第42話

 今日は一段と寒く、吹いている風も、もはやただの風ではなくなっていた。


 容赦なく体温を奪っていき、ガタガタと震える。いよいよ河川敷での飲み会もキツイ。


「さ、寒い……」


「ん。だよね……持つ手の感覚がなくなりそう……」


 俺と七瀬さんの手にあるのは、季節外れの缶チューハイ。その金属の冷たさが、わずかに残っていた手の温もりさえも、根こそぎ奪い去っていく。白い息が、言葉を発するたびに、虚しく夜空に溶けて消えた。


「さすがに、今日はもう一本って気分じゃないね」


「ん。私も。このままだと、修行になっちゃう。だけど、お酒は飲みたい……手が震える……」


「アル中!?」


「や、寒いだけ――あ、じゃあ寒くないとこで飲めばいいのか」


 七瀬さんは何やら思いついたらしく、ポンと手を叩いた。


「寒くないとこ? 今日も居酒屋?」


「や、私の家。ここから歩いていける距離だし」


「えっ……」


「川の向こう。そこの橋を渡って少し向こうにあるマンションだから」


 七瀬さんが指差す先には明かりの灯った背の高いマンション群がある。そのどれかということらしい。


「そうなの!?」


「ん。そうだよ。ってわけで行こっか?」


「いっ、家に……」


「別にとって食べたりしないよ。いつもみたいに飲んで、帰る。それだけだよ」


「まぁ……送るだけなら」


「ん。それだけでもいいよ」


 俺たちは河川敷に並行するように歩き始めた。


 車の音が大きくなってきて、橋にぶつかる。そこで方向を変えて橋の歩道に道を変える。


 途中、向かいから学生と思しき四人組が歩いてきた。七瀬さんはスッと俺の背後に回り込み、同時に俺も一歩前に出て縦長の陣形を取る。


 七瀬さんは後ろからツンツンと突いてくるが振り向くとニヤリと笑うのみ。遊んでいるんだろう。


 たまに虫を振り払うように七瀬さんの手をパチンと払いながら進み、たどり着いたのは、彼女が住む、間接照明がお洒落なマンションのエントランス。


 オートロックのガラス扉の前で、俺は「じゃあ、また」と、別れの挨拶をしようとした。その時だった。


「……あのさ」


 七瀬さんがためらいがちに俺を見上げた。


「やっぱり、このまま解散するの、なんか勿体なくない?」


「え?」


「や、ほら。陽介が帰り道で車とぶつかるかもしれないし隕石が落ちてくるかもしれないし、

 一回避難した上で時間を置いてから帰っても良いんじゃない?」


「七瀬さん……俺の命を救うために未来から来たの?」


「という設定を飲み込んだら素直に上がれるなら」


 七瀬さんはにやりと笑い「お酒は買ってるよ」と言う。


「……じゃあ、お言葉に甘えて。ちょっとだけ」


 オートロックが開き、俺は初めて彼女のプライベートな空間へと足を踏み入れた。


 一人暮らしにはかなり広めのリビング。モノトーンの家具で統一はされているが、未開封の封筒が積み重なっていたり、脱いだ後の部屋着がソファに掛けられていたりと、生活感がすごい。


「や、汚くてごめんね」


「そんなことないよ。普通じゃない? 良くも悪くもさ」


「ま、普通の人ですから」


 普通じゃない人、例えば、アイドルのお部屋なんかだともっとカラフルで物に溢れていたり、謎のこだわりが発揮されていたりするんだろうか。そんな人の部屋を見る機会はないので知らないけれど、多分そうなんだろう。


「そこ、座ってて」


 彼女が指差したのは、部屋の真ん中に置かれた、二人で座れそうなソファ。


 俺はまるで神聖な場所に足を踏み入れるみたいに、恐る恐るソファの端っこに腰を下ろした。


 冷蔵庫から缶チューハイを取り出してきた七瀬さんも、俺とは反対側の端に、ちょこんと座る。


 距離だけで言うと河川敷の方が近いけれど、密室ということもあり妙に緊張してしまう。


 七瀬さんは自分の部屋だからなのか、リラックスした様子で鼻歌交じりにテレビをつけて音楽を流し始めた。


「一人暮らしの割に結構広いんだね」


「ま、借り上げ……じゃなくて! 陽介! 刈り上げとか興味ない!?」


「急に何!? 刈り上げ!?」


「髪型! 変えてみたくない!?」


 七瀬さんは慌ててそう言う。急にどうしたんだ!?


「い、今のままでいいかな……」


「や、そうだよね。うん、刈り上げはしなくていいよ」


 急に提案してきたり取り下げたりと忙しい人だ。苦笑いをして流すと、七瀬さんは俺の方をちらっと見てまたぷいっと顔を逸らした。


「どうしたの?」


「や、逆に陽介の好みはあるのかなって」


「刈り上げ?」


「女の子の髪型だよ」


「刈り上げ」


 冗談めかしてそう言う。


「うわ、まじか」


 七瀬さんも冗談と分かった上で乗っかるように笑った。


「で、どういうのがいい?」


 七瀬さんが笑顔で距離を詰めてくる。


 なんか圧がすごいな!?


 俺は少し離れながらスマートフォンでインカメラを起動して七瀬さんに向ける。


「や、可愛い子が写ってるじゃありませんか」


「だから……そのままでいいかなって思ってる」


「……なるほどね」


 七瀬さんは顔を赤くして大人しくなってしまった。なんか、鏡を見せたら大人しくなるタイプの妖怪みたいだな。


「七瀬さん」


「ひゃっ……はい!」


 七瀬さんが前髪を整えながら俺の方を向いた。


「鏡を見せたら大人しくなるタイプの妖怪っているよね」


「誰がメドゥーサじゃ」


 七瀬さんは唇をとがらせて、ジト目で睨みながらベシっと俺を叩いてきた。


 ◆


 帰り際にマンションの室内廊下を一人で歩いていると、向こうから見知った人がやってきた。


 私服の朝霧さんだ。


 朝霧さんは俺に気づくと目を丸くして「な、なんでここに!?」と声を上げた。


「そ、それはこっちのセリフなんですけど……」


「……私の家、ここだし」


「七瀬さんと同じマンションなんですね」


「……事務所の借り上げだからね。まるまるワンフロア」


「刈り上げ……?」


 七瀬さんとの会話が不意にフラッシュバックする。アレは借り上げという言葉を誤魔化すための刈り上げトークだったんじゃないか、と。


 なぜ誤魔化す必要があったのかは分からないけど。


「……なんか通じてなさそうな感じがするけど大丈夫そう?」


「だ、大丈夫! じゃ、じゃあ七瀬さんは……」


「……あ」


 朝霧さんはしまったと言いたげに口を手で隠した。


 その反応を見て俺は一つの仮説に思い至る。


「もしかして……スタッフにも部屋を貸しているのは内緒だったりします? 七瀬さん、メンバーじゃないから部屋を借りてるのは秘密とか……そういう感じですかね」


「…………」


 朝霧さんは俺の質問に長いこと考え込む。


「…………そう」


 そして、仕方なく認めるように頷いた。やはり俺の仮説が当たっていたようだ。


「大丈夫です。七瀬さんのためなら秘密は守りますから」


「……ありがと。それだけ口が固いなら……ま、いいや。七瀬と部屋で何してたの?」


「口が固いので言えません」


「……それだとエロいことをしてたとしか捉えられないけど」


「してないですよ!? 河川敷が寒いから部屋で飲んでただけですから! いつもと同じことです!」


「……なるほどね。了解。またね」


 朝霧さんは聞きたいことが聞き終わると、手を振って去っていき、少し離れたところにある自室に入っていった。


(七瀬さん、すごいところに住んでるんだなぁ……)


 しみじみとそんなことを思いながら一人でエレベータに乗り込み、アイドルだらけのフロアを後にした。


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