第2話 契りの意味

朝、私は柔らかな陽の光で目を覚ました。

木漏れ日が障子越しに揺れて、まるで夢の続きを見ているようだった。

「……朝?」

ぼんやりとした頭を振りながら、私は体を起こす。布団の感触が心地よく、肌に触れる空気も穏やかだ。

(夢じゃ……ない?)

頬を強くつねると、思わず「痛っ」と声が漏れた。

その痛みに、昨夜の出来事が現実だったことを、改めて実感する。


囲炉裏の前には蒼様の姿があった。

炎の揺らめきに照らされた横顔は凛々しく、手際よく朝食を準備している。

「やっと起きたか。てっきりそのまま死んでしまったのかと思った」

冗談めいた口調だったが、その言葉の奥には心配の色が滲んでいる気がして、胸があたたかくなった。

「おはようございます、蒼様」

「うん。おはよう」

返事をしながらも、手は止めずに味噌汁をよそう。湯気がほのかに香り、懐かしいような、初めてのような匂いが広がった。


私は布団を片づけて、囲炉裏のそばに座る。

「何か、手伝えることはありますか?」

「いや、お前はまだ休んでいろ」

そう言いながらも、器に丁寧に盛り付けられた朝食を私の前に置いてくれる。

白米に、山菜の和え物、味噌汁——どれも素朴で温かみがある料理だ。


「朝から、こんな贅沢なご飯……もったいないくらいです」

「ほう、人間にとってはこれが贅沢なのか?」

蒼様の言葉に、私はこくりと頷く。

「私は……米なんて、今まで一度も食べたことがなかったんです。ただ、見たことがあるだけで」

「それならなおさら、食べてみろ」

手渡された箸をぎこちなく握り、白米を一口。

ふんわりと優しい甘さが広がり、思わず目に涙が滲む。

「……おいしい」

「そう言ってもらえたなら、作った甲斐があるな」

蒼様の言葉が、胸に染みた。

こんなにも誰かに優しくされる朝は、きっと初めてだった。


食事を終えると、蒼様は私を見つめて、少し真面目な表情を浮かべた。

「加奈。まずは、お前の名前をちゃんと聞いておこう」

「……加奈です。けど、上の名前は知りません。だから、呼びやすいように呼んでください」

「なら、加奈でいい。いい名だ」


一拍おいて、蒼様は続きを話し始めた。

「今のお前は、正直言ってひどい状態だった。放っておけば間違いなく命を落としていた。だから保護した。それは、神として当然のことだ」

「はい……ありがとうございます」

「だが、これからどうするかはお前次第だ。俺の考えでは、お前を別の街に逃すこともできる。人の暮らしに戻る道もある」

「……人の、暮らし……」

私は胸の奥がざわつくのを感じた。

「けれど……蒼様、わがままかもしれませんが……私、もう人と関わりたくないんです。あの人たちが怖い。どうか……ここにいさせてください」

私は頭を深く下げた。

ここだけが、ようやく見つけた安息の地だった。

誰からも踏みつけられない場所。ただ、生きていていいと許された場所。


しばらくの沈黙のあと、蒼様が口を開く。

「……加奈、お前は俺と暮らすのが怖くないのか? 俺は神であり、人とは異なる存在だ」


「はい、怖くありません。蒼様は、私を救ってくれた方ですから」


迷いはなかった。

人間の残酷さを知ってしまった私は、今は蒼様のような存在のほうがよほど信じられると思えた。


蒼様は少し逡巡したように目を伏せ、やがてこう言った。


「わかった。ならば、ここに住むことを許そう」

「、、本当ですか?」

「ただし、条件がある。俺の傍にいるには“呪い”から守る手段が必要だ」

「呪い、、ですか?」

「そうだ。俺の力は、人には強すぎる。長く一緒にいれば、命を蝕むこともある。だから、、“契り”を結ばなければならない」

「契り、、?」

「つまり、加奈。お前は俺の妻になるということだ」

その言葉は、私の胸の奥に、ぽとりと何かが落ちるように響いた。


「、、わたしが、蒼様の、、妻、、?」

目を見開いたまま、私は息を呑む。

戸惑いと、信じられない気持ちが交差する。

けれど、それと同時に胸の奥がじんわりと温かくなっていた。

「いや、あくまでそのような形になるだけだ。別に何か特別なことをしろと言っているわけではない」

私はこんな感じで心配されたりすることがこんなに嬉しくて温かいものだとは知らなかった。

これがこれからも続くと思うと、とても幸せだなと思った。

「蒼様、、こんな私ですが、これからよろしくお願いします」

私は初めて未来に希望を持てた気がした。


「俺も、本来ならこんな形は望まない。だが、これはお前を守るための方法なんだ」

蒼様の真剣な眼差しが、私の迷いを吸い込んでいく。


(誰にも必要とされなかった私が、守られる存在としてここにいられる……?)


私は唇を噛み締め、小さくうなずいた。

「……はい。蒼様の妻にしてください」

それは、これまで味わったことのない“救い”への、一歩だった

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