第五話 どうかわたしを見つけないで【完結】



 何があってもいいよう、叔父が仕事で遅くなる日を選んだ。部屋着でリビングへ赴くと、頭の痛くなる大音量でネコがネズミを追い回すカートゥーンアニメが垂れ流されている。液晶正面のソファーに人影はない、が、その足下に小さく体育座りで収まる笑美の姿。私の接近にも気づかないで、ぼんやりとネコの醜態を鑑賞している。この子はもう、殴られすぎて、片耳がろくに聞こえなくなってしまったのだ。


「笑美」

「……あ、おねえだ。おひさ、髪切った? なんて、切られたのは私の方でーす、きゃはは」


 一本、変な方向に曲がった指が立ったままの右手で己の頭を指す。戻ってきたとき背中まであった伸び放題のプリン髪は、今やバリカンでざん切りにされていた。愛嬌がまだ辛うじてわかる面相の縁には、相変わらず醜い丸やけどが並ぶ。テレビを消させて、妹の正面へと回り込む。


「あんたにね、お願いがあるの」

「なーに?」


 私は絨毯に跪き、額を毛足に擦り付けて嘆願した。


「お願いします、私はどうなってもいいです。どうか、叔父さんを解放してあげてください」

「えー、やだって言ったら?」

「あんたを殺すのが、叔父さんから私に交代するってだけ」

「やーーっばぁ! ……ああ、ほんっとうに、おねえは康孝くんのことが好きなんだね」


 声色が変わった気がして、顔を上げてみた。ずれた眼鏡の向こう、体育座りのまま私を見下ろす笑美は、見覚えのない大人びた表情で薄く微笑んでいる。


「おねえにはゴメンだけど、私、康孝くんに関しては何もしてないよ」

「嘘、あんたの特異体質のことも、それを悪用してお母さんを追い詰めたことも、全部聞いたんだからね」

「特異体質なんて、そんな……うぅ、ぐっ……!」

「!? 笑美? ちょっ……すごい熱……!!」


 突然呻きをあげて倒れ込んできた妹を支えて、触れた身体の燃えるような熱さに仰天する。咄嗟に救急車を想起して、叔父を守るため、それはできないことを思い出す。このまま見捨てる他ないのかと息を呑んだ――強張った私の掌から、逃げ失せていく熱。次の瞬間には、当惑する私の顔を、けろりとしたツラの妹が愉快げに覗き込んでいた。


「ぷくく、これ、すごいでしょお。隠し芸大会出れるよね、ヒミツだよ」

「っ……本当に、体温を、自分の意思で上げ下げできるのね……」


 にわかには信じられなかった仮説だったが、叔父の推理は的中していた。ならば、他のところの推論も大方的を射ているのだろう。


「あんたは、その手品みたいな体質でお母さんたちを弄んで追い詰めた……叔父さんのことも、自分へ暴力を振るうように挑発した。そうでしょう!」

「ママたちで『試した』のは当たりだよ。どこまで保つのか気になって、たくさん頑張ってもらっちゃった。死んで残念だよねえ」

「ッ……悪魔……!!」

「でも康孝くんにはほんとのほんとに何もしてないったら」


 何を馬鹿な。それでは、彼が自由意志でお前を執拗に嬲り続けているというのか。


「まあ、ちょーっとだけ焚き付けたのはやったかな。ママの話をしてあげたの。あの人シスコンだから、あとは簡単に化けの皮が剥がれたよ」

「語弊のある言い方はよして! 叔父さんは優しい人……あんたが惑わしておかしくしただけ! あんたさえいなければ!!」

「おねえじゃマドわせないからって、八つ当たりは勘弁してよ」

「ッ!!」


 妹の目は不快感を掻き立てるカーブで細められ、陰になった眼窩の中心から覗く瞳には、全てを見透かす妖しさがあった。


「いちにぃさん…三ヶ月くらい? どうだった、二人きり。おねえを怒らせちゃった、お詫びのプレゼントのつもりだったんだよ。なんか進展あった?」

「進展って……馬鹿、私と叔父さんは、そういうんじゃない。叔父と姪っ子は結婚できないのよ、笑美」


 自分で言っていて血を吐きそうだ。けど、納得をつけたからそれでいい。苗字を同じにしなくたって、私たちは婚姻の目指す家族という到達点に初めから至っている。


「私はあの人の、自慢の愛娘。そう言ってくれた……だからそれに恥じない生き方をするの」

「ぎゃは!! ウソ、あいつ、そんな気色悪いことおねえに言ったの!? やばすぎ」


 なにがおかしい。私の貞淑な決意はそんなに、噴き出すほどに滑稽か。笑美は目尻に滲んだ涙を拭って、大きく天を仰ぐと、また身を起こして私に向き直った。


「私は何もしてない。あいつが根っからキモいだけ」

「しらばっくれるな!」

「ママの遺骨のカケラをこっそり盗んで火葬場の影で飲み込んでるような、筋金入りのシスコン変態が、ママの産んだ他の男のガキを死ぬほど憎んで殴ってるだけだよ」


 事実の、目撃談を語られていると理解するのに時間がかかった。固まる私以上に、妹の表情は死んでいる。


「おねえには、ごちゃごちゃ言い訳並べたみたいだけど……あの人、単に私の顔がムカつくから殴ってるんだよ。パパそっくりだし」

「うそ、だって、それなら、私も……」

「おねえはうっすらママ似じゃん。ぐわーって眉毛吊り上げてヒスってるとわかりやすいよ。それに、誰にもはっきり似てないってのは、康孝くん的に都合が良かったんじゃないの」


 大人になったら、母のようなきれいな人になれると保証してくれた叔父との、屋根裏部屋の記憶。心の宝箱に大事に包んでしまっておいた金平糖の輝きが今、どうして崩れて床に散乱しているのだろう。


「実の娘だと思ってる? 思いたかったんでしょ、ママを孕ませたのが自分だって。あの人、できもしない妄想に取り憑かれてたのよ」


 きみの、本当の父親になりたいと、差し伸べられたアガペーがドロドロの欲に変貌する。うまく呼吸ができない。でも、だって、叔父さんは言ってくれたもん。この世で一番、私が好きって。


「ママが生きてるうちにはなんにもできなかったくせに、死んでもずっと未練がましくて、父親ごっこして、悪者の私を殴って……ほんと、子供みたいな男だよあいつは」


 質問を変えたらどうだろう。叔父はなんて答えるだろうか。私のこと、笑美より好き? じゃあ、あの世に一抜けて勝ち逃げした、物言わぬ母の存在より、私のことが大切ですか? ……脳内シミュレートの中で、叔父は推し黙って答えてくれない。


「まあおねえはそれでいいのかもだけどね。だって、おねえの好きって、ファザコンの延長のそれじゃん」

「黙って……もういい、笑美……」

「大好きなパパもどきに、いい子だねって褒められて育って、それしか知らないまま生理が来たから、そのままパパに子宮も撫でてもらいたかったんでしょ。あんたたちどっちも、人を好きになるってなんなのか、何もわかってないよ」

「黙れっ、だまれぇ!!!!」


 飛びかかって、押し倒す。家に篭りきりの妹に、激昂した私が力で勝てない道理はなかった。絶叫を上げて、泣きながら笑美の喉に親指を乗せて全体を絞めあげる。つらかった、悔しかった、被害者は私だった。だから哀しみに任せて、妹の後頭部を何回も床に叩きつけた。絨毯越しじゃ効率が悪いのに、そんなの構っていられなかった。


「ゔああああああ!! ふーーっ、ふうううっ!!」

「かっ……ひゅ、ほ……ァ……、…………」


 妹は、とても簡単にぐったりと動かなくなった。私はずっと一心不乱だったし、いつから笑美が息をしていなかったかわからない。どこかで、あれだけ派手に殴られても元気だった妹だから、私が少し首を絞めたくらいでは効きもしない気がしていたが。当たり前に、妹は縊死した。私が殺した。


「はあ、フゥ、ふぅ……」


 縋りでもするみたいに引っかかったままの腕を払いのけるのも、額にへばりついた自分の髪を拭うのも、たいした違いはなかった。冷静になって後悔だとか、この子への愛おしさだとかが湧いてくるなんてこともなく。ただ、『あ、こいつも死ぬんだな』としか、たった一人の実妹に手向ける言葉はなかった。その薄情さについては申し訳ないと思う。


「ああでも、よかった……」


 一人、妹の死骸のそばで膝を抱えて安堵する。これで、あの人はもう大丈夫。……いや、駄目だろう。この状況で死体が出たら、間違いなく世間は叔父を下手人だと疑う。叔父も……きっと私を庇って虚偽の犯行を騙る。それは、どちらにしたってこの女に叔父の人生を滅茶苦茶にされる結末で変わりはなかった。今からどう頑張っても、破滅は免れない……なら、せめて。


「やることやって、最期くらい、私のことを見てもらおう」


 どうせ狂ってしまうなら、私のことで傷になってほしい。乙女心とかわいこぶるには、我が恋ながら終わりすぎていた。



 主を亡くした妹の部屋に潜り込む。初めて気づいたけど、この部屋、内鍵があるではないか。私の部屋にはなかったから知らなかった。


「いくらでも逃げて籠れたでしょうに、バカな子」


 無人の部屋、家、返事は返らない。ここに来た目当てのもの――確か洗濯したばかりの一式があるはずだと、引き出しをかき回す。ふと、勉強机の上に置かれた、これ見よがしの便箋に目が止まる。女子高生がいかにも好きそうな、書ける面積より多くファンシーキャラがぎっちり印刷された、パステルカラーのステーショナリー。拾い上げれば、本を読まないやつ特有のへたくそな文字が這う。


『ぜったいに私の物にならない物がほしかった。』


 ただその一行だけで遺書は完結していた。どうせ近々、自分が誰ぞに殺されるとは感じていたのだろう。妹の筆跡に視線を落として、思うこと。絶対にあの子のものにならない……思い通りに支配されないものがほしい。それがあの、手当たり次第に人の愛憎を試すような無策の動機か。


「馬鹿馬鹿しい。あんたも人が人を好きになるってこと、何もわかってなかったじゃない」


 あれはきっと、子供のむずがりにすぎなかった。人よりも多少できることが多い器用な子だったから、余計な大回りで袋小路に陥ってしまったのだ。さて、あの子は欲しいものを得られたのだろうか。この一文だけだと、いまいちコンテクストが図りきれない。


「絶対に思い通りにならない存在――私や叔父さんが、あんたの思惑を突っぱねて無関心を貫くことで、絶対が完成するのが見たかったの? それとも、その絶対を崩して、私たちに凶行を犯させられたらよかったの? あんたの勝利条件は、いまいちよくわからないわ」


 まあ、死人に口無し、どうでもいいことだ。あの子が私を得たのか、喪ったかなんて知ったことではない。私にとって重要なのは、これから彼を得られるかどうかのただ一つだ。物色の末掘り出したフリースは、上下ともに衣装箪笥の一番下に入っていた。



 コールする時だけ、あの人の名前に触れられる。電話帳に刻んだフルネームを、愛おしさに任せてゆるりと撫ぜてタップ。叔父へと電話をかける。少しもしないうちに、呼び出し音を割いて、疲れたテノールが顔を出す。


『直美ちゃん、何かあったのかい』

「うん、叔父さん、今大丈夫?」

『ようやくの帰り支度中さ……夕飯は食べたかい? まだだったら、ハンバーガーでも買って帰るけど……』

「あのね、笑美、死んじゃった。私が殺したの」


 沈黙。それから、ガタンと物音がして、すごい勢いで早足の移動が伝わる。


『ごめん、人のいないところに移る。このまま二分待って。絶対に切るんじゃないよ』

「うん、いい子で待ってる」


 慌てて駐車場を目指す乱暴な足音、同僚さんへの生返事の挨拶、その合間にマイクが拾う、あなたの浅い呼吸。ぜんぶ持って行きたくて、研ぎ澄ませて鼓膜へと刻み込む。


『お待たせ。車に乗り込んだ。今から帰るから、絶対に早まるんじゃないぞ』


 エンジンの息吹、無機質な女ものの自動音声、車のスピーカーに繋いで続行される会話には、これで制限時間が生じた。全速力で車を飛ばしても、彼が帰ってくるまで、三十分といったところかな。


「私ね、自首する気はないよ。これから叔父さんのくれたお金で高跳びするから」

『それはいいね、思い切ってハワイにでも逃げ込もうか。本場のパンケーキは美味いぞぉ。けどね、そんな切羽詰まったこと、しなくていい。大丈夫、死体のことは叔父さんがなんとかするから……』

「ううん、いいの。叔父さんが罪を被らないで済むように、私が全部貰っていくから」


 ガレージから持ってきた灯油を細くリビングに撒いて、フリースにもよく染み込ませる。こういう毛羽だった衣服は繊維を起毛させている特性上、毛と毛の間に含まれた空気に引火して一瞬で燃え広がるから、キャンプなんかでは気をつけるように……なんて学校で習わない化学も、全部あなたが教えてくれた。私はあなた色。あなたには他の女の色が焼きついていたとしても。


「おうち、悪いけど燃やしちゃうね。笑美には、灯油をかけたフリースを着せて、念入りに死体を焼きます。化繊だから、火はまとわりついてなかなか消えない。これで、表面の暴行跡とかは誤魔化せると思うから……出火の時間も、死亡時刻も、職場にいたおじさんには完璧にアリバイが成立する。おじさんがやったって言ったって、誰も信じないよ」

『直美ちゃん! 僕はいいんだ、いずれ裁かれるつもりだった。それに、司法解剖すれば、骨折の痕なんかの矛盾が……!』

「それもぜーんぶ私がやったの。男性関係のだらしない妹へ、嫉妬混じりの折檻を繰り返す最悪の姉が私。警察署に宛てた自白の手紙も、もう書いて投函済みよ」

『……ッどうして、どうしてやる前に相談してくれなかったんだい!!』


 だってお仕事の邪魔しちゃ悪いじゃない。私は刻限のギリギリまで、あなたの求める通りのいい子でいなくちゃいけないの。


「叔父さん、恨むなら笑美を恨んで。私が手を汚してしまったことも、お母さんが死んじゃったことも全部……あの子のせいよ」

『勿論だ! 君に落ち度はない、僕が証言する、そもそも僕が君たちを……』

「違うよ、叔父さん。罪の所在は全部、笑美にあるの。……あなたも、悪くないよ。どうか自分を責めないで」

『ッ、おい、直美ちゃん、直――』


 ばきんと、スマホを床で叩き割る。今度は結構気持ちが良かった。一緒に笑美のスマホも、固定電話のコードもズタズタに破壊した。これで邪魔は入らない。ハサミで切った笑美の着衣や諸々を生ゴミ用の重たい密閉ゴミ箱に放り込めば、軽くなった頭がすぅっと冴えて感じられた。


「あんたにも、お母さんにもあげない。あの人の罪は、私だけのもの」


 そのためなら私は、目一杯頑張って我慢できる。彼のいい子だから。私は、胸の限界まで息を吸い込んで、ライターを押し込むと、きらめくそれを足元の灯油だまりへと投げ込んだ。



 ようやく帰り着いたあなたは、住み慣れた我が家から煙が上がっているのを目撃する。消防車はまだ来ていない。最寄りの署には、正反対の区画の団地で火事だと嘘の通報を入れておいたから。たとえこっちの火の手に気づく人が居ても、人手は後手に回るだろう。


「ッ直美ちゃん、どこだ!! 車はある……置いて行ったのか? まさか、まだ中に……!?」


 ガレージに置きっぱなしの私の軽に、あなたは不信感を覚える。表に回り込めば、半開きになった玄関ドア。そこから細く黒煙が漏れていると知れる。ハンカチで口元を覆って、バックドラフトに気をつけて、あなたは慎重に扉を開く……なんてことはない。スプリンクラーが作動している。火事は初期消火が叶って、蝋燭の灯りみたいなちいさな残り火がちらつくだけだった。


「……直美ちゃん! いるのかい!」


 呼んでも、返事は返らない。玄関に私の靴はない。だからここからは賭け。あなたは――よかった、思った通りに煙たい家の中へと足を踏み入れてくれた。


「ゲホッ 直美ちゃん……逃げていてくれたら、それでいいが……っ!?」


 飛び上がる、あなた。玄関を入ってすぐのリビングには、真っ黒焦げのヒトガタが寝転んでいる。暴行の有無が判別できないよう、部屋より念入りに灯油を被せた体。黒焦げの頭部、チリチリに焦げた短い髪。あなたは、あまりの悍ましさに思わず息を呑む。


「……笑美ちゃんか、コレ。本当に、直美ちゃんが殺し……」

「……ひゅー、……こ、ひゅー……」

「嘘だろ……息があるのか、この有様で」


 死んだと聞かされていた笑美が息を吹き返して、あなたはとても驚くだろう。私だってきっと腰を抜かす。けど、誰がどう見たってもう助からないことはわかる。あなたは、冷蔵庫まで駆けて行って、持ち出したペットボトルからフリースへ水をぶっかける。鎮火したように見えていても高温のままなのだろうから、正しい判断だ。


「ゥ……ヒュー……ひゅ……」

「おい、直美ちゃんはどこだ。ちゃんと逃げたのか。よくもあの子の人生を滅茶苦茶にしてくれたな。僕一人で我慢しろと、あれほど言ったのに」

「…………ひゅー…」

「チ、もう意識もないか……」


 あなたは、きっとこう考える。これはチャンスだと。私が警察署に手紙を書いた時点では、実はまだ笑美は死んでいなかった。早合点して家に火をつけ逃げ出した私と入れ替わりに帰宅した自分が、この女を改めて殺害すれば。いくつかの矛盾は残るにしても、小林直美の尊属殺人の罪を上書きできるのではないか、と。


「いいよ、介錯くらいはしてやる。その憎たらしい顔面も見なくて済むし、穏やかに送ってやろうか……ハ、今更だな」


 なるべく、残忍に。あなたは私の罪を帳消しにして余りあるような残酷な殺し方を思案する。けどモタモタしていたら笑美が死んでしまうから、きっと、慣れた通りの暴力で直接トドメを刺すのだろう。


「喉を踏み抜いて殺してやる。地獄で永劫、姉さんとあの子に詫びろ」

「…………ひゅ……ひゅ……」


 息が細くなってきた。もう時間がない。あなたは狙いを定めて、一気に体重をかけて――――はて、妙だ。いつまで経っても、喉笛に衝撃がかからない。しばらくの静寂。気が遠くなってきた。私は、焦ったさに辛抱ができず、薄く瞼をこじ開ける。


「――――ちがう、なおみちゃん」


 立ち尽くして俯瞰で覗き込む、貴方の驚く顔。眼鏡なしの白濁した視界でも十分に、失敗したのだと分かった。






 思ったの。どうせ貴方が罪を被るなら、被るどころか犯してもらおうと。笑美は私が殺しちゃったでしょ、お母さんは自殺しちゃったんでしょう。だから残ってるのはこれしかないよね。

 私は、長かった髪をキッチンバサミでざん切りにして、笑美のフリースを着て灯油を被った。あの子の死体は、全裸にしてお風呂に沈めている。あとで見つかるにせよ、そんなところを確認するのはリビングの後になるだろうから。


「直美ちゃん、嘘だ、なんで、ああ」


 家を燃やし尽くすつもりはなかった。今時フリースだって難燃性の改良が施されている。人体だってそう簡単には燃えないけど、表面を真っ黒焦げにするくらいならできるでしょう。個人の判別が一目でわからなければそれで良かったの。軽く炙ったところで、笑美の暴行された痕が綺麗さっぱり誤魔化せるなんて初めから思ってないよ。


「病院、きゅうきゅう、ああ、ダメなんだったそうだった、もう君は、このやけどじゃ、ああ、あーっ……!!」

「ひゅー……ひゅ…う……」


 力いっぱいに抱きしめられて、貴方の慟哭を遠くの方で聞く。落ちそうな意識で思うことはね、叔父さん。あなたは本当に探し物が上手いなあってこと。背格好だってほとんど一緒だし、顔は痛いのを我慢して、念入りに焼いたのに。それでも気づいちゃうんだもん。傷つくなあ。感覚の焼け死んだ頬を、泪が、一筋伝う。ねえ、叔父さん。


「直美ちゃん、直美、ああああああ……!!!!」


 わたし、こんなに変わり果ててもわかっちゃうくらい――かわいくない?


 望む通りにきれいにはなれなかった。貴方の願ういい子でもいられなかった。焼き固まった棒切れの腕は天に伸びていたけれど、低く塞がる天井からは、屋根裏部屋の星空なんて見えはしなかった。



〈了〉

 

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いたいけの恋 来生ひなた @naniwosuruder

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