第2話 秒速五億キロメートルの定義

 物体が音の速さを越えるスピードで動くと、『ソニックブーム』が発生する。

 音の速さは、地上だとおよそ秒速三百四十メートル。

 秒速五億キロメートルは、その大体1470588.23529倍だ。

 ……と、スマホの電卓は言っている。


「塵も残らないんじゃないですか」


 俺はそう尋ねた。

 彼女は空を見上げながら答えた。


「それを望んでいるんだよ」


 長い、黒い髪の女子生徒だった。

 田舎の高校特有の野暮ったい黒のセーラー服が、その長い髪と白い肌の持ち主に纏われると、まるで映画の一場面のようだった。

 背は俺より高く。

 視線は俺より鋭く。

 三年生を意味する、黄色いリボンを着けている。


「ソニックブームが発生すると、周りはドカンとなる。

 音の壁を越えた時に発生する爆発に似た現象でね。周囲のものは吹き飛び、壊れ、まぁまぁひどいことになる。飛行機が飛ぶときの轟音のようなもので、聞いたことがあるだろう。あれを零距離で聞いたらどうなると思う?」

「全身吹っ飛び、鼓膜は爆散」

「パーフェクトな答えだ」


 彼女は、名を『字峰あざみね』と言った。


「秒速五億キロメートルのソニックブームが発生してみれば、どうなるかな」


 ひどく嬉しそうに、空想の話をする少女だった。


 鯨浜高校の屋上だった。

 田舎、港町。漁港と養殖の生け簀の眺めだけが観光資源で、夏に賑わう砂浜も何もない。屋上から見渡せる景色にあるのは地域密着型のスーパーとガソリンスタンド程度で、この街には本屋もコンビニも無かった。個人商店はコンビニに含めても良いかもしれない。

 字峰は、総生徒数二百人のこの鯨浜高校の三年生。

 俺は二年生。

 俺の家は、彼女の家から300メートルの距離にある。いわば、一つ上の幼馴染と、一つ下の幼馴染。それが俺たちの関係だった。


「……町くらい消し飛ぶんじゃないですか」

「だよな。それくらいは消し飛んでもらわないと困る。

 なんなら地球の一角を消し飛ばして球体の形を歪め、自転に影響が出るくらいのことはしてもらいたい所だ。出てこないかな、忍者」

「世界滅ぶじゃないですか」


 地球というのは存外デリケートなものだった。

 少し自転がずれるだけで、太陽からの距離やら重力やらプレートやらの影響で、人類壊滅レベルの大災害が起きるという。動画配信サイトで見た、本当かどうか定かではない、しかしそれらしい話。

 字峰は、それ終末を欲しているようだった。


「私がこのような話をする理由も、この狭い町のことだ。

 君はもう知っているのだろう」


 俺はうなずいた。

 こんな時、誤魔化すように飲めるジュースがあればいいのに。

 紙パックのいちごジュースでも飲んでいれば、言葉を発さないことに意味が持てるのに。俺は何も口にしないまま、何も言葉を発さないことを選んだ。

 それが、字峰には少し、苦しかったらしい。


 空を見ていた彼女が、転落防止の金網によりかかり、俺を見る。



「私の結婚が決まったんだ。君は祝ってくれるかい?」



 真っ黒な眼は、薄く微笑んでいるようだった。

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