第2話 知らない記憶、知らない君2

「あなたに心臓をあげたのは、私なの」

 そう名乗った少女、天音鈴は、まるで春の空気のように静かで、そして儚かった。

 「冗談……だよな?」

 律は思わず笑ってごまかそうとした。けれど、鈴の表情は変わらなかった。

 むしろ、どこか懐かしささえ感じる視線で、まっすぐに律を見ていた

「あなた、グレープフルーツ食べられるようになったでしょ?」

 「……なんで知ってる」

 「それ、私の好物だったの。チョコは苦手だったけどね」

 律の鼓動がドクンと跳ねた。

 口には出していない。誰にも話していない。けれど、彼女は知っていた。

 「……幽霊、なのか?」

 「かもね。でも、まだ成仏してない幽霊ってところかな」

 鈴はふっと笑った。風に溶けてしまいそうなその笑みに、陸は目を奪われた。

 「私ね、生きてる間にどうしてもやりたかったことが、いくつかあるの。

 それを、あなたに——お願いしたいの」

 陸は混乱していた。

 自分の中にあるこの心臓が、彼女のものであるという現実。

 そして、その心臓が、ただ鼓動を刻んでいるだけでなく、彼女の“記憶”や“願い”さえも連れてきてしまったという事実。

  「……なんで俺なんだよ。俺は、ただ普通に生きてるだけで精一杯なんだ。そんなの、できないよ……」

 思わずそう口にしていた。けれど、目の前の少女は、少しもたじろがなかった。

 「そんなこと言わないで。私はあなたに心臓をあげたのよ?──文字通りの“命の恩人”なんだから。少しくらい恩返ししてくれても、バチは当たらないと思うけど?」

 からかうような口調。でもその奥には、揺るがない想いがにじんでいた。


 鈴は制服の袖をつまみながら、照れくさそうに言った。

 「じゃあ早速、最初のお願いはね——学校で肝試しをしたいの」

 「……は?」

 「あ、やっぱり変かな?でもね、入院してて、一回も参加できなかったの。

 友達と、夜の学校で、懐中電灯持って、キャーって叫んだり……そういう、普通のこと、してみたかった」

 律は何も言えなかった。

 普通のこと。それは自分がずっと、手に入れたくても届かなかったものだ。

 退院して、ようやく掴んだはずの日常。だけど今、自分の中で動いている“誰かの命”が、その日常を一度も知らずに終わったという現実。

鈴はにこりと笑った。

 「無理にとは言わない。でも、もし少しでも協力してくれるなら……

 私、ちゃんと、あなたにお礼がしたい」

 「お礼?」

 「それは、最後のお楽しみ」

 風が廊下をすり抜けていく。

 鈴の姿は、ふと気づいたときには、もう消えていた。

 でも律の胸の奥では、確かに何かが——いや、“誰か”が、ドクンと静かに叫んでいた。

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