第2話
。。。
なんとなく、祖国・日本は、戦後の高度成長の頃を「青春」とすると、「朱夏」というか、成熟の時代に差し掛かってきた、非常に脳天気というか楽天的な発想かも?ですが、とにかく昔よりは落ち着いてきたのかな? そういう雰囲気…ないですかね?
年号も、平成から、さらに令和に刷新された。
昭和は遠くなりにけり…賢者は歴史に学び、愚者は経験から学ぶ、といいます。
オレのような愚者は、地道に経験に学ぶしかしょうがない…習うより慣れろ、雨だれ石を穿つ、辛抱する木に花が咲く…
鳴くまで待とうホトトギス。
雌伏の時、ともいう。 やがて雄飛するために、ひたすら経験の知恵というか亀の甲より年の劫と、盲亀の浮木を唱えつつ、ワインの成熟を待つみたいに、鞠躬如、今はひたすら謙虚に努力を積んでいこう…自分についてはそういうことですが、
日本、ということになるといろいろ大変にも思う。
グレタトーンベリさんが、脚光を浴びたのが象徴的やが、地球全体の危機が、ますます緊急的になっている…「温暖化」どころか、「沸騰化」の時代。
異常気象が、「異常」でなくなっている…状況自体がずっと異常なわけです。
が、どうも世の中が不穏というか、陰気な感じもします。 奥歯にものが挟まったような? どこかなんかやり切れない矛盾を感じる…ただ、日本の経済が左前だから? 少し前までは単純にそう割り切れていたのが、資本主義の循環経済で説明しきれない、構造的な資本主義の欠陥? そういうことが鮮明になってきたのに、 相変わらず、支配と搾取の…(自粛)
閑話休題。 兎に角、 「夏の暑さが尋常でない」こういうことは言われだして久しいですが、 いい兆候であるはずがない、それは誰しも感じる。
江戸時代にはクーラーがないと死ぬ危険性があるとか、そういう気候であれば、どんどん人口が減って国もつぶれていたかもしれない。 クーラーが無いなら無いで、なんらかの対策を講じたはずだが? うーん、今は「クーラーが売れれば経済効果がある」からいい、くらいにしかウエに立つ人が考えていないような気がする。
弱い奴を自然淘汰できるのも、一種の合理化になって、経済にいい、とか、最近は世知辛いようなそういう発想をするほうが大勢順応でまとも?とか、そういう風潮にも思える。
まあ、オレももちろん我が身の身過ぎ世過ぎで精一杯ですが、もっとそういうことを、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」ではないでしょうか。
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