知人
宗教上の理由で善人であり続けなければならなかった知人が行方をくらました
是非もなし、とわたしは思ったが
成る程下手に善人であったがゆえに彼の周囲は
おそろしく狼狽えていた
否、むしろ怒り憎む程であった
だからやめておけと言うたんに
彼の祖母の遺言は
彼に向けられたものか
彼らに向けられたものか
いざ知らず、
わたしは彼女の墓前でしおらしく手を合わせた
さて遺産分配も二三の取り返しのつかないトラブルを経て滞りなく済み、会話は数年のときを経てもなお失踪した善人への恨みつらみへと流れていく
やれどれ程心配りをしてやったか
やれきつい時期に助けてやった恩を忘れたのか
やれ金を工面してやった
やれ
やれ
やーれんそーらん
徹頭徹尾お前らが彼からむしりとったものだろうに
なしておめぇたちは
自分がしてもらったことさ自分がしてやったことにできるのけ
分からんぞわたしには
何年たってもわからん
因みに冒頭失踪した善人を知人と呼んだわたしが
何故このように込み入った身内の卓に座らされているかというと
まさにわたしが彼の知人であるからに他ならない
彼らにとって最も重要なのは
卓の人数が減ることも増えることもなく
決められた通りに埋まることで
そこに誰が座っていようと関係ないのである
つまりはあれよあれよと言う間に人数合わせのために知人の家庭事情に飲み込まれてしまったわけである
あなおそろしや
もうひとつ因みに彼らはわたしが知人に苦しめられており、それを我々で救ってやったという筋書きを信仰している
常に善人たるに足らない人間性の整合性を
つまらん物語で取ろうとすな
いやはや退屈である
お前の生きていた頃は随分愉快だったなあ
そう、彼らがどれだけ逆恨みしようと恋しがろうと
彼の人は二度とお前らの前には現れないのである
彼の知人の僕だけが彼が永久に失ったことを知っているのだ
さてもさても
失ったことを受け入れずに
やれそれと話し込む人間をぼんやり眺める
相続する遺産もないし
正直暇である
大体の事情を知っていても
所詮人の家庭である
かといってこの場を離れられるタイミングもない
両脇にはおおぶりな情緒を耳に光らせて眉を上げ下げする女性、正面には唾を飛ばさず話すのは男の沽券に関わるとでも言いそうな男性、膝にすこぶる躾の悪い小汚ない小動物。
逃がしてくれ
見逃してくれ
この場から脱出させてくれ
暇どころではない
もう一歩で気が狂う
何だっていいさこの際
俺を助けてくれ
しかしながら当然救済措置は無いので
甘んじて善良な愚か者の顔をして卓に居座る
あれまあ今度は神のはなしかい
面倒くさい、大いに
最もらしく解かったような解らないような
絶妙なラインで表情筋を保つ
明日はきっと筋肉痛だろう
お前たちの神が全能でお前たちのためにあるのなら
なぜお前たちをそんな粗末な作りにしたんだい
とは聞けないのでだんまりを決め込む
ならなぜ、
が百万回くらい体から出ようと試みるので
何度も唾を飲み込むはめになる
面倒くさい、大いに
重ねて気が狂いそうだと心の中で叫ぶ
そろそろまずい、と、おもう
と、膝辺りに不快感
ありがたい、小動物の粗相で話が打ち止めになる
ついでにこやつの洗浄を仰せつかう
卓から解放される
うれしやうれし
女一人が指南役としてついてくる
温度や道具や順序やエトセトラ
盗人をみるような目で
あなたには安心して任せられるわあなんて
無理に言わんでもいいだろうに
さて生き物よ
もののついでだ
わたしともども綺麗になろうではないか
暴れ回るし吠えるが
狂犬病のワクチン等々は接種済みだから
少し気が楽である
因みにワクチンはわたしが打たせた
散歩だのなんだのさせてあげるの名目で押し付けられ、もののついでで死にたくは無いのでね
すこぶる嫌そうなあやつらに
病気や怪我でこの子がかわいそうな目にあったら嫌だと大泣きしてやったら
意味はわからないが卓の連中も大いに泣いた
晴れて承認を得たので
動物病院へ連れていった訳である
さてもさても、
おめぇもおれもきたねぇなぁ
何とはなしに泣きそうな気分である
目の前の命をわしわし洗いながら考える
あいつがいたら何て言うだろう
いや、あいつは何にも言わないだろう
何も言わずにただ笑ってくれるだろう
ギャンギャンッと不細工に鳴かれて
落ちそうだった涙を引っ込めさせられる
一滴の自由もないのか俺には
ままならぬ
あらゆることが
ままならぬ
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