蔽《ヘイ》

 このへや中の隙間を密閉することにした。


 後ろ手に掃き出し窓を閉め、更にカーテンを引いて覆う。ここはこれでよし。


 はざま、穴ボコ、その全部を埋めてやろう。そう決めてからは早かった。

 まず電気を点けた。蛍光灯が目を覚まし、たちまち真昼よりも明るくなる。

 これで昏い所がより目立つようになった。

 物置室と化している客間からガムテープを引っ張り出してきた。過ぎゆく一秒すら惜しい、急がなくてはならない。

 客間にて目当てのテープを発見した時、

 まずい。何かが侵入したのかもしれない。一刻も早く、全てのくらがりを埋めなくてはならない。


 矢のように駆け出すと、まず玄関に向かう。

 覗き窓、郵便受け、鍵穴──その全てをペタリと塞ぐ。その全てが無くなると、胸がすくような気分になった。


──そうか。わかった。悟ったぞ。ガムテープこれは包帯なんだ。


 穴や溝、隙間は傷と同じなんだ。放っておいてはうみが出てうじが湧く。この感情は恐怖とは色が違う、これは嫌悪だ。

 克服すべき恐怖ではなく、排除すべき汚泥おでい。這いずり回る虫に、憎悪こそすれ何を恐れる?


 そんな真理に至った俺は徹底する。


 換気扇にガーゼダンボールをあてて、解けないよう上から包帯ガムテープで補強してやった。

 壁に空いた画鋲の穴や、細かなひび。これらは傷薬水糊を塗ったくって、その上から絆創膏付箋を貼ってやった。


 ウン、俺はピカイチの名医だ。次々と薄汚い隙間が処置され、俺が救われていく。

 聴診器イヤホンを耳に、右手には鋭いメスカッター。これがお医者様でないならなんだと云うんだ。


 弾んだ心のまま次の患者洗面台に向かうと、そこには鏡があった。


──絶句。言葉を失った。


 なんてことだ。俺の顔に、それも中央の所に二つも穴が空いていやがる!


 アァ、運命はくもグロテスクなのか!

 どんな最高の医師だって自分自身を治せないだろう。そんなのはフィクションの中にだけあることだ。俺は大真面目に、現実を生きているのだ。そんなものは関係ない。


 鼻から蛆が這い出てくる想像おもいのむず痒さと気色悪さに身を震わせた。目の前に救える命があるのに、手出しが出来ない歯痒さのなんと悔しいこと。

 行き場のない怒りで右手を振りかぶり、一息にメスを鏡面に突き立てた。砕け散る鏡のどこにも悪いところはない。申し訳ないことをした。強いて云うなら、虫の居どころが悪かった。


 いや、諦めるのは早い。破片の中で奮起する。試してみる価値はある。まず、包帯で塞いでしまおう。

 鼻を僅かな間もなくピッタリと塞ぐ。取り急ぎの、応急処置だ。

 果たして効果は抜群だった。

 忌々しい鼻腔びこうは失せ、のっぺりとした手触りで満たされている。


 やった、手応えに口がニヤリと歪んだ。

 その瞬間、新患に思い当たってしまった。


 この口はどうすればいい? 鼻が塞がった今、パクパクと見苦しい穴を晒しているこの口を。

 駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ……。

 このままでは喉奥から溢れる腐敗した、臭い膿汁で溺れてしまう。歯の根を撫でるよう爬行はこうする蛆虫が、米粒のようにこぼれて──


 はらの底からせり上がる。何とか、こぼさない様に食いしばる。


 ……背に腹は変えられない。あたら呼吸を切り捨てて、口にも包帯を二重三重にしてやる。


 息の出口がなく、我ながら驚くほど頬が膨らむ。耐えられずに倒れ込むと、床に散らばった鏡の欠片に眼がいく。そこに映る姿は酸欠で赤くなった顔が膨れ、まるで赤い風船のようで──


──人、皆七竅しちきょう有りて、もっ視聴食息しちょうしょくそくす。


 情けない。窒息の苦しみから、自分で施した処置をめちゃくちゃに切り裂いてしまった。そして、死に瀕した際、追い討ちのような確証を得た。


 逃げようとするのが無理な話なんだ。人は暗闇からは、穴から離れられない。七つの穴を抱えたまま、腐臭に塗れて生を繋ぐしかない宿命なんだ。そう、七つ、七つもの──


 いや、そうか。たった二つでイイじゃないか。たったそれだけ塞いでしまえば、隙間なんてミンナなくなるじゃないか。


 何故、隙間を怖がる。

 それは身の毛もよだつ何かを目撃してしまうおそれがあるからだ。


 何故、隙間を見つけてしまう。

 それはこの眼が右へ左へ動き回り、探し当てた隙間を捉えて離さないからだ。


 こうして理屈立ててしまえば、実に簡単なことだった。理にかなっている。


 手にしたメスを目に焼き付ける。このきらめきが、キット最期だろうから。


 こうして俺は、一人瞑目した。

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