三十九話 「潜む影、走る鼓動」
コロンバンガラ島を目指す暗夜の航路。昭和十八年七月二十三日、駆逐艦「雪風」は「三日月」「浜風」とともに、同島への物資輸送任務に就いた。激戦が続くソロモン海域での任務は、もはや単なる“輸送”ではなく、命を賭した闇夜の戦争そのものであった。
「本艦、前進用意。ウィルソン海峡、通過開始!」 艦橋で叫ぶ声が響く。雪風は今回、初めてベララベラ島とガノンガ島の狭間――ウィルソン海峡を通過することになった。
操舵員の伊豆涼介少尉は額に汗を浮かべつつ、舵を握る手に力を込めた。 「狭い……こんなとこ、戦艦だったら通れねぇな」 暗黒の海面を、波頭だけが白く光る。視界は皆無。だがこの先には、アメリカ軍魚雷艇が待ち構えている。
突如、探照灯の光が海峡を照らす。「魚雷艇だ、十二隻!」 艦橋に緊迫が走った。即座に照準を定めて応戦、砲火と機銃掃射が暗闇を切り裂く。
「舵、十五度左!回避!」 伊豆の声が鋭く飛ぶ。魚雷の航跡が右舷をかすめていく。雪風は魚雷艇を振り切り、他の二隻も無事に揚陸地点に到達、コロンバンガラ島への物資揚陸に成功する。
それから数日後の七月二十五日、雪風と浜風は、二十日の夜間空襲で被弾し大破した重巡洋艦「熊野」と、給油艦「風早」の護衛任務に就くためラバウルを出港した。
夜が更け、波間に月が浮かぶ頃。七月二十七日午前一時――。
「艦首方向、艦影発見!……潜水艦です!」 見張員の緊迫した声が飛び交い、艦橋が騒然とした。
伊豆は艦橋から双眼鏡をのぞいた。「……潜航前に見つけられたのは僥倖だな」 すかさず熊野と風早に変針を促す信号が送られる。浜風と雪風は速度を上げ、海中へ潜った敵に対して爆雷を投下した。
轟音が水中を震わせ、黒い海面が白く泡立つ。
「……命中の感触なし」 兵員が呟いたその時だった。
「風早、被雷……しかし航行は可能との通信です!」 まさかの無線無しの特務艦に魚雷が命中。それも幸運にも致命傷には至らなかった。艦橋では怒号が飛んだ。
「なんだ、無線積んでねぇのかあの船!ふざけるな、こんな状況で前線に出すな!」 伊豆も苦々しい面持ちで操舵を続けた。彼の手の平は汗で濡れているが、力強く舵輪を握る。
「誰の命令で出した……この戦争、前線は命張ってんだぞ」
雪風は浜風とともに風早の周囲を固め、熊野と合流。慎重に進路をとっていく。
七月二十九日、四隻は無事にトラック泊地へと帰還した。だが雪風の乗員たちの胸に残ったのは、無線も積まれず最前線に出された風早という特務艦の存在、そして作戦立案者へのやるせない怒りだった。
「……運だけじゃ、もう限界だな」 伊豆が低く呟いた声は、甲板の上を吹き抜ける風に、誰にも届くことはなかった。
雪風は幸運艦と呼ばれながらも、そのたびに仲間の死を見つめ、海の現実に向き合っていた――。
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