自分の恋愛と他人の恋愛と有名人の修羅場
「申し遅れました。私……ティナと申します」
一瞬ティナーレインと名乗りそうになったが、不自然でなかったことを祈るばかりだ。その名乗りで男には答えになったらしい。まじまじと私を見つめると、その視線を問いかけるようにセレンに向ける。困惑していることがありありと見て取れた。しかし、セレンは素知らぬ顔だ。無言の葛藤の末、男は腹を決めたらしい。くしゃりと頭をかくとこちらに向き直った。
「あー……っと。事情はさっぱりわからんが、とりあえず俺はアルヴァだ。よろしく、ティナ……さん?」
「ティナで構いませんわ。アルヴァ様」
「わかった、ティナ。俺もアルヴァで構わない。で、ワンピースだがここにあるもので良ければ今選んでくれ」
「はい、ありがとうございます」
アルヴァ言うところのいいとこの娘であることがわかっても態度を変えるつもりはないらしい。それどころか、お客様に対する態度でもない。
平民の服を見繕うというのは初耳だが、なんとなく意図はわかる。しかし問題は私が自分で服を選んだことがない、ということだ。
「あの……おすすめなどありますでしょうか?」
「えっ? えーっと……それを俺に聞くのか?」
店主に聞くのは当然と思ったのだが、アルヴァは迷うような素振りを見せている。何がいけなかったのかと困惑しているとセレンが笑って助け舟を出してくれた。
「ティナ、アルヴァは無償で服を用意してくれるつもりなんだ。せいぜい良い物を選ぶといい」
なるほど。店主としてのおすすめは高価なものになるが、それを言うと損になるから彼は困惑していたのだ。しかしそれを聞いては黙ってはいられない。
「お代はお支払いしますわ!」
対価を払わないような人間だと思われたのだとしたら酷い侮辱である。しかしアルヴァもまた頑固にそれを拒んだ。
「いや、いらない。コイツから金は取れねぇからな」
言って、セレンに目を向ける。セレンも笑ってそれを肯定した。
「そういうことだ。君も遠慮するな」
「し、しかし、払うのは私です」
「そうだとしてもだ。とにかく金はいらない」
ここまで断固とした態度で言われてしまうと、こちらとしても食い下がりにくい。
「選べないなら俺が選んでおこう。ところで、そろそろ帰らないとまずいんじゃないか?」
セレンに言われてはっとする。店内にかけてある時計を見れば時刻は既に夕刻間際だった。
「ッ……すみません。私、そろそろ」
「送るよ。ともかく、時間合わせはそこの掲示板で、待ち合わせはこの店で、ってことで。大丈夫か?」
「はい!」
勝手に店を使われることになった店主は諦めたようにため息をつくのだった。
セレンに大通りまで送ってもらい、屋敷に戻るとエリネが心の底から安堵したという表情で出迎えてくれた。
「お嬢様おかえりなさいませ。お帰りが遅いので心配しておりました。お一人で大丈夫でしたか?」
「大丈夫よ。私だってそう何度も迷ったりはしないわ」
「まあ、お嬢様に限って何かあるとは思いませんが……どうして急に街へ出るようになられたのですか? いつもお部屋で過ごされておりましたのに」
至極もっともな疑問だろうが、私はその質問は無視した。
「先に湯浴みをするわ。支度をして」
「……はい、かしこまりました」
不満そうではあるが、主人の事情を聞かないのが従者としての弁えである。
「ティナーレイン、今帰ったのか」
湯浴みの準備をしに部屋へ向かおうとしたところを、父に呼び止められる。
背が高く、骨格がしっかりした父は白髪混じりであってもまだまだ現役といった風体だ。死ぬ前日まで矍鑠としていたのを思い出す。かなりの高齢であったとはいえ、突然のことだった。
「お父様、本日はお早いお帰りでしたのね」
「ああ……最近は外に出ているようだな」
「はい。民たちの暮らしを直に見てみたいと思ったのです」
「ふむ……そうか。良い心がけだ。しかし、あまり入れ込むでないぞ。同情では世は治められないからな」
「はい、心得ております」
「お前が王子妃となれるよう、私も動いている。くれぐれもそのつもりで過ごすようにな」
「はい、承知しております」
父と別れ、自室に入ると脱力するようにソファに座った。釘を刺された。そう、私は王妃となった。いや、今は十七歳なのだから『なる』と言うべきか。詳しい経緯は覚えていないが、第一王子との正式な婚姻は二十一歳のとき。婚約発表がその約一年前、初対面は更に数年前だったと記憶している。つまり、そろそろだ。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
エリネに声をかけられて我に返った。いつのまにか考え込んでいたらしい。
「いえ……なんでも。準備はできた?」
「はい。いつでもお入りいただけます」
「わかったわ。手伝いはいらないから、エリネも今日はもういいわ」
「はい、ありがとうございます」
エリネたち侍女を置いて浴室に向かう。いつも控えていてくれるのを毎度断るのは少し悪い気もするけれど、侍女とはいえ、裸体を見られるのは抵抗がある。人肌に温められているお湯で体を洗っていくと、少しだけほっとした。
また、王妃になるのだろうか。別に嫌ではない。自由はなくなるが、生活は今とたいして変わらない。やるべきことをやり、やらざるべきことをやらない。それだけだ……ただ、そうなればセレンには会えなくなるだろう。
後悔をしようと動いた。そして日々後悔の連続である。外に出なければ、彼と会わなければ、と毎日のように考えている。
「何かしらね、この感情は」
まだ大したことはしていないはずなのに、時折り初めての感覚に襲われることがある。眠れない日も増えた。私の生きた九十年はなんだったのか、と思えてくるほどに知らないことはあまりに多かったらしい。
明日は久々の茶会である。気は重いが、これも義務だ。それに少し試したいこともある。私は気を引き締めると体を洗う手に少し力を込めた。
「まだなのか? できないなら代わりを用意するだけだ」
「まだだ。今やれば足がつく」
青年は、短く答えると相手の返事も待たずに踵を返した。
知らず、青年の眉間に皺が寄る。
この仕事をしてしまえば、今度こそ引き返せなくなる気がした。
翌日は快晴だった。良いお茶会日和である。
会場へ着くと既に幾人かの令嬢が談笑を楽しんでいた。大きな屋敷の広大な庭園は見る者を唸らせる荘厳さだ。植木には手入れが行き届き、鮮やかな花々は見る者を楽しませる。しかしそんな立派な庭園もここでは背景に過ぎない。私の姿を見とめると誰もが一瞬口をつぐみ、周りを窺う。誰から挨拶するか牽制しているのだ。
しかし、彼らよりまず優先される人物がいる。
「ごきげんよう。ようこそいらっしゃいましたティナーレイン様。お会いできて嬉しいですわ」
優雅に挨拶したのは今回の茶会の主催者であり、ここクラヴィエル公爵家の一人娘、ヴィアナメリアだ。美しいブロンドの髪をカールさせ可愛らしいツインテールに仕上げている。茶会には少し派手に思えるピンクのドレスもまた彼女らしく、よく似合っていた。
「ごきげんよう。ヴィアナメリア様、本日はお招きくださりありがとうございます」
「まぁ当然ですわ。私が貴女を招待しなかったことが今までありまして?」
「ふふっ、ございませんわね。いつもありがとうございます。ヴィアナメリア様の良きお友だちでいられて嬉しい限りですわ」
とはいえ、これもあと数年の縁のはずだ。数年後、クラヴィエル家はその家長が罪に問われて没落する。その騒動の最中、ヴィアナメリアは失踪するのだ。
「私もですわ。どうぞお寛ぎになってください。一度失礼いたしますが、後でゆっくりお話ししましょうね」
そう言って去っていく後ろ姿を見送ると、今まで遠巻きに眺めていた令嬢たちがそろそろと寄ってくる。格式高き公爵家と、この機会にお近づきになりたいのだろう。
そんな令嬢たちの相手をしているうちに、招待客が揃ったらしい。ヴィアナメリアが庭園の正面に立ち、挨拶をする。クラヴィエル公爵家は私の家であるリュシエラート公爵家と並ぶ家柄であり、私と同年の彼女は王妃の座を競うライバルとも言える。そうなれば当然のように家同士はあまり仲が良くない。しかし。
「ティナーレイン! 席を用意させているの。あちらでお話ししましょう」
挨拶を終えたヴィアナメリアは真っ先に私のもとへ駆け寄ってきた。私とヴィアナメリアに身分的な差はない。くだけた場では敬称を付けなくとも問題ない。
「ええ、ヴィアナメリア。私もお話ししたいことがたくさんありますの」
家同士の仲は大抵子供同士にも影響するが、私たちはその限りでなかった。というより、ヴィアナメリアが気にしないのだ。
大らかな彼女の周りでは政治的には敵対している家の令嬢たちも親しく談笑する。他の家ではこうはいかない。そもそも政敵である家の人間を呼ぶのはマナー違反である。
ヴィアナメリアに案内されてテーブル席へ行くと既に数人の令嬢が談笑していた。私たちを見るとお喋りを中断して立ち上がる。簡易的に挨拶を交わし、全員で席に着いてからが本番、なのだが。
「ねぇ、ヴィアナメリア様お聞きになって。彼がひどいんですのよ」
「ティナーレイン様聞いてください。私つい昨日、運命の出会いを果たしまして」
「まあ、また運命? 先週も聞きましたわ」
「今度こそ本当なんですわ! ねえ、ティナーレイン様は信じてくださいますよね?」
場はたちまち姦しくなる。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。ここに集った者たちは皆ヴィアナメリアと同じく政治的な駆け引きになどまるで興味がない者である。興味があることといえば、自分の恋愛と他人の恋愛と有名人の修羅場くらいか。こんな風に生きていたら虚しさとは無縁なのだろうか、とチラリと思う。少しだけ羨ましい、と思うのは傲慢というものだろうか。
「それで今度はどんなお方とお会いしましたの?」
私もまた目を輝かせて興味があるフリをする。こんな者たちでも親しくしておいて損はない有力者の血族たちなのだ。ヴィアナメリアと親しくなったのもそのためだった。王妃となった後敵対する可能性はいくら排除しても足りない。
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