第25話 この世ならざる路地にて

四月二十二日 にわか雨


 麓の街に出て歩いていると、雨がぱらついてきた。


 翡翠が朝から山菜取りに出ていて、天気予報を聞きそびれたまま、傘も持たずに出てきてしまった。


 商店街のアーケードを抜け、細い道を曲がる。まばらな家々が、どこか息を潜めているようだった。


 気づけば、通りの名前も見覚えがない。


 雨を避けようと、さらに路地に入り込んだところで、自分が今どこにいるのか、分からなくなった。



 ふと、奥に一軒の店が見えた。



 中華風とも和風ともつかない、不思議な造り。無国籍としか言いようがない。

 そこで帰り道を聞いてみることにした。


 ---


「いらっしゃい」


 不意に心地いい低い声がした。

 そちらを見ると、帳場台ちょうばだいに肘をついて煙管をふかす、気怠げな偉丈夫いじょうぶがいた。


 店主だろうか。

 切れ長の目がふ…と細まり、笑ったように見えた。


「あれ?お客様なんて久しぶりだぁ!ゆっくりしていってくださいませ」


 そう声をかけたのは、ひょっこり棚の後ろから現れた眼鏡の青年だった。

 童顔で、柔らかな笑みを浮かべている。


「うちは路地裏の、しがない骨董屋です」


 そう言って、青年は軽く頭を下げる。

 私は店の中を見渡した。


 曰くありげな骨董品や御守り、古今東西の咒に使いそうな何か。

 いい香りのする薬草の束、鮮やかで美しい羽、蠱惑的こわくてきな桃色の薬……。

 不思議なもの、妖しいものが、棚という棚に並んでいる。


 それらが本物なのか偽物なのか、美しいのか禍々しいのか、夢なのか現実なのか——

 もう、わからなくなってくる。


 私は、客ではなくて道に迷ってしまったのだと伝えた。

 すると、ふわり……と甘い香りが鼻をくすぐる。


 香か、それとも煙管きせるの煙か。頭がぼんやりしてくる。


 帳場台から店主が立ち上がり、こちらへ歩いてくる。

 なんと背の高いことか、ゆうに二メートルはある。


 ---


「おや……人の子か。迷い込んだな……ふふふ。なぁに、客じゃなくてもいいさ。雨が止むまで、ゆっくりしておゆき。……李央りおう、手拭いとお茶を頼むよ」


「はい。さあ、こちらへどうぞ」


 青年に案内されたのは、庭の見える窓辺。

 赤い中華風のテーブルと椅子がある。

 借りた手拭いで水滴を拭き取り一息付くと、とても良い香りの緑茶と、上品な和菓子が出された。


「安心なさってください。ここは隠り世ではございません。此岸しがんと地続きの場所ですから、召し上がっても大丈夫。黄泉竈食よもつへぐひにはなりません。」


柔和な笑みを浮かべてから悪戯っぽく


「——、人間ですから」


 私が躊躇ためらっているのを見透かしたのだろう……そう言った。


 ここは一体、どこなのか。

 そう尋ねると、いつの間にか向かいの席に座っていた店主が口を開いた。


 ---


「此処はね、彼岸と此岸、両方の品を取り扱う店でね。……ああ、天眼てんがんか。《間(あわい)》が見えるアンタの面白い左目で、私を見てご覧な」


 私はおそるおそる、右目を手で覆った。


 店主の頭には、見事に枝分かれした白い角。

 耳も尖っている。

 瞳の色は角度が変わると玉虫色に輝き色を変える。

 思わず「龍……?」と尋ねてしまった。


「よく見える目だね。そうさ、私は龍族。……一族でも変わり者でね、収集癖しゅうしゅうへきが商いになっちまったのさ。」


 そう言って、茶を一口飲んでから蠱惑的に微笑み言葉を続けた。


「骨董ってやつはいいんだよ。人の想いや記憶ごと、まるごと閉じ込めてあるからね」


 喉の奥でくっくっと笑う声が、やけに深く響いた。


 ---


「李央は、私を祀ってる神社のせがれでね。コイツも変わり者で、若ぇのに骨董やらが好きで出入りしてんのさ」


 李央りおうさんは静かに笑い、言った。


「……境界って、落ち着くんです。あっちでも、こっちでもない場所が。

 この店も、神社も、僕にとっては似たようなものです」


 そう言って、お茶のお代わりをそっと差し出してくれた。


 ---


「お嬢さん。アンタも、なかなか因果なお人だ。

 きっと、面白い品物にも会うだろう。その時はぜひ、うちに持ってきておくれ。買い取るよ……欠けた器でも、曰くありの呪具でもね。」


 くすぐるような心地よい声にぼんやりしてしまう。男性なのに何とも綺麗なお顔だ。人形のように整っている。


「この店はね、余燼堂よじんどうというんだ。覚えておくれね」


 店主は、おそらく自分の魅力を理解しているのであろう、笑みを浮かべた。李央が続ける。


「この店のある場所は、朧ヶ巷おぼろがこう路地です。普通には辿り着けないので——この、根付けをどうぞ。

朧ヶ巷おぼろがこうへ”と心の中で唱えながら握っていただければ、きっとまた来られます」


 そう言って、可愛らしい龍の根付けを手渡してくれた。


 ---


「おや、雨が上がったね。さぁ、家の者が心配してる……。


今日はサービスだ。近くまで帰してあげようね。目を閉じて。そう……三つ、数えて。


 三……二……一……」



 ——はっ、と気がつくと、いつもの街の大通り沿い。菓子屋の前に立っていた。



 甘い香りが、まだほんのり鼻に残っている気がする。

 手の中には、龍の根付け。


 不思議な出会いだった。

 ……妙に、胸の奥が静かに高鳴っている。

 私は、その根付けを財布につけることにした。

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