第32話
「七瀬さん、飲みすぎじゃないか?顔、赤いぞ」
「んー、へいきへいき。酔ってない」
呂律が回っていないその口調が、彼女の言葉に全く説得力を持たせていなかった。今日の七瀬さんは、いつもよりペースが早い。
俺が缶チューハイを一本空ける間に、彼女は二本目に手を伸ばしていた。何か嫌なことでもあったのかもしれない。
彼女は後ろ向きにゆっくりと身体を倒し、何の躊躇もなく、ごろん、と寝転がった。
「七瀬さん、風邪ひくよ……」
「や、大丈夫大丈夫……見てよ、陽介。空、なんにもない。寝転んでみな?」
七瀬さんはほろ酔いで微笑みながら空を指さした。
言われるがまま、俺も彼女の隣に、ゆっくりと腰を下ろし、そして、思い切って寝転がってみた。
ひんやりとしたコンクリートの感触と、土の匂いが背中に伝わる。視界いっぱいに広がるのは、都会の、オレンジ色を帯びた夜空だった。明るすぎて、星なんて一つも見えやしない。ただ、頼りなげな月が、薄い雲の向こうにぼんやりと浮かんでいるだけだ。
「ほんとだ。なんにもない」
「でしょ。からっぽ。気持ちいい」
彼女はそう言って、満足げに目を閉じた。本当に、このまま寝てしまいそうな勢いだ。
「このまま寝ちゃいそう……気持ちよくて」
俺がそう言うと、隣で目を閉じたままの彼女が、ふふっ、と笑った。
「けどさ、星さんサイドからしたら可哀想だよね」
「何が?」
「ずーっと光ってるのに、こっち側の都合で見てあげられないんだもん。暗ければ、目が良ければ見えるはずなのにさ」
「そういうもんだしねぇ……それに、そんな環境だと星はたくさん見えるからそのうちの1つでしかないし。特定の星だけを見るなんてこと、中々できないよ」
「ま……確かに。それでも見られたいって思う星も――」
七瀬さんがそんな話をしている最中、お互いの手がぶつかる。そこで七瀬さんが話を止めたため、否応なしに手に意識が向く。
「なっ……何の話だっけ? あは……あはは……」
七瀬さんが何かを誤魔化すようにそう言ってわざとらしく笑う。
「星が見えなくて綺麗だねって話だね」
「ふふっ……見えなくて綺麗、か。確かにそうだね。それでも……見えるように星から近づくこともあるかも」
七瀬さんはそう言って俺の手を握ってきた。
「なっ……何?」
「や、星の気まぐれ」
「そ、そっか……」
七瀬さんは気まぐれに手をギュッギュっと握ってくる。
「ある星は『見えてくれ〜』って言ってるかもしれないし、別の星は『別に今は見えなくてもいいや』って言ってる……気がする。周りの光が強すぎてね」
「へぇ……」
「ま……そんな感じ」
「なるほど……こ、この手と関係が?」
「や、ないよ。気まぐれだから」
七瀬さんはそう言いながらも離す素振りは見せず、そのまま上を向いて目を瞑った。
「陽介、星は隣じゃなくて上。ジロジロ見ないよ?」
「分かってるよ!?」
俺がじっと七瀬さんを見ていたことがバレたのが気恥ずかしくなり、そのまま勢いよく上を向く。
すると、目が慣れてきていたのか星がいくつか見えてきた。
「あ、星見えた」
「えっ!?」
七瀬さんは驚いたように俺の方を見てくる。
「上だよ」
「そっちか」
「他にどっちがあるの……」
「そうだよねぇ」
七瀬さんはニヤニヤしながら空を見上げる。
「ん……や、あれって飛行機じゃない? それかドローン。あの赤っぽいやつでしょ?」
「え……あ、本当だ……点滅してた……」
「ふふっ。やっぱり見えないね、星は」
七瀬さんはそう言いながらまた俺の手を何度も握ってきたのだった。
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