製パン界の闇

「ブツの出回り所を見つけるねぇ。」


 譲司は小さなビニール袋に詰められた少量の化学調味料まいるどどらっぐを眺め呟いた。入手経路を見つけるならまず、どこで使われているかを知ることが近道だ。譲司は製粉町商店街の広場へと向かった。製粉町商店街は商店街と呼ばれるが裏路地、大通りを含めれば大きな区画である。その中心地には大きな銅像があり主食区しゅしょくが当時有名だというデザイナーに設計させ建てられたものだが譲司はその銅像を見る度に悪趣味な銅像だと思っていた。譲司は広場に到着し当たりを見渡せばすぐに目当ての人間を見つけることができた。丸眼鏡に薄汚れたダークベージュのコートに中は拠れたスーツ姿の男。笹山吉郎だ。笹山は大手新聞社に務めている記者だ。指定製パン組織のネタを主に担当しており譲司は時折何か情報を渡したり口利きをする代わりに彼からネタを得ていた。お互い持ちつ持たれつという関係だ。この件も笹山の耳に入っていてもおかしくないと譲司は踏んだのだ。この商店街でも白いスーツ姿は十分に目立つ。笹山は譲司の姿に気がつくと少しずれていた眼鏡のフレームに触れながら譲司の元へ駆け寄った。

 

「お久しぶりです。高木さん。」

「よお。笹山。元気そうだな。」

「お陰様で。最近は抗争が減って僕も仕事が上がったりです。」


 譲司と笹山はお互い当たり障りのない近況報告を交わし雑談を始めた。数分、2人は話し話が途切れたところで笹山が声を潜めて譲司に尋ねた。


「高木さんが今日僕に話し掛けたのって例の脱法粉の事じゃないんですか。」

「なんでそう思う。」

「分かりますよ。今この商店街の裏側の方じゃどの組織も探りを入れて動き出してるヤマですよ。高木さんの所だってそうでしょう?」

「相変わらず目敏いな。」

「これでも、社内ではベテランに入るくらいこの街のネタをを集めていますから。」

 

 訝しげに笹山へ答えた譲司を見て頼りない笹山は誇らしげに胸を張った。頼りなさそうな見た目によらずこの笹山という男は鋭いのだ。一つ溜息を吐き、お手上げだと両手を上げ譲司は肯定の意を示した。


「で、何か情報はあるのか。」

「詳しいことはまだ。主な流通先はストリートパン屋だというところまでですね。」


 ストリートパン屋。政府にも指定製パン組織、どちらにも属さないならず者集団のことだ。パンヤクザになれないチンピラや不良少年が衛生管理の無い環境でどこかから違法に仕入れたパンの材料を仕入れ、焼き、時には指定製パン組織から直売だと偽り町中で手売りをするパン屋の風上にも置けない連中のことだ。確かにそんな連中か脱法粉を用いたパンを焼いてもおかしくない。譲司は笹山に続きを話すようにと促した。


「僕もストリートパン屋の人達とは繋がりがなくて調べるツテを探しているんです。もし、何か情報があったら連絡しますよ。」

「ああ。恩に着るぜ。」


 そうして、手短に挨拶を済ませ何事も無かったかのように2人は広場で別れた。

 ストリートパン屋が動き出すのは精々夕方過ぎ、町内の製パン組織が店じまいを始めた後だろう。その間まで譲司は事務所へ戻り作業の続きと明日の仕込みの準備に取り掛るため、戻って行った。

 作業場へ戻り、窓から店内を伺うと美緒が見切り品の準備をしていた。ビニール袋の中へ丁寧に3つずつパンを詰めていく。詰められたパンはこの時間を狙ってやってきた客が中身を吟味してトレーの上に乗せていきレジへ並ぶ。この時間、器具の片付けを構成員に任せ、譲司は店内へ入りレジに並ぶ客の相手をすることが多かった。数人レジで客の相手をしていると子連れの女がトレーに見切り品の袋と動物の形に成型されたパンを持ってやってきた。譲司は金額を計算し女が現金を用意している間に袋にパンを詰める。会計を終え、釣り銭を渡し見切り品が入った袋を女に動物型のパンが入った袋をその子供に渡してやった。


「おじちゃん!ありがとう。」


 子供は袋を受け取り嬉しそうにその場で飛び跳ねた。女は子供を窘め譲司に会釈をして店を後にした。やがて、最後の客が店を出て美緒が店内の掃除を始め正雄がレジ締め作業に入る。いつもの店の様子を見て譲司は裏へ戻り、着替えを始めた。

 白いスーツ姿になった譲司は事務所を出て商店街の外れへ向かう。ストリートパン屋は大抵、指定製パン組織が幅を利かせている大通りには寄ってこない。譲司はある程度予想をつけていた裏通りへと足を進めていった。シマ中とはいえ、裏通りはパンヤクザの手が回っていないのが現状だった。一歩通りに足を踏み入れればホームレスや浮浪児が道端で横たわり、日没前にも関わらず薄暗い。怯むことなく譲司は進んでいった。遠くから軽快な音楽が聞こえる。それを頼りに更に進めば白い軽トラックが一台止まっていた。トラックの周りには10代くらいの少年たちが屯しており自分たちに近づく譲司を訝しげに見つめた。


 「お前ら、パン屋だろ。」

 「だったらなんだってんだよ。」

 「そんなに邪険にするなよ。俺は客だ。」

 「オッサン、パンヤクザだろ。」

 「ここにはヤクザ様に売るパンなんてねえんだよ。」


 今にも嚙みつきそうな少年たちの剣幕を物ともせず、譲司はすんとあたりの空気の匂いを嗅いだ。甘い匂いだ。


 「聞き方を変える。お前ら、これに見覚えは?」


 譲司は胸ポケットから郡山に渡された白い粉が入った小さな袋を取りだし少年たちに見せる。それを目にした少年たちは顔を青くした。どうやらアタリらしい。


 「オッサン、それを知ってるなら生かして帰せねえわ。」


 少年たちの一人がそう言い放ち叫びながらナイフを構えた。それを合図に拳を構え、あるいは近くに落ちていた鉄パイプを拾った少年たちが譲司へと襲い掛かる。譲司はナイフを持つ少年の右手を掴み彼の鳩尾に左膝を入れる。流れるように振り下ろされた鉄パイプを躱し首の後ろめがけて肘を入れ倒れた。倒れた仲間たちを見て残された少年は震えあがり尻もちをつきガタガタと歯を鳴らした。後退る彼の前にゆっくり歩き目の前に立った譲司はしゃがみ込み目線を合わせ、白い粉が入った袋を1回振った。


 「お前たちは、これを、知っているな。」

 「違う……!俺たちは仕入れただけで……!」

 「仕入れた?誰から?」

 「わ、分からない!俺たちは売り子だから製パンなんてしたことなくて!」


 しどろもどろに答える少年を譲司はにらみつける。怯えた少年は言葉を発することができずにぱくぱくと口を動かすだけだった。本当にこれ以上のことは知らないようだ。譲司は拳を振り上げ勢いよく少年の顔面へ振り下ろした。鈍い音と共に少年の上体はずるりと地面へ落ちていった。


 「まあいい。だが、こいつを使ってシマを荒らした事実は変わらねえ。ケジメはきっちりつけてもらうぞ。」


 拳を緩め数回軽く振り、譲司はスマートフォンを取り出し正雄へ電話を掛けた。この少年たちを引き取りに来るようにと指示をして電話を切った。


 「このガキ共はどこかから仕入れたと言っていた。なら、出所は……?」


 譲司はトラックに詰められたあんぱんを一口齧った。ウチのそれとは比べ物にならないくらい甘ったるく砂利のような舌触りだ。正雄たち舎弟を待つ間、口直しにと譲司は煙草を咥え煙を吐き、いまだ見えぬ化学調味料まいるどどらっぐの出所を思案するのだった。

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