第2話、遭遇


 ***



 ——最悪だな。


 結局同じ部署のメンバーの尻拭い作業をさせられ、サービス残業をする羽目になってしまったからだ。スマホを開いて時間を確認する。


 ——十時二十分かー。


 時刻までもが例の事件と重なってしまっていたので遠い目をした。第一に起こった初めの陥没事件の事といい、俺ってもしかして呪われているのか? と聞きたくなるくらいの運の無さだ。


 ——遭遇しませんように……っ。


 電車から降りて最寄駅から自宅までの帰り道を歩いていると、サイレンを鳴らしたパトカーとすれ違った。


 通常のパトカーはモノクロだが、特殊能力絡みのパトカーは車体の色が真っ黒だ。そして横から二分割するように白のラインが入っている。


 嫌な予感しかしねえな……さっさと帰ろう。ため息をつく。


 白ラインの黒いパトカーとすれ違ったという事はそういう事だ。推測するまでもない。例の事件がこの近くで起きている。


 足早に歩いていくと、ちょうど今いる場所とアパートまでの中間地点に当たる場所で、人型の何かが立っているのが分かり五十メートル後方で足を止めた。


 うわ、マジかよ。

 こんなに離れているのに圧が凄まじい。

 背後に冷気と思わしき薄ら寒い物を感じて、神経を逆撫でされたような気になった。


 前方に立っている〝それ〟は、たまに異世界ファンタジーアニメや漫画で見かけるオークという魔族と、ニホンに伝わる鬼を足して二で割ったような見目をしていた。


 筋骨隆々で真っ赤な体にボロ切れのような和装姿。千切れかかっている袖からは太い腕が見えている。


 その大きな手には刃先だけでも五十センチは超えていそうな斧が握り込まれていて、前頭部には鬼のように二本の角らしき物が生えているのが背後からでも確認出来た。街灯の下にいるので夜間の遠目でも分かりやすい。

 ゆうに二メートルを超える巨体を支える素足も四十センチはありそうだ。


 ——嘘だろ……ガチで遭遇しちまった。あんなんとどうやって戦えと!?


 死しか思い浮かばない。早く能力者の誰か来てくれという願いも虚しく、閑散とした空気が流れるだけだった。


 そんなホイホイと能力者が登場するのならば、殺される人間も居ないだろう。

 幸いにもまだ振り返られてはいないので、気付かれていないはずだ。ゆっくりと後退りして、先ずは電柱の物陰に隠れた。


 このままもう少し戻ったとこにある小道から別ルートを行こうと決める。怪物を見つめたまま音を立てないようにと細心の注意をはらい、後ろ向きに歩き出す。


 ——もう少し! もう少しだ!


 実際にこうして遭遇するのは初めての経験だ。

 恐怖で震えそうになっている足を叱咤して先を急ぐ。無事小道に入り「逃げ切れた」と安堵し正面を向いた時だった。


「ひひひっ」

「っ!!」


 さっきまで視界で捉えていた筈の怪物が、吐息も届きそうな程の近距離にいた。


 ——嘘だろ、何で!?


 空気を裂くような音がした後で斧が振り下ろされる。


「うおっ!」


 ——おいおい、これアスファルトだぞ!?


 間一髪避け助かったものの、たった一撃でアスファルトの地面に一メートルくらいの亀裂が入り、所々粉砕されていた。その中心には穴が空いている。


 ——ヤバい。コイツたぶんあの猟奇殺人者の方の怪物だ!!


 二撃目と言わんばかりにまた斧を振り下ろされ、地面を転がった。思いっきり左手を地面についてしまい、反動でそのまま横向きに滑る。鞄もあらぬ方向へと横滑りしていきやがて止まった。


 スーツジャケットが破れて下に着ているシャツが見えている。安物とはいえ、新調するとなれば俺にとっては手痛い出費だ。


 ——その前にこんな怪物からどうやって逃げればいいんだよっ!


 恥だと思われようが構わずに一目散に逃げ出す。数メートルも行かない内に膝がガタつき、また派手に地面を転がった。



 ——やべ、足に力が入らねえ!


 こんなに走ったのは学生の頃以来だ。焦りと緊張感で足がもつれてまた転ぶ。

 振り返ると怪物がまたすぐそこにいた。繰り出された斧を転がってまた避けたものの、もうこれ以上はもたない。


 次の攻撃は避けられそうになくて、逃げられないようにする為にか左腕を切り落とされた。次いで右足にも激痛が走る。


「う、が、ぁああああ!」


 叫んでのたうち回った。

 患部は熱くて焼き付いたような痛みを発している。

 こちらの様子を見て、怪物は狩りを楽しんでいるようにニタニタと嬉しそうに笑みを浮かべていた。


 ——怪物って知的能力もあるんかよ!


 明らかに今の状況を心から楽しんで愉悦に顔を歪ませている。ただ単に殺そうとしているようには見えない。これから獲物をどう料理して、どう嬲り殺そうか考えている気がした。


「ひひ、ひひひ」


 ゆっくりと大きな足が持ち上げられていく。

 昼に見ていたニュースを思い出す。潰されていた上半身の画像が脳裏をよぎった。もしかしてあれはこの巨大な足で踏まれて潰されていたのか……。

 怪物の上、サイコパスとか組み合わせが最悪にも程があんだろ!


 どうやら俺もあの踏み潰されたニュースの被害者と同じ運命を辿るっぽい。こんな所で死ぬと分かっていたなら、もっと真剣に人生を謳歌していれば良かった。


 ——あああ、死にたくねぇええ!!


 横に転がって交わすくらいならまだ出来るかもしれない。そう思って正面から怪物の動きを見逃さないように睨みつけた時だった。


「させない!」


 第三者の声と共に目の前が紫色の液体で染まっていく。頭の上から大量の体液が滴り落ちてきて呆然とした。


 ——は? いま何があった?


 訳が分からなかった。働いてくれそうにない思考回路を無理やり働かせて、斬り落とされて飛んでいった怪物の頭を見つめる。


「首が……飛んだ……?」


 鈍い音と共に怪物の体も膝から崩れ落ちて地に伏す。倒れた怪物の裏側には一人の人物が立っていた。


「大丈夫か、アンタ? すぐに救急車と警察を呼ぶ」


 青年と呼ぶには細い身なりで、少年と呼ぶにはしっかりした口調だった。


 ——コイツ能力者……か? 刀を持っているとこを見ると、コイツが倒したんだよな?


 一瞬の出来事だったのでまだ脳内処理が追いつかずに、茫然自失としたまま視線だけが絡んだ。


「申し訳ない。その様子じゃ大丈夫じゃない……な。能力者の中に〝再生〟能力を持つ者がいる。その人たちに治して貰うといい。切れた手足もちゃんと元に戻るから」


 スマホで連絡を入れた男がこちらに向き直る。


 ——あの怪物死んだんだよな? でも……何だこの違和感……?


「あの……」

「喋らずにいた方が良い」


 怪物はもう死んだというのに、ちっとも安心感に包まれない。それ所か脳内が警戒信号を発し、寒気と鳥肌が止まらない。何だ? 何なんだこの感覚……っ。


 神経も昂っていて、ハッハッと浅い呼吸だけを繰り返す。

 男がすぐに止血してくれたが、その間に出ていた血液量が多かったのが災いとなり、貧血になっているようだ。意識が朦朧とし、頭の中がフラフラしていた。


「もう少しだ。もう少し頑張れ」


 男からの声かけに力なく頷く。飛んで行こうとしている意識を必死で繋ぎ止める。どうしても伝えたい事があったからだ。


「ダメ、だ。その怪物はまだ……」


 生きている、と言いかけた時に意識がブラックアウトする。


『——発動』


 脳内で何処からともなく声がした。

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