第2話 異常の兆候
DCPD セクター5庁舎内 11:20
あの後の式はスムーズに進んだ。
各々が配属先の担当官に引き渡され、簡単な庁舎案内の後、制服を正式に受け取り、午後からはいよいよ“現場”での初任務が始まった。
「初日は市内のパトロールがメインだ。実戦とは言っても、新人のお前たちは先輩巡査の後ろに付いて、動きを見て覚えるのが仕事だ。無理はするな。まずは空気を読め」
指導官のトム・ケイリー巡査部長は、無精髭まじりの顔でそう言って、俺とローズをパトカーの後部座席に乗せた。肩越しにミラー越しの視線を投げてくる。
「それと、お前ら…この街の“異常さ”には気づくことだな」
「異常さ、ですか?」とローズが聞いた。
「そうだ。ここはただの首都じゃねえ。連邦の中心、情報と影響の渦。でありながら、誰も説明できねぇ“偶然”が多すぎる。…去年の夏、ホワイトハウス周辺で見つかった“金属の雨”、知ってるか?」
「フェイクニュースって話じゃ?」と俺が返すと、ケイリーは鼻で笑った。
「それで済むなら警察なんざいらんさ」
そう言って、彼は車を走らせた。
午後13:47/ノースイースト地区 パトロール中
午後の日差しは少しずつ傾き始め、D.C.の街並みに斜光が落ち始めていた。パトカーの車内にはケイリー巡査部長の流すAMラジオの音が、窓の外の喧騒と混ざって不安定に揺れている。
「ここから北4ブロックはドラッグ関連の通報が増えてる。だが今日は特に異常なし、と」
ハンドルを片手で操作しながら、ケイリーがタブレット端末のパトロールマップをちらりと見た。
「スミス、アンダーソン。外の空気に慣れろ。机の上じゃ学べない“街の気配”ってやつを掴むんだ」
ローズは頷き、俺も形だけ頷き返したが、正直まだ緊張で肩がこわばっていた。
外を見れば、雑多な店が軒を連ねる通りに、人々が行き交っている。
観光客らしき家族連れ。歩道にシートを広げて何かを売る男。手にスマホを持ち、声を荒げて誰かと話すスーツ姿の中年。
どこにでもあるアメリカの首都の午後――のはずだった。
だが、何かが“違う”。
「……空、濁ってない?」
ローズがぽつりとつぶやいた。
言われて空を見上げると、確かに晴天にもかかわらず、どこか白くかすんだような空が広がっていた。
雲でもスモッグでもない。光の質自体が少し、違って見える。
「最近、光の屈折率が変わったってニュースでやってたな。高高度の成層圏に何かが溜まってるとか」
ケイリーがぼそっと言った。
「火山噴火かなんかですか?」
「さぁな。だがNASAも国防省も何も言いやしねぇ。こういう時に黙るってのは、何か知ってるってことだ」
彼の声に冗談めいた調子はなかった。
午後14:05/Dストリート付近
歩いての巡回に切り替え、三人で古びた雑居ビル街を見て回った。
足元のコンクリートはひび割れ、路地裏からは不快なアンモニア臭が漂う。野良猫のような目をした若者たちが、こちらをじっと観察している。
「ここの住人、最近“変な音”が夜中に聞こえるって通報してる。空の上から来るような、金属を擦る音だってよ。録音もされてるが、解析じゃ“存在しない周波数”って出たそうだ」
ケイリーは何気なく言ったが、ローズの眉がわずかに動いた。
「存在しない…周波数?」
「耳に聞こえる範囲の外って意味だ。理論上、人間には聞こえない音。だが、実際にそれを“聞いた”って証言が数件出てる」
「じゃあ、聞いたのは人間じゃない?」
そう言ったのはローズだった。
その目は冗談ではなく、むしろ何かを確信しようとするような鋭さを帯びていた。
俺は苦笑してごまかそうとしたが、言葉が出なかった。
ふと目の前のビルの壁に、異様なものが目に入った。
黒い刻印。
一見すると落書きのように見えるが、あまりにも奇妙だった。
文字のようでもあり、幾何学的な模様にも見える。表面には炭のような質感があり、よく見るとわずかに“発光”しているようでもある。
「……これ、なんだ?」
「それ、今朝はなかったぞ」
ケイリーが低くつぶやいた。
ローズがスマホで写真を撮りながら、刻印にそっと手をかざす。
「温かい。壁より少し、ほんの少しだけ」
「赤外線検知じゃ無反応だったんだがな。まさか、赤外線じゃ測れねえ熱源ってことか?」
「……もしかして、“生きてる”?」
誰ともなくつぶやいたその言葉が、やけに現実味を帯びて響いた。
午後14:40/バー・エルサレム前
巡回の終盤、ローズが再び何かに気づいた。
「上、見て」
街灯に引っかかるようにして、小さな黒い塊が空中に浮かんでいた。ドローンかとも思ったが、何かが違う。完全に無音だったし、風にあおられることもなく、まるで意志を持つように浮いていた。
「ドローン…じゃないな。あれ、反射しない」
ローズの言葉に俺も目を凝らす。確かに、あれは“存在してる”のに“そこにない”ような、不自然な空間の歪みを感じさせた。
見ていると、ふっと消えた。
「……何だ今の」
俺がつぶやくと、ケイリーは無言で一歩前に出たが、すぐに肩をすくめて言った。
「さぁな。だがDCPDじゃこういうの、年に数回は起きる。原因不明。報告書は“自然現象”。…いつもそうだ」
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