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「パパ、央間氏はまだ来ないの」

「うーん、招待状は確かに出したんだが」

「私、何なら迎えに行ってもいいわ」

「お前が? 行ってはいかんッ!」


 突然飛び上がって叫ぶ邦明に、皆ぎょっとしてそちらを振り向く。紗百合ただひとりが片眉を吊り上げ、父を見つめ返す。


「どうしてよ。央間氏にこの場で罪を認めさせなくちゃ、目的は達せられない。――私なら何とか言いくるめて、ここまでしょっ引いて来られるわ。あの人は私に惚れ込んでいるんだもの」

「自惚れるんじゃない。相手はお前より一枚も二枚も上手なんだ。いくらお前が『紅唇の君』ぶりを発揮しても敵わんよ。それどころか、お前の美貌が相手の残虐性を刺激する可能性だってなくはないんだ。諦めて、警察の方々に行っていただくのがいいだろう。……わかってくれ、父として娘を危険に晒すのは耐え難い」


 最後の言葉には、紗百合も言い返せない。長い間行方をくらましたせいで、父にはかなりの心痛を与えてきた自覚がある。けれど、他人の手にこの大役を委ねる気には、どうしても、なれなかった。


(これは私が解決しなくちゃいけない。だって、敵を討つと誓ったんだもの)

(大劇場の瓦礫に埋もれて亡くなった、不運な人々に。私が瓦礫の中から引き上げた、可哀想な坊やに……)


 瞼の裏に描き出される、悲惨な大劇場崩落の景色。あの場に居合わせ、運よく難を逃れられた自分にこそ、人々の代わりに復讐を果たす義務があるのではないか。そうでなければ、自分がなぜ助かったのかわからない。……彼女の思いは、父の愛に背いてまでも復讐を遂げたいという方に傾いていった。


それは父にも、伝わった。娘の思い詰めた表情が内心の決意を物語っていた。


「……わかったよ、紗百合。お前の性格は、パパが一番よくわかっている」

「ごめんなさい、パパ」

「その代わり、誰か信頼のおける人をこの中から選んで、ついていってもらいなさい。勿論私も行くが、私だけでは心細いだろう」


 彼が何とはなしに周囲を見回しかけた時。早くも「私が参ります」という声が響いた。


「怜さん、行って下さるのね」


 紗百合が口元に微かな喜悦の笑みを見せる。彼も、先程放り捨てた仮面を手にしたまま、彼女に微笑みかける。


「ええ、お伴させていただけるなら、これに勝る光栄はございません」


 少しの間だけ交わした笑みが、互いの勇気を奮い起こした。二人は、邦明と、警官のひとりを後ろに従えて、如月邸の外へと向かった。


 しかしながら、それこそ自ら罠にかかりにいくようなものだとは、この時は誰も思いつきさえしなかった。後から考えれば随分迂闊なことだったが……。

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