第6話 失われた世界の地図

2033年8月2日|マイアミ野戦病院 地下ブリーフィングフロア


点滴を外され、病衣を着替えたロバートは、車椅子に乗せられ、看護師の後を静かに進んだ。


病院の廊下は、以前知っていた“病院”とはまるで違っていた。


壁には白い隔離フィルムが何重にも重なり、廊下の角ごとに無人セキュリティ・ユニットが配置されている。


天井のパネルは頻繁に明滅し、人工知能による再構築と修復の痕が見え隠れしていた。


歩く者は少ない。


ほとんどが機械か、義肢をつけた兵士、あるいは生体補助マスクをつけた医療関係者。


「……ここは本当に、地球か?」と、思わず問いかけそうになった。


「こちらです」と、看護師が立ち止まり、指紋と網膜認証でロックを解除した。


重い空気圧の音と共に開かれたドアの先に、冷たい金属の壁と、半透明スクリーンに囲まれた空間があった。


中央には、研究者らしき人物と、薄く輝く3Dホログラフ。


その中心に、彼の顔写真と、“F-Type適合体_α-001|スミス,ロバート”の文字。


研究者は白髪まじりの女性だった。鋭い目と沈着な声を持つその人物は、自己紹介も省略して本題に入った。


「まず、現状をお伝えします。


我々の知る国家という枠組みは、ほぼ機能していません。2029年から始まった“連続出現現象”により、世界の65%以上の地表が“人類非適応領域”となりました」


「確認されている限りで、生存都市圏は以下のとおり。


アメリカ合衆国では──ニューヨーク・ドーム、ロサンゼルス・アーク、ソルトレイク・シェルター。


カナダには三つの研究都市が、オーストラリアにはシドニーのみが“安定圏”です。


ヨーロッパの主要都市はすべて沈黙域(DSFs)に飲み込まれ、通信不能。


アフリカ、インド亜大陸、南米は壊滅状態。中国の西部自治区は消滅が確認されました」


ホログラムに映る世界地図は、ほとんどが赤や黒の領域で染められていた。


「そしてあなたは、その状況下で唯一、“観測される前に観測した存在”です」


スクリーンには、脳の3D断層画像が映し出された。


松果体の部分が、まるで小さな“光る結晶体”のように変化している。


「この部位を“P-Node(ピーノード)”と我々は呼んでいます。


通常、成人では萎縮している松果体に似た組織が、活性状態で成長している。


ここがあなたの脳内で微小重力情報、非可視波長、意識場の同期を処理しています」


「つまり、あの“存在”たちが人間の認識外にいるのではなく、


我々の側が“見えないように制限されている”のです。


フォース適合者は、その制限を超える可能性を持っています」


ロバートは、半ば呆然としながらモニターを見ていた。


「……俺は……人間じゃない、ということですか?」


「そうではありません。


むしろ、“人類進化のひとつの解”が、あなた方です」


研究者が黙ってスライドのスクリーンを切り替える。


映し出されたのは、現在のロバート・スミスの姿。


髪は短く刈られ、皮膚には薄く透けるような光が宿っていた。


目の色もわずかに変化している。虹彩が深い青に見える一方で、瞳孔の反応が“時差”で動く。


「……これが……俺?」


思わず声が漏れる。


記憶にある“自分”と、スクリーンの中の存在は、確かにどこか違って見えた。


だが、それは劣化ではなく、進化。


本能がそう告げていた。


研究者は言う。


「あなたを含む“第一世代”のフォース保持者には、すでに特殊任務部隊“タスクフォース・ディビジョン”への召集命令が出ています。


訓練、再適応、戦闘、そして“Zone-E Core”への初潜入。


あなたにはそれらすべてが求められます」


「……選べないんですね」


「選択肢は、常にあります。


ただし、選ばなければ、人類が次に進める選択肢が消えるだけです」


その夜、ロバートは一人、病室のベッドに戻った。


窓の外、遠くにうっすらと光るドームの光。


その遥か先には、目に見えない“何か”が広がっている。


(俺は……これから、何と向き合うんだ)


体は、自分のもののようで自分のものではない。


脳の奥で、まだ知らない言語のような“感覚”が目を覚まそうとしていた。


“フォース”──


それは力であると同時に、認識の外へと踏み出す扉でもあった。

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