敷島優介の奇譚レポート

御十異otoi

盆廻冥々

「坊は男らしく、強く生きねよ。」

どことなく聞こえた気がした。じいちゃんの今際の際に僕に言った言葉だ。

今年はじいちゃんの初盆で父方の実家に帰省している。山間にある家は夏の猛暑日でも日陰は涼しくて気持ちが良い。

縁側に枕がわりの座布団を二つ折りにしうつろうつろ夢心地の中じいちゃんのドスの聞いた声で起こされた気がした。

隣接している座敷の仏壇を見ながら「わかってるよ」と呟く。


 父方の実家は人里離れた山の中にある。近所のコンビニに行くには車で二〇分ほどかかる便利とは言えな地域である。なので中学生になった今でもこのお盆期間中の7日間は部活も友達との予定もいキャンセルして来たのだ。


 だが僕はこの町が好きだった。延々ともあるように続く棚田やその稲を潤す小川。どこを見ても燃えるように緑が生い茂る山々は美しかった。だから毎年来るのが楽しみにしていた。けど今年はじいちゃんが居ない。去年まで暇があれば「坊、釣りに行くぞ」や「坊、田んぼを見に行くぞ」と何かと仕事をくれるので忙しい。

 自然の事を何も知らない僕にとってじいちゃんは憧れの対象だった。


 「優ちゃん、戸屋さんに行くよ。」

今年87になる祖母は今日も元気である。告別式では「あの人が私より先に逝くなんて思いもしなかった。」と言ったが、僕にしてみれば祖母はまだ七〇代と言っても通用するくらい若く元気である。


 戸屋さんとはこの家の区画の神社の名前である。そこまで大きな神社ではないが山の中央を切り取った様に鎮座する社は風格があった。ばあちゃんはその神社の管理を任されている。

 戸屋さん改め戸屋神社は家の前の川に沿って30分ほど歩くとあり、この川は戸屋神社からこんこんと湧き出る地下水によって田んぼや家庭の水源を供給している。故に太古からここら一帯の信仰は戸屋神社に依存しており、今も伝統は家々で色濃く残る。


 特に珍しいのは盆の十五日、「送り間際」という風習がある。故人が戸屋さんへの川に沿って家に帰ってくるように帰りも川からあちらへ帰るというものである。その送りに家族全員で最寄りの橋へ行きお供物と線香をあげて帰り無事を祈る。

 だがこの習わしには2つのルールがある。

きまり壱。線香を橋で焚いて無くなる前に家に帰らないといけない。

きまり弍。橋から家に帰る時に振り返ってはいけない。


 昔からのことだったので当たり前になっていたが戸屋神社の氏子ならではの盆の習わしである。

僕としては少しのスリルを楽しめるので堅苦しいルールも苦にならなかった。


 十三日のお迎えを終え、十四日の戸屋神社のお祭り、十五日の送り間際。いよいよじいちゃんやご先祖様を送る日がやってきた。

仏壇に手を合わせて家族みんなで砂糖菓子と線香を持って一番近い橋に向かった。大体直線の距離で100メートルくらいです。

去年まで父母、じいちゃんばあちゃんと大所帯だったのに一人いないだけで少し心寂しい。


 生まれてこの方何回かの経験なのですんなりと橋の上で手を合わせお供え物を川に流し、線香を焚いた。

この線香が消える前に家に着かなければいけないがだいたい線香の燃焼時間は20分ほどで全然余裕なので別に焦ることはなかった。

「じいちゃんまたね」と心の中で呟いた。父親が踵を返して行くのを見て僕も着いて行った。忘れていけないのはルールの『後ろを振り返ってはいけない』だ。だいたいこの手の話は振り返って厄災に合うのがことのストーリーではあるがここ何年前かに父親が僕の事を心配して一度振り返ったのを見たことがある。特に何も起きなかった。別に何もないのだ。


 夏の涼しい風が山頂から流れてくる。田園の稲の重なる音がする。うっすらと月明かりの中雲が優雅に舞う。

川の側の細竹がカラカラ鳴る。水面が騒ぎ立てる。蟲の音が消える。風が線香を吹き飛ばす。


 それは橋の手すりに腰掛け、顔だけこっちを見ている。

体は肋骨が浮き出るほど痩せ細ろえ、手足は長く顔がでかい。白っぽい肌にはところどころ赤紫の斑点が異様に目立つ。

眉毛がない能面の様な無表情な顔でこちらを覗いている。


 僕は絶叫していた。喉が張り裂けるような叫び声をあげ失禁の後失神した。


 声が聞こえる。ばあちゃんと父親と知らない年配の男性の声だ。

座敷を挟んで障子の向こうから話し合いが聞こえる。


「お袋。優介はどうなんだ、何が起きたんだ。」

「戸屋さんに魅入られてしまった様だよ。かわいそうに、三十年前くらい4軒上の栞ちゃんが同じようになった時は救急車で搬送されたけど、その道中で自分で手首を噛みちぎって亡くなったらしい。この土地からあまり動かさない方が良いのかねぇ」

「先ほど橋の方を見て参りました。線香は風に吹き飛ばされ、優介くんは振り返ってしまった。そこに運悪く戸屋さんがいたのでしょう。最悪の奇跡です。どれかが守られていれば戸屋さんに見つかることはなかった。」

「その戸屋さんってなんなんだ。俺は聞いたことがないぞ。」

「お前は知らないだろうねぇ。戸屋さんはここの氏子の中でも戸屋神社を管理している家の家長にしか教えられない。」

「存在を肯定するだけで、リスクがあるんだよ。」

「でも優介は知らないぞ。」

「もしかしたらお父さんが言ったのかもしれないねぇ。」

全員押し黙ってしまった。

「優介はこれからどうなる?」

「伝承で言えば戸屋さんに魅入られた子供はあちらに連れて行かれる様です。神隠しとでも言いましょうか」

「何か手立てはないのか。」

しばらく唸る声が続き年配の男が口を開く。

「送り間際を優介くん一人でもう一回するのが効果的だと思われます。」

「あの子は子供だそんな事ができるとは思わん。俺も着いて行く。」

「戸屋さんは気に入った人間にものすごい愛着を見せます。その人間に一緒に送り間際をしてもらえばちゃんとあちらへ帰っていくのではないのしょうか?」

「他に方法は無いのか?」

「前例が無いのでなんとも。」


 その後問答が小一時間続き男がいい加減にしろと言わんばかりに口を開いた。

「送り間際は十五日中にするのが決まりです。今は九時、時間がありません!」


障子が開き、事の中核である「戸屋さん」の話はされず、

「ご先祖様をもう一回、優介の手で送ってほしい。私たちは家から見ているから大丈夫だ。」と言われた。

年配の男は戸屋神社の神主だった。十四日のお参りの際にばあちゃんが挨拶していたのを見ていた。



 元々ここの土地一帯は夏になると大雨の時山間の川を沿って土や岩、木を含んだ濁流が流れ込み甚大な被害を出していた。

そこで当時の人々は上流に人柱を立てた。科学の普及など数世紀先、すべての災害は超神秘的な存在の意識であると結論つけるのは無理のない話だ。人々はその対策を人柱、つまり生贄を立てることしかできなかったのだ。

 その矛先は村一の美女であったトヤという少女に決まった。人々の見物の中少女は川に身を投げその天命を全うしそれ以降はこの町に甚大な被害をもたらす自然災害は無くなった。その慰霊の為『戸屋神社』が立てられたのだ。

 だが実際は戸屋神社を川上に建てたことで上流の管理が行き届き土砂や倒木が貯まることなくスムーズに流れができたことによる産物であった。だがトヤの人柱として捧げた感謝、罪悪感が人々の自然への干渉がうまく縁を結び調和をこなしたのだ。


 ただトヤにとってはそんな住民の気持ちはさておき穏やかなものではなかった。誰でもそうだと思う、不特定多数の為に命を無造作に捧げれる人間なんていない。未来も過去もかなぐり捨てて眼下の川に落ちていくその表情は苦痛に歪んだものだっただろう。

 執拗に身体を清めるために食事のほとんど断たれ、痩せほそり幽閉され陽の光を浴びない肌は不気味なほどに白くなった。叫びすぎて喉は潰れしまった。この不条理はなんだろう。なぜ私なんだろう。

 信心も人への温かい心も消え失せ手首を噛みちぎって自死を測ったが、布を口に詰められて阻止された。今度は錠に繋がれ力の限りに暴れたが男4、5人に殴られ気絶するように外に連れ出された。

 気付いたら崖の上に立っていた。身体は痛み疲れていたが、生への執着は失われてなかった、だがもう無理だ。

川の中腹には何人かの集団が儀式をやっている。誰もが私が生き残る事を望んでいない。


 濁流の様に涙を流して気がついた。あの橋の上にたっていたのだ。

夏の喧騒は無くなり、耳に痛いくらいの静寂が僕の鼓動の音を強調する。

その瞬間後ろに気配を感じた。空気が生ぬるく、水飴のように体にまとわりついて来る。

背中の全ての毛穴が沸騰したように泡立ち。弾けるように心臓が鼓動する。

確実にそこに何かがいるようだった。


僕は精一杯の力で足を動かそうとするが一歩たりとも動けない。

目の前には『送り間際』で往復した道の先にじいちゃんの家がある。明かりを背に何人かこちらを伺っている様子である。

歩けないと思った僕は今度は力の限りに叫んだ。だが乾いた息だけがカスカス出るだけで声にならなかった。


ぺた、ぺた、と背後から音が聞こえてくる『トヤ』が近づいて来ているのだ。

僕はおそらく家で『トヤ』に取り憑かれここまで歩かされた。そう気づいた刹那それはもう僕の背中にピッタリと近づいていた。

全身から脂汗が吹き出し、体の芯が凍ったように冷たくなる。

徐々に、徐々に死角に入ってくるものがある。長い髪に不気味なほど白い肌。それは大きく口をぱくぱくさせて何かを喋りたがっているようだが、口の中からは赤黒い血が泡まじりに出てくるばかりで「ボコボコボコ」と泡立つ音しか聞こえない。

だんだんと横顔のの輪郭を捉えてきた。ゆっくりと視界に入ってくるそれを僕はもう目を閉じることを許されず凝視することしかできなかった。長く爛れた髪の隙間闇のように暗い目がこちらを覗いている。

生ゴミの様な匂いと血と油の匂いが鼻を刺す。もう無理だ。こいつから逃げることはできない。

それの手が僕の顔を掴もうとしている。


「お前はこっちだ。」

ドスの聞いた低い声が確かに聞こえた。その瞬間それの横顔は視界から消えて、ふっと体が動くようになった。

僕はその場にへたりこんで浅い息を繰り返した。


涼しい風が山から流れてくる。田園の稲の重なる音がする。川の側の細竹がカラカラ鳴る。

どこか魚が飛び跳ねたのか水の弾ける音が響く。

「坊は男らしく、強く生きねよ。」もう一度聞こえた気がした。


それから僕はフラフラと家に帰り、父母、ばあちゃん、神主の男に迎えられその日は床につくことになった。

後日帰る際にもう一度神主の話を聞くことになった。

「優介くんの話を聞くと、お祖父様が『戸屋さん』を連れて帰ってくれたのでしょう。最初の送り間際で優介くんの様子を見て、まだ一緒にいてくれていたのでしょうね。私には推測しかできませんがお祖父様は生前皆が知る豪傑でしたので、魂の力も強かったのでしょう。まさか神様に近い存在に干渉するなんて、すごい方ですね。」

苦笑した後続けた。

「しかし優介くんはもうこの土地には来てはいけません。今回はお祖父様の守護が強くなんとか『戸屋さん』を退けましたが、彼女は自分の気に入ったものに異常なほどの愛着と執着を見せます。万が一にももう一度見つかってしまってはなすすべがありません。」

「またお盆の前後20日間は水辺に近づいてはいけません。『戸屋さん』は優介くんの心に干渉して「魂の紋」を覚えたものと思います。水辺を通じてどこにいても探しに来る恐れがあります。海川はもちろん。プール、水たまり、お風呂もダメです。とにかく溜まった水の近くには禁止してください。」


それから10年。僕はじいちゃんの町に一回も行っていない。3年前にばあちゃんも亡くなったが葬式にも行ってない。

今でもこの夏の時期になるとあの穴のように開いた目で血眼で弄り探す戸屋さんのイメージが頭に浮かぶ。

その時思うようにしているのだ。

「強く生きよう。」


盆廻冥冥 完









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