間違った逢瀬

 それからわずか三日後、私は再びセレンと対峙していた。


「今度は何から逃げて来たんだ?」

「今日は、逃げて来たのではありません。あなたに会いに来ました」


 三日前、表通りに出た私はすぐに私を捜索していた従士に発見された。家に戻るとエリネが泣きそうな顔になっており、両親には心配と怒り半々くらいの顔でらしくないと言われた。本当はその翌日すぐに来ようかと思ったのだが、エリネが一人で街へ出ることを承諾してくれず三日も経ってしまった。表通りを歩いてすぐに帰るから、と約束した上で、堂々と約束を破って私はここにいる。


「何か用でも?」

「ッ……」


 その問いに言葉を詰まらせる。こんなのはただの勢いだ。後悔する行動をした日にたまたま彼に会ったに過ぎない。そして、後悔以外の何かが見えそうな気がしたに過ぎない。もしかしたら、誰でも良かったのかもしれない。早くも後悔が湧き上がった。こんな身勝手な行動、彼に迷惑をかけるだけだ。


「ここに来たら会えると思った?」


 何も言わない私に、重ねて彼は問う。ここは三日前に彼と会った裏路地のベンチだ。


「……いえ、会えたらいいな、と」

「あのな……」


 セレンは呆れたように頭を掻く。言ってしまってから私も恥ずかしくなり、心なしか頬も熱くなって、焦りからか口は滑り続けた。


「その、申し訳ありません。こんな、迷惑ですよね。そうですよね。もう帰りますので」


 言ったものの、帰るべき道には彼が立っていて通れない。そしてその彼はというと、何事か考え込んでいるようだった。


「はあ……わからない」

「何がですか?」

「俺に惚れたんなら、どうしてあの時口説かなかった?」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


「……は、え、ほ、惚れ……? あの時って」

「君の誕生日パーティで会った時さ。俺としては口説かれるつもりで出て行ったんだが、本当に月を見て噴水を眺めるだけ。帰り際だって呼び止めてもくれなかっただろ」

「だって、それは、その……いえ! いいえ! 私はあなたに惚、惚れてなどおりませんわ!」

「そうなの?」


 心の底から意外そうな顔で言う。


「そうです!」

「理由もなく会いに来たのに?」

「り、理由は……」


 言えない。後悔の先にある何かを求めて、なんて。そもそも馬鹿げている。根拠も何もない。こんなのはただの勢いだ。偶然の出会いに都合のいい妄想を押し付けて、勝手な期待だけで私はここまで来ている。


「また来るか?」

「……はい?」

「この場所は君が思ってる以上に危ない。また来るなら待ち合わせ場所と、できれば時間も決めよう」


 その言葉は意外だった。放っておけば良いのに。この男は私の身勝手に付き合うと言っているのだ。


「どうしてですか?」

「ん? だから、この場所は危ないから」

「そうではなくて。また、会ってくださるのですか? 理由も……答えられないのに……」

「ああ……うん。そう……なるな」


 しばらく、互いに無言になった。

 この約束をしてしまえば、私たちは一線を越えてしまう。一庶民が貴人に対してこんな言葉遣いは到底許されない。貴人がそれを許容することもまた、許されない。

 言い訳のしようもない、間違った行いで、間違った逢瀬。この関係が露見すれば、私の縁談にも差し障るし、ともすれば彼も罪に問われかねない。

 この場の最適解は「もう来ない」で「もう来るな」だ。

 なのに、その一言が言えない。言いたくない。

 逡巡の末、私の背中を押したのはまた「後悔できそうだから」だった。


「また、来ますわ。どこへ行けばお会いできますか?」


 言ってから、私は最低だな、と思った。自分勝手な癇癪みたいな行動に、この瞬間、関係ない彼を決定的に巻き込んだ。もっとも、この素性も知れない男がその程度のこともわかっていないとは思えないが。

 ただ間違いなく言えることは、この選択によって少なからず未来は変わるだろうということだ。


「それなら……」


 それから私たちは待ち合わせ場所と会うための手順を打ち合わせた。小一時間ほど話して概要を取り決めたところで、実際の待ち合わせ場所へ行ってみることになった。セレンが立ち上がり、地面に書いていたメモを足で擦って消す。


「とりあえず、表通りまで送るから正面の宝石店の中で待っててくれ」

「……? セレン様は……」

「後からすぐに行く。十五分くらい時間を潰しててくれればいい」

「……わかりました」


 セレンと別れ、指定された宝石店へ入ると色鮮やかに並ぶ宝石たちが私を出迎えた。あまり高価なものは陳列されていないが、店の奥にあるのだろう。見るともなしにそれらを眺めながらぼんやりと考える。セレンの目的は何なのだろうか。

 彼が私に付き合うメリットがあるとも思えない。あるとすれば金銭的なところだろうが、私個人に動かせるお金などたかが知れている。それなら私を拘束して身代金でも要求した方がよほど確実だ。それとも庶民のような態度の方が偽物で、本当の身分は高いのだろうか。それならまだ金持ちの道楽で説明できなくもない。パーティでの態度といい、変わり身といい、彼はあまりに謎が多い。

 私は思考を中断すると、小さく息を吐いた。考えてもわからないことは考えるだけ無駄だ。ただやるべきことをこなすだけでいい。今はせいぜい迷走していようと思う。結局のところ何があんなにも私を空虚な気持ちにさせたのかもわからないのだから。


「ティナーレイン様」


 思考を切り上げて宝石を眺めることしばらく、背後から声をかけられて振り返るとセレンがいた。身なりはきちんと整えられ、今はもう裕福そうな青年にしか見えない。改めて見てもよくここまで化けるものだと思う。


「早かったですね」

「あまりお嬢様をお待たせするわけには参りませんから。参りましょうか」


 セレンはそう言って片手を差し出した。


「ええ。ありがとうございます」


 動揺を見せず、極めて自然にその手を取ることができたのは長年の令嬢生活の賜物だろう。貴族の世界は厳しい。そう簡単に他者に内心を悟らせるようではいけないのだ。

 店を出ると自然と手は離れ、そのまま市街を進む。軒を連ねる店舗は高級そうな立派な門構えのものから出来合いの食べ物を売る屋台まで様々だ。こういった食べ物は食べたことがない。どんな味がするのだろうか。興味を惹かれながら眺めていると、セレンが不意に足を止めた。


「ティナーレイン様、ここで少し待っていてください」

「えっ」


 セレンに言われて振り返ると彼はクスリと微笑んで屋台へ向かっていった。そんなに物欲しそうに見ていただろうかと恥ずかしくなる。間も無くセレンは両手に肉串を持って戻ってきた。片方を私に差し出す。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 努めてにこやかに、嬉しそうに見えるように受け取る。初めて食べた肉串は甘辛くて美味しかった。少し味が濃い気がするのは、大衆向けだからだろうか。


「ん、美味しいですわ」

「それは良かったです」

「セレン様はよく召し上がられるのですか?」

「はい、たまにこの味が恋しくなるのですよ。今も屋台を見かけて無性に食べたくなったのです。付き合わせてしまいました」


 そう言った彼の笑顔は非の打ち所がないものだった。歩く早さやエスコートの仕方、細やかな心配りと僅かなユーモア。やはりこちらが素なのでは思えてくるほど、その姿は堂に入っている。その後も極めて自然に私から食べ終えた串を受け取ると、店の隣にあるクズ籠に捨ててくれた。


「では、参りましょうか。こちらです」


 先導された先は大通りから逸れた脇道だった。といっても狭い路地ではない。変わらず日は差し込み人通りもある。居並ぶ店構えは大通りに比べると質素になっているが、それ故の静謐な雰囲気を纏っている。

 やがてセレンが立ち止まったのは、とある服屋の前だった。古びた看板には掠れた文字で『フィリグラン』と書いてある。看板だけでなく、店自体が年季の入った様子だ。店の前にはこちらも古びた掲示板があった。長らく使われていないのだろう、設置されてある板には子供が書いたであろうラクガキが残されているが、それも何年前のものかわからない。


「これですか?」


 確認するように尋ねる。これというのは掲示板のことだ。この掲示板を使って日時のやり取りをする。


「はい。中へ入りましょう」


 セレンが扉を押し開けると、カラリンとどこか間の抜けた鐘が鳴る。店内に客の姿は見当たらない。掃除の行き届いている清潔感のある店だった。商品棚には平民向けと思われる安価な服が並んでいる。


「いらっしゃいませ」


 カウンターには、古びた店の外観には不似合いな一人の若い男が立っていた。清潔に整えられた短い茶髪はいかにも接客業をしている男性らしい。男は何かを訝しむような、尋ねるような視線をセレンに向ける。


「客は?」


 尋ねたセレンは再びあの一番楽だという態度に戻っていた。


「いないし、予約は夜だ。店を閉めよう」


 答えて男は扉の戸締まりをしにカウンターを出てきた。


「悪いな」

「気にするな。それより、お前が人を連れてくるなんてな……誰だその子は」


 その子と言われたことに少しばかり反発心を覚えたが、余計なことは言わずに黙っておく。ただ視線に少しばかり警戒の色が過ってしまったのは仕方ないだろう。

 質問が意外だったのか、セレンは少し考えてから答えた。


「……誰、だろうな……まあ、誰でもいいだろ。名前はティナ。平民の娘がよく着てるような、そうだな……ワンピースを見繕って欲しい」


 誰でもいい……その言葉は少しばかりショックでもあったが、同時に少し面白く思っている自分もいた。単にこの店主を誤魔化すつもりの言葉だったのかもしれない。だが、これでも公爵家の令嬢である私を「誰でもいい」などと言った人間は初めてだ。


「……誰でもいいって、お前それは酷くないか」

「そう言われてもな……」


 呆れたように言う男に、困ったようにセレンが答える。親しい間柄であることが容易に想像できた。


「ワンピースはいいけどさ。まさかその子、本当にいいとこのお嬢さんなのか?」

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