第9章 復讐の時

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 日出海がもたらした真実は、富貴家のありように少なからぬ影響を及ぼした。中でも一番の変化は、若子の荒みよう。


 自分こそ正統な跡取り令嬢だと信じ、周囲にもそれに相応しい振る舞いを強いてきたのだ。その根拠となるものが、父母の作り上げた嘘っぱちだとわかった今、彼女は一体何を信じればよいのだろう? 誰の言葉をあてにすればよいのだろう。


 彼女は今まで以上に、自分を飾り立てることに執着した。宝玉の光だけが、彼女を裏切らず、忠実な僕のようにこの身を敬ってくれたから。


 しかしながら、宝玉は言葉を発してはくれない。彼女が次に求めたのは、自分を肯定し、正当性を与える千もの言葉! そして、ちょうど折よく、それらを携えて彼女を慰めにかかる者が現れた。


「若子、お前は父さんや母さんを恨んでいるかもしれないけれどね。これもみんな若子の権利のためなのだよ。いいかえ若子、日出海伯父さんには血の繋がった子供はいないじゃないか。瑶子なんて、余所から引き取った養女だよ、お前だって忘れてはいないだろうね。そうなれば、いくらお祖母さんの遺言があるからって、正統な後継ぎになるべき子供を持たない伯父さんが当主になれる道理はないじゃないかね。富貴の財産は、いつかはそっくりお前のものにならなきゃ、おかしいじゃないかね。だから父さんと知恵を絞って、正当な権利を行使したまでさ。……」


 母の辰代であった。辰代は甲高い猫撫で声で、若子の傍にくっついてこんなことをくどくど述べ続ける。娘の若子は無言だが、その眼には生き生きとした光が宿りつつある。母はそれに力を得てか、さらに耳馴染みのよいことを吹き込む。


「日出海伯父さんの裏では、あの瑶子が糸を引いているに違いないよ。お前の財産や特権を横取りしようと、外から機会を窺っているのに間違いないんだよ。所詮、卑しい子供の考えることはどこでも同じで、優れた恵まれた人のものを奪うことに躍起になるものなんだから。瑶子は昔からそうだったろう、虫も殺せぬような顔をして、その実卑屈なことばかりして……」


 辰代は夢中で喋り続ける。事実かどうかは、この際重要でない。ただ娘がやる気になりさえすればよい。そのために、哀れな瑶子は、母娘の中でどんどん醜怪な悪鬼に変貌させられていく。母娘は、そうしたことをして喜ぶ自分達の姿こそ醜いのだと自覚することなく、ひたすらに仮想敵をやっつける夢想をして面白がった。


 それだから、如月家から露路と瑶子の婚約の報せが届いた時、母娘はけたたましい悲鳴を上げたのである。


「お母様、お母様! こんなの絶対に嘘よ、認められないわ!」


 届けられた手紙を引き裂かんばかりにいきり立つ若子。母の辰代もそれを煽り立てるように同調する。


「ああお前、これが本当のはずがないんだよ。どうせ瑶子が、あの若い当主様にうまいこと取り入ったに決まっている」

「なら、お母様、私達はそれを止めに行く必要があるわねえ?」

「勿論ともさ」


 そうして二人は、いざ如月に乗り込むために自らをごてごて飾り立て始めた。青くなったのは亭主の利男ひとりであった。央間道鷹と如月の土地や何かを分割して……などと悪巧みをしていた手前、当の敵陣に赴くのは気が引ける。しかし彼が妻子に反論できるわけもなく――日出海との一件があって以来、彼の威信はさらに失墜した――金ぴかに輝き渡る二人の傍で小さくなりながら、彼もまた如月邸に向かう羽目になったのだった。


 一方、共謀者の央間道鷹のもとにも、同様の報せが届いていた。維新の前から、隣り合った三領の支配者達は、いずれかの家におめでたいことが、或いは忌むべきことが起きた時には自ら赴くのが慣習となっている。いわば親族のような付き合いを何代にも亘って続けていた。当然、今日も行かねばなるまい。


「礼服を用意してくれ」

「はい」

「車もな」

「はい」

「あと、私兵を三十人ばかり」

「はい?」

「何もそんな素っ頓狂な声を出すこともないだろう」


 礼服を持ったまま固まっている使用人に、道鷹は鷹揚に笑ってみせる。


「ほら、最近は物騒だからな」

「はあ……」


 使用人は腑に落ちないようだったが、結局は言いつけ通りに手配した。――パリッと粋な三つ揃いに着替えながら、道鷹はほくそ笑む。彼の瞼には、美しい紗百合の幻がゆらゆらと浮かんでいる。彼女が、富貴家の瑶子とともに保護されたことは彼も知っていた。そして今日、顔を合わせ、面と向かって絶縁を切り出されるだろうことも予想がついた。


 決してそうはさせまい。力づくでも、紗百合をこの腕に抱いて帰還してみせる。


 着替え終えて邸の外に出ると、塵ひとつついていない舶来の自動車と、ずらり並んだ捧げ銃の兵士達がお出迎え。


「お前達は護衛として、後ろを走ってくれ」

「はい」


 長らしき男が一歩進み出て、鋭く返事する。あとは道鷹が指示せずとも、この男がよいように采配を振るってくれる。道鷹は安堵して、舶来の自動車に乗り込み、ふかふかのクッションに身体を預けた。


 よく訓練された自慢の兵士達は、如月邸でも自分の指図通り動いてくれるに違いない。そして人々は、その統率力と無慈悲さに恐れをなし、この自分の要求を全て呑むであろう。気の弱い利男は勿論のこと、聡明な露路も、跳ねっ返りの紗百合でさえも……。


 後方の窓を確認すると、私兵達の乗るトラックがこの車の後をぴたりとつけて走っているのが見えた。


「帰りは先導してもらうかな」


 再び前方に向き直った彼の顔には、早くも勝利者の自惚れが映り始めている。

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