第11話 深淵の試練

 港町カルナスの夜。


 星が海面に映り、波が石壁に打ち寄せる柔らかな音が響く。


 バージッド・ラ・コスタ――バスタは、ミナに教わった深淵の入り口――港の外れの古い井戸の前に立つ。


 苔むした石の井戸枠からは冷たい風が吹き上がり、潮の匂いと混じる。


 左目のモノクルが強く脈打ち、フルカスの老執事のような声が頭に響く。


「若様、深淵は地下水路の迷宮。リズの試練はブエルの冷気とガープの幻惑の組み合わせかと。心を強くお持ちなさい」


 バスタは剣を握り、井戸に結んだロープを手に、赤毛を夜風になびかせる。


(リズ、俺を試す気か…! 高みから見やがって、絶対にぶち壊してやる!)


「リズがガープを操ってるなら、アイツの思惑に乗るわけにいかねえ! フルカス、ガイド頼むぜ!」


「承知いたしました、若様。モノクルに集中し、わたくしの指示を冷静に聞いてくださいませ」


 バスタはロープを握り、井戸の底へ滑り降りる。


 湿った石の通路に着くと、足元で水がチャプチャプと音を立て、暗闇に潮の匂いが漂う。


 遠くで滴る水音が反響し、モノクル越しに青い光が揺らめく。


 ガープのイタチが通路の奥に現れ、背中の金製の万年筆が不気味に輝く。


 ガープの念話が低く、粘つく声で響く。


「くく…若造、リズの命令だ…俺の幻惑を喰らえ…! だが、俺の誇りはこんな試練の小間使い程度では潰れねえ…!」


 通路に霧が立ち込め、幼馴染の幻が現れる。


「バスタ…助けて…」少女の声が心を抉る。


 バスタは唇を噛み、剣を握り直す。


(くそ…幻だ! 頭から離れねえ…!)


「フルカス、幻だろ!? どうすりゃいい!?」


「若様、モノクル越しにイタチの光を追うのです! ガープは隷属化で弱っております。幻を無視し、突進なさい!」


 バスタは剣を振り、霧を切り裂く。


 イタチがピョンと跳び、素早く通路の奥へ逃げる。


 だが、突然、壁がカチカチと凍り始め、ブエルの冷気が鋭い刃のように襲いかかる。


 リズのブエルを通しての念話が軽快に、だが挑戦的に響く。


「バスタ、いい動きじゃん。けど、これが私の試練だよ。ガープの幻惑とブエルの冷気の二重奏、突破できる? 3年後の満月までに、もっと強くなる可能性を見せてみな!」


(リズ…! 俺を試す気か! ナメやがって!)


 バスタは剣を構え、叫ぶ。  


「ふざけんな、リズ! 俺は全部払い除けてぶち壊す!」


 冷気が刃のように飛来し、バスタは跳んで回避するが足元の石が凍り、滑りそうになる。


 イタチが霧の奥で素早く動き、ガープの念話が嘲笑う。


「くく…若造、焦るな…リズの命令は癪だが、森での一件は忘れられねえ。相棒の仇だ、貴様を敗北を味あわせてやる…!」


 フルカスが鋭く言う。


「若様、冷気はブエルの力。イタチを捕まえ、万年筆を破壊なさい! ガープは隷属化でリズに従うのみ。動きを封じれば勝機が!」


 バスタは頷き、凍った通路を滑りながらイタチに突進。


 剣を振り下ろすが、イタチが跳び、幻がさらに強まる。


 燃える村、幼馴染の叫び、炎の熱がバスタの心を揺さぶる。


(くそ…頭から離れねえ! 俺の弱えとこ、突いてきやがる!)


「フルカス、幻を消す方法は!?」


「若様、心を落ち着け、わたくしの声に集中なさい! イタチの光を捉え、剣を正確に! ガープの力は6割、ブエルの冷気もリズが遠隔で操る分、限界があります!」


 バスタは深呼吸し、モノクル越しにイタチの青い光を追う。


 冷気が再び襲うが、少年は壁を蹴り反発する力で、待ちの姿勢のイタチに不意打ちの一撃を与える。


 刃がイタチの背に当たり、金製の万年筆が砕け散るや青い光が消え、霧が晴れる。


 ガープの念話が途切れ、地下水路に静寂が戻る。


「はあ…はあ…やった…!」


 リズの念話が軽く笑い、響く。


「ハッ、やるじゃん、バスタ。ガープの万年筆、よく壊したね。けど、これで終わりじゃないよ。3年後の満月まで、もっと強くなってな。リーズロット・ハーク・パラフィウムを倒すには、こんなもんじゃ足りないわよ!」


 バスタは剣を握り、暗闇に叫ぶ。


「リズ! 次はてめえのピアス、ぶっ壊してやる!」


 フルカスが満足げに言う。 


「見事、若様! リズの試練を突破いたしました。ガープのレガリアは破壊され、ブエルの隷属も一つ失われましたな。リズの挑発は、若様を鍛えるための策略でございましょう」



 バスタは井戸を登り、夜空を見上げる。


 星が瞬き、カルナスの海風が汗を冷やす。


(リズ…3年後、絶対に勝つ! けど、フルカスが言う通り、ちょっと休まねえとな…)


 モノクルが新たな光を捉え、フルカスが言う。


「若様、新たなレガリアの気配…港町の外、砂漠の遺跡に。ですが、休息が先決。ミナ殿の紹介した店で体力を回復なさい」


 バスタは頷き、市場の裏に戻る。


 ミナが路地で待っていて、目を輝かせる。


「バスタ! やったの!? イタチ、どうなった? 芸でも覚えさせたら見世物ができそうだよ」


 バスタは赤毛を掻き、笑う。


「ガキに心配されるほど弱くねえよ、もちろん勝ったさ。ミナ、さっきの赤いカニの店、どこだ? 腹減った」


 ミナは手を叩き、弾んだ声で言う。


「やった! カルナスの名物カニ、超美味しいよ! アタシのイチオシ、『波の爪亭』に連れてく! バスタ、着いてきて!」


 波の爪亭は、港を見下ろす小さな木造の店だった。


 潮風が開いた窓から入り、漁師や商人の笑い声が響く。


 テーブルには赤いカニの蒸し物、貝のスープ、焼きたてのパンが並ぶ。ミナはカニの足を豪快に割り、身をほおばる。


「んー! 最高! バスタ、食べるの遅いよ! もっとガツガツいきなって!」


 バスタはカニの甘い身を噛み、思わず笑う。


(こいつ、貧民区で育ったってのに、こんな明るさ…俺も負けてられねえな)


「ミナ、こんな美味いもん、毎日食えんのか?」


 ミナは少し目を伏せ、笑う。


「んー、普段はパンと魚のスープくらいかな。カニは観光客が来ると市場で少しもらえるの! バスタみたいな冒険者と話すの、楽しいから頑張っちゃう!」


 フルカスがくすくす笑う。


「ほほ、ミナ殿のたくましさ、若様も見習うべきですな。この休息、3年後の戦いへの糧となりましょう」


 バスタはカニを平らげ、満足げに言う。


「フルカス、うるせえ。けどミナには感謝だな、いい店教えてくれてありがとな」


 食事を終え、バスタはミナに銅貨を渡し、近くの宿『潮風の灯』に泊まることにする。


 粗末だが清潔な部屋で、ベッドに横たわり波音を聞きながら考える。


(リズの試練、ガープの幻…俺、ちょっとずつ強くなってる。3年後、絶対アイツをぶち抜く!)


 翌朝、朝日が港を照らす中、バスタは宿を出る。


 ミナが市場の角で手を振る。


「バスタ! またカルナス来てよ! 次はもっと冒険話聞かせて!」


 バスタは軽く手を上げ、ニヤリと笑う。


「約束だ、ミナ。次はもっとでかい話持ってくるぜ」


 フルカスが言う。


「若様、休息で体力が回復しましたな。砂漠の遺跡へ向かう準備はできております。レガリアの気配、強まっておりますぞ」


 バスタは剣を握り、港町を後にする。 


「フルカス、行くぞ。リズも、組織も、俺が全部倒して王になる!」


 海風が少年の背を押し、新たな戦いが待つ。



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