第2話 おばちゃん聖女、ソファに負ける
「光に選ばれしお方……ようこそ我らが天啓の庭へ!」
──はあ!? なに言うてんのこの人ら。
「え? うち? うちのこと言うてんの? いやいやいや! ちゃうやん!うち、ただのおばちゃんやで?雨降ってんのに醤油ないしー言うてわざわざカッパまで着てスーパー行ってきただけやで?!余計な飴ちゃんまで買うてもぉてな?まぁなんや美味しそうやったんやわ。ミルク味のやつ入っとってな?」
和代が飴を買ってしまった話から好きな味の話になりかけたとき、
白装束の神官らが一斉にひざまずいた。
「主の光をその身に受け、なお立つ者……この方こそ真の聖女であらせられる!」
「御心は……いま、我らに示されたのだ……!」
「ひゃーーー!ちょ、ちょい待ってや、説明は!? 説明してぇな!?!?」
なんでみんな地面にひっついてんの!?
うち、なんもしてへんって!
ほんまに、飴…やのうて、醤油買いに行っただけやねんて。
「……ほんまに嫌やわぁ……」
その時、跪く神官たちを割るように、ひとりの男が前に出てきた。
金の刺繍入りの法衣、やたら背筋の伸びた偉そうな立ち姿ですっと腕を上げて言い放つ。
「この方を“月見の間”へ──
真の聖女に相応しき聖域へご案内申し上げよ!」
「なになに?!“月見の間”ってなに!? お月見セットついてくんの!?」
「汝ら、神の御心に従え! この方こそ、待ち望んだ“真の聖女”……主の光が、ついに我らに応えたのだ!」
「ちょ、あんた耳ええな!? うちの言葉、何一つ聞いてへんやろ!? 話通じてへんて!!」
神官たちは神妙な面持ちで和代を囲み、
金の細工が施された扉の奥、異様に煌びやかな空間──“月見の間”へと導いていった。
「聖女様、こちらが“月見の間”でございます」
──そう言われて案内された部屋のドアが開かれ…
「……えっ、なにここ。あかん、色んなもんが全部高そうやんか……」
思わず口から漏れた言葉のとおり、そこはまるで宝石箱をひっくり返したみたいな部屋だった。
天井は夜空を模した漆黒のドーム。本物の星が光っているかのようにキラキラとした宝石が埋め込まれ、柔らかい照明を反射している。
中央にはガラス細工のような月が浮かび、壁には銀の蔦模様と金箔の装飾が絡み合っている。
足元にはふかふかの白い絨毯。
その上には──
金のフレームに布団もクッションもふかっふかの天蓋付きベッドがドーン!!
「ひゃーーー!なんちゅう部屋!緊張して何も触れへんわ!!どこで茶ぁしばけ言うんやいな。」
そう思って見渡すとすぐ横のテーブルに、部屋付きの侍女がすっと淡い琥珀色のお茶と宝石のような菓子を並べ始めている。
香り立つ湯気に、甘やかな果実の匂いがふわりと広がった。
「……なあ、これ食べたらうち、なんかに契約させられるんちゃうやろな……?」
侍女が言う。
「聖女様、どうかご安心を。
この“月見の間”は、神より選ばれし方のために用意された最上の聖域──
そのすべてが、聖なる癒やしのためにございます」
「……ほんまに?いや、ほんまに? これ、癒しの部屋……?うち、こんな高価そうなもんに囲まれてたら逆に怖いんやけど……?」
「聖女様!今宵はごゆっくりとお寛ぎ下さいませ」
神官たちは静かに頭を下げ、部屋から退出していく。
残された和代は、曲線の美しいみるからに高級そうなソファにおそるおそる腰を下ろしてみる。
「……これ、座っただけで請求書来るんちゃうん……?」
しかしふわりと沈み込む柔らかさに、思わず目を細める。
「……せやけどこれ、めっちゃええやん……もうこっから動かれへんな……」
ソファに身を沈め、和代がようやくひと息ついたそのとき──
重たく閉ざされた扉が、礼儀正しく叩かれた。
「聖女殿、少しお時間をいただけますか──」威厳ある声が室内に響く。
声と共に現れたのは、
金の縁取りが施された法衣を身にまとった壮年の男性。姿勢はまっすぐ、目は穏やかでありながら鋭い光を宿していた。
「ようこそ、“選ばれし方”よ。我らが主の御心により、貴女をこの地へお迎えできたこと、至上の光栄にございます。」
「……さっきのええ耳してやった人やんか。どないしたらそんなセリフすらすら出てくんのん……?」
彼は笑みを崩さず、淡々と、儀礼のように語り出す。
「今宵は長旅の疲れを癒していただきたく、儀式や対面の類はすべて明日以降に。
今夜の食事は、部屋へお運びいたします。御心を安らかに保ち、静かなひとときをお過ごしくださいませ」
「お、お部屋で……!?なんや高級旅館みたいやんか!」
司祭長は微笑を浮かべたまま、まるでそれすらも神の試練の一つのように頷く。
「明日より、貴女には“聖女としてのご使命”について、正式にご説明を。
なにとぞ……この世界の未来のため、お力をお貸しください」
そう言い残し、彼は深く一礼し、部屋付きの侍女を一瞥して無言のまま踵を返す。
扉が静かに閉じられる。
白い法衣が揺れながら、長い回廊を進み、やがて、教会の奥にある封じられた円形の小聖堂──
限られた者しか足を踏み入れることのない“聖なる会議の間”に、彼は入った。
扉の向こうでは、すでに数人の高位聖職者たちが、言葉を交わすことなく座っていた。
蝋燭の火が、ゆらりと揺れる。
そして扉は再び、音もなく閉じられた。
分厚い石壁に囲まれた密室に、重ねられた声がこだまする。
重鎮たちは円卓を囲み、誰も正面を見ず、沈んだまま口を開いていた。
「……で、あれが“聖女”と?」
誰かが吐き捨てるように言った。
「雷に焼かれなかった、それだけで本物と言い張るのか」
「あの姿、あの言葉遣い、あの振る舞い──まるで、市場帰りの老婆のような……」
「いや、齢は関係あるまい。神は選ばれたのだ」
「しかし我らが求めていたのは“真なる聖女”であって、“あのような者”ではなかったはずだ」
誰かが机を叩いた。
その重い音が、場の空気を引き締める。
「だが、選定の光は……確かにあれを選んだ。二度もだ。偽物とするには、“証拠”が足りん」
一同が押し黙る。
「この世界の理が、あのような者を選ぶなど……」
「神がなぜあれを導いたのか。我らの“常識”には収まらぬ。それだけだ。」
長い沈黙。
老いた司教がぽつりと呟いた。
「……だが、神が沈黙している限り、我らは従うしかあるまい。あの者が“聖女”であると」
「ならばどうする? 」
「表向きは丁重にもてなし、実のところは観察だ。あの女が実際は何者なのか……」
「もし異端なら、その時は———」
「当面は“聖女”として厚遇せよ。衣も食も住も、望むままに与えるがよい」
司祭たちは頷き合う。
蝋燭の火が、消される。
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