか殿様と姫君の異変に対処できる者を探そうというのが、カガミの策であった。


 ところが、さらに予想外の事態が起こってしまう。

 殿様の異変は、気を失うだけにとどまらなかったのである。


 ある日の午後のこと。

 午前中からの執務を終えて、姫君の顔を見に殿様が奥へと現れた。

 なぜだか、幼い子が喜びそうな煌びやかな糸が巻かれた鞠を携えて。


 「姫、姫はどこじゃ? とと様が、鞠をくれてやるぞ」

 満面の笑みをその顔にたたえながら、殿様は幼い子を探すような仕草をする。

 不審に思った奥方様が、殿様に尋ねてみる。


 「殿。姫に鞠をくれる約束をなさっておいでだったのですか?

  わらわは、聞いておりませぬが」

 「おお! それはな。奥には秘密だったのじゃ。姫ももう七つじゃ。

  はは様に尋ねずともほしいものが言える年になったものよ」

 「殿……。姫は七つでしたかのぅ?」

 「なんじゃ。奥は、姫の年も数えなんだか。もう七つじゃ。

  一人前よのぅ。けれど、鞠をほしがるところは、まだまだ子どもじゃ」


 殿様の言葉を聞いて、そばに控えていたカガミに奥方様は目配せをする。

 「おそれながら、申し上げます。

  姫君は、本日、森まで散策にお出かけになり、未だお戻りではございませぬ。

  殿様がいらっしゃることを失念されておられるのやも知れませぬ。

  供の者の不手際ゆえ、申し訳もござりませぬ」

 カガミが平伏して、咄嗟に、そう弁解すると殿様は笑って応えた。

 「よい、よい。健やかで宜しいことじゃ。

  また明日にでも来てみるとしよう。鞠は預けたぞ」

 そう言い残し、上機嫌のまま、殿様は戻っていった。


 慌てたのは、事情を知る者たちである。

 さっそく、側近衆を集めて殿様のさらなる異変について話し合いがもたれた。


 「姫君の年が分からなくなっているとは、真か?」

 「その通りにございます。姫君を七つだとおっしゃられ、鞠をお持ちに」

 「姫君が健やかな頃に戻っておられるのではないか?」

 「可能性はありまするが、表の執務はいかがでございましょうか?」

 「う〜ん。本日も特に変わったご様子はなく、執務をこなされておられた」

 「それは、現在の執務でございましょうや?」

 「そうだ。……ああ、そういうことか。

  殿が過去に遡っておられるのか知りたいのだな?」

 「さようでございまする」

 「それはない。

  本日の日付も分かっておられたし、領地のことも現在の課題に対処されておられた。

  それはもう、的確に。表の執務に関しては、おかしなことはない」

 「と、なると。殿様の違和は、姫君に関することに限られる可能性が」


 それからしばらくの間は、姫君の影とカガミの機転で、どうにか殿様に話を合わせながら、様子をうかがうことになった。

 奥方様の助けもあり、半月も経つ頃には、殿様の異変の全容が分かった。


 どうやら殿様は、姫君が息を引き取ったことはまったく覚えておられない。

 さらに、姫君の年を日によって違う年だと思い込む。

 その年は、七つから十三才までの間であり、思い込む年に規則性はない。

 表の執務には、何らの支障もでておらず、ただ姫君のことだけ、正しくその姿を認めることができぬようである。

 姫君の年と執務の年で矛盾が生じたりすると、気を失われる。

 けれど、四半時もせずして、目を覚まされ、そのことを覚えてはおられない。


 この危機に果たしてカガミがいかように対するのか、事情を知る者たちは固唾を飲んで見守ることになった。

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