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「お嬢様、お従妹御の瑶子さんは今、どちらにいらっしゃるのです?」
「ええ……」
「おっしゃれないのですか。お宅におられるのか、おられないのか。おられないなら、居場所をご存知か、そうでないのか。大して難しい問いではないはずですがね」
加茂は強いて微笑もうとしているらしいが、ただ唇が震えて歪むだけ。
「……瑶子さんがどうかしたというのですか」
若子は自らも質問を発することで、答えを先延ばしにしようと考えた。やはり媚を含んだ微笑を以て。しかしながら、そんな小手先の技巧に迷わされる加茂ではない。寧ろそのために、彼の燻る怒りを煽る結果となった。
「まだ僕の問いにご回答いただけていないと思いますが」
「酷いですわ、そんなにお苛めになっちゃ嫌」
「酷いのはどちらですか。こうなったら、はっきり言いましょう。先日のパーティーの夜、あなたは瑶子さんをこの邸から追い出したのだ」
「……そのようにレディの名誉を貶めるようなことをおっしゃるには、相応の証拠がございましょうね」
「あなたの震える声と青白い顔が証拠だ……と言いたいところですが、あの日以来集めた証言をまあお聞きなさい」
彼は手帳を繰りながら、仲間内――今日のお茶会に招待されたが拒んだ者達――で収集した情報を伝えた。金も地位も時間も、さらには人脈もある彼らに、得られない情報はない。若子の面は、紙のように血の気を失っていく。拳すらも強く握りしめられて、白んでいる。
若子が瑶子にした仕打ちを喝破して、加茂はまた、手帳の頁をめくる。
「さて……改めて伺いますが、あなたは瑶子さんが今どこにいらっしゃるのか、本当にご存知ないのですね」
「ええ、知りませんわ。……あなた方はもうお調べになったんでしょう、何も私に敢えて聞かなくてもよいじゃありませんの」
「あなたの意思が、今の瑶子さんの境遇に関わっているのかを知るためです。しかしまあ、ご存知ないということで、話を先に進めましょう」
彼は、仲間内と懸命になって捜索した結果、央間村のはずれで、ギター弾きに身をやつした瑶子を発見したと報告した。若子は手を打って喜び、笑った。……瑶子が見つかったこと以上に、瑶子がドサ回りの芸人にまで落ちぶれたことが、痛快でたまらなかったのである。
「まあ、そう! ホホホホ……」
「これをあなたは何とお思いになります」
「いいざまだわ。あら、口が滑っちゃった。御免遊ばせ、ホホホホ……」
艶めかしく笑いこける若子。人の不幸をねぶるように味わい尽くそうとする、野卑な笑み。加茂はその醜悪さに心底から辟易した。金輪際、こんな所に来るものかと心で叫んだ。
加茂はやっとのことで感情を鎮め、最後の言葉を令嬢にぶつけてやった。
「あなたにはすみませんが、今こそはっきり申し上げます。……あなたが無秩序にお着けになっている宝石を全て合わせても、瑶子さんの明眸の価値には敵わない」
「マアッ」
「瑶子さんの美しく気高い資質に接したいばかりに、僕らはあなたのご招待を受けてきたのでした。が、当の瑶子さん――『明眸の君』がいらっしゃらないのでは、ここに来る意味も失われたようなものです。では、さようなら。皆さんによろしく」
彼がさっさと踵を返して扉の外に消えてしまうのを、若子は呆然として見送った。再び彼女が正気に返るのは、扉が閉じ切り、外の足音も遠くに消えてからであった。
先よりも強い憤りが、彼女の全身をわなわなと震えさせる。その憤りは、加茂とその一味から、瑶子ひとりに集中して向けられつつある。
ああ、憎たらしい従妹! この場から遠ざけておけば、自分の名誉を侵すことはあるまいと思ったのが迂闊であった。やはり、当初実行しようとしていた通りに、処刑してしまわなくてはならないのだ。その存在自体を葬ってしまわなくては、いつまでもこの身と権力を脅かし続けるに違いない。
(そうだわ。一刻も早くあの小娘を探し出して、処刑する必要がある)
(いや、ただ処刑するなんて生ぬるい。私の心を、名誉を、ずたずたに傷つけたのよ。あの小娘の心も身体も、目も当てられぬほどにぼろぼろに傷つけて、村人の前で罵詈雑言の雨を浴びせて、それから火を点ける。そのくらいしなくちゃ、罰とは言えないわ)
(そうよ。私を傷つけた相手なんですもの……)
若子の中では、自分が傷ついたなら、別の誰かはそれよりももっと傷ついていなくてはならない、という理屈がまかり通っていた。でなければ、自分ひとりが馬鹿を見たような、損をしたような気に駆られるのである。そして彼女には、そうした気持ちがたまらなく耐え難い……。
ふとあることが思いついて、若子は庭へと足を向けた。
「ちょいと、お前さん! ここへおいで」
呼びかけた相手は、庭師の男。数か月前に来たばかりで、大して仕事熱心ではないが、それなりに従順ではある。
「へえ、俺ですかい、お嬢様」
「そうよ、早くここへおいでったら。お前さんに特別頼みたいことがあるんだから」
「へえ……」
図体の大きな身体をのそのそと引きずって、彼は令嬢の前で腰を屈める。
「あのねえ、お前さんに頼みたいことというのはね」
「へえ」
「央間のどこかにいる旅芸人の女を連れてきてほしいの。その女はね、ギターっていう、西洋の小さな琴みたいな楽器を持っているから、すぐにそれとわかるはずよ。よくって?」
「はあ」
「その女は、元々この村にいた者で、大変な重罪人なの。お前さんを見込んで、捜索を頼むんだから、ね」
「はあ」
男はどこが腑に落ちないのか、曖昧な返事と表情をするだけで、やるともやらないとも言わない。――若子はにやりと笑って、強力な切り札を出した。即ち、指にはまった大粒の宝石入りの指輪をひとつ、抜き取ったのである。
「勿論、ただで頼みはしないわよ。これをあげるから、どうかよろしくね」
掌にぽんと置かれた指輪は、昼の陽光を受けてきらきらと眩い輝きを放つ。男も、初めて間近に見る宝石の光に、目が眩んだらしい。暫しぼんやりとして口も利けずに、瞬きばかりを繰り返していた。そこへ、悪魔のように心を惑わす、若子の声――。
「件の女を連れてきた暁には、もっといいものをあげてもいいわ。そうしたらお前さんは、庭師なんか止して、故郷に立派な田畑付きの家を拵えて、可愛いお嫁さんも貰って、何不足ない暮らしができるじゃないの……」
「はあ……わかりました。きっと、その女とやらをとっちめて引っ張ってきます」
彼の眼は、先までとは打って変わって、明確な意思を持っていた。希望に満ちて、光を湛えているようにすら、傍の者には見えたであろう。若子もまた、自らの望みを達せそうだという喜びに、満面の笑みを浮かべていた。
「その意気で、しっかり頼みますよ。馬にも乗れたんだったわね、お前さんは? 乗ってお行き」
「はあ、ありがとうございます。では、善は急げと申しますで、行ってきます」
男は飛ぶような勢いで、庭を後にし、厩舎へ向かった。若子はもう、笑い声を堪えることができなかった。
あの憎たらしい瑶子も、愈々終わりだ! あの庭師の男に引っ立てられて、自分の前に突き出される未来が、広場の真ん中に立つ棒杭が激しく燃え盛る光景が、今から目に浮かぶようではないか。
「あら、いけない!」
若子は慌てて、庭を突っ切って邸内へと戻った。お茶会の場を長く外していたことに、漸く気づいたのだ。しかしながら、小広間に駆ける間も、彼女の頬には次から次へと新しい微笑が込み上げてきて、絶えることはなかった。
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