第28話
夜の空気に冷たさが交じるようになってきた頃、俺と七瀬さんは、いつものように河川敷で座っていた。
七瀬さんは袋から缶を2つ取り出した。1つはいつものレモンの七パーセント。もう一つはコーンスープだった。
「お、今日は二刀流?」
「ん。そう。缶のコーンスープって、たまに無性に飲みたくなるよね。でも、絶対、最後の数粒が缶の底に残っちゃう」
「そうそう! あれ、どうにかならないもんかね。缶を逆さにして、必死に振ってる姿、あんまり人に見られたくないよね」
「ふふっ、けど陽介には見られちゃうんだね。私の恥ずかしい姿」
「そんな言い方はしなくていいよ!?」
七瀬さんはニヤリと笑い、コーンスープの缶を開ける。
勢いよくシュバッ! とコーンスープが吹き出し、七瀬さんは慌ててコーンスープを口にした。隣からハンカチを手渡すと、「ありがと」と言いたげにコクコクと頷きながら服に飛び散ったコーンスープを拭いている。
やがて、上を向いたままトントンと缶の底を叩いて底に溜まったコーンを落とす時間がやってきた。
横からじっと見ていると、七瀬さんは自分で叩きすぎたのか「ぎにゃっ!」と言って缶を離した。
「何をしてるの……」
「や、叩きすぎちゃった。口いたい……ついてないね」
そんな、どうでもいい話をしていると、七瀬さんは「あ」と小さく声を上げた。
「どうしたの?」
「ううん、思い出しただけ。今日の朝のテレビでやってた占い」
「ああ、やってるね。つい見ちゃうんだよね」
「陽介って、占いを信じるタイプ?」
「うーん、信じるっていうか、エンタメとして楽しんでる感じかな。今日の俺、しし座、最下位だった」
俺がそう言って大袈裟に肩を落とすと、七瀬さんは「あらら」と笑った。
「ちなみに、ラッキーアイテムは『鉢植えのサボテン』で、アンラッキーな方角は『北西』だった。どうしろって話だよね、そんなの。仕事中、北西だけ避けて鉢植えを持ってカニ歩きしてられないし」
「ふはっ……確かに。小さいサボテンを持っていけばよかったじゃん。カバンに入れてさ」
「棘が刺さって大惨事だよ……まあ、結局、最下位って言われると、逆に『今日は慎重に行動しよう』って思えるから、ある意味、ありがたいんだけどさ」
自分の都合のいい解釈に、俺はへらりと笑った。すると、七瀬さんは、温かい缶で指先を温めながら、少しだけ皮肉っぽく言った。
「悪い結果は『気をつけよう』っていう教訓にして、良い結果だけを『やっぱり!』って信じる。それって、すごく都合がいいよね」
「まあ、そう言われると、ぐうの音も出ないけど……」
「だって、占いの言葉って、全部曖昧じゃない? 『新しい出会いの予感』とか、『忘れ物に注意』とか、『親しい人への感謝を忘れずに』とか。そんなの、誰にだって当てはまる。ラッキーカラーが『青』って言われたら、空を見上げて『あ、ラッキーだ』って思うこともできるし」
「手厳しいね……」
「だって、そうじゃない? それは未来を予知してるんじゃなくて、受け手が、自分の都合のいいように意味づけをしてるだけ。自分の人生のハンドルを、テレビの向こうの、会ったこともない他人に、一瞬だけ委ねてるようなものだよ。すごく無責任」
彼女の言葉は、いつもそうだ。物事の表面を一枚、綺麗に剥がしていく。その下にある、少し不格好で、人間くさい本質を、的確に指差してくる。俺には、そんな風に世界が見えたことは一度もなかった。
でも、と彼女は続けた。
その声のトーンが、さっきまでの鋭さとは少しだけ違って、柔らかくなっていることに、俺は気づいた。
「でも……そうやって、一日の指針が欲しくなる時も、ある」
彼女は、自分の手の中にある缶を見つめていた。その横顔に、街灯の光が、淡い影を落とす。
「明日、どうなるか全く分からない時とか。自分が今やってることが、本当に正しいのか、不安で仕方ない時とか。自分の力じゃ、もうどうにもならないって思うような、大きな流れの中にいる時……」
そこまで言って、彼女は言葉を切った。
「そういう時にさ、『今日のラッキーアイテムはハンカチです』って言われると、それをポケットに入れるだけで、なんだか、小さなお守りを持てたような気になる。嵐の中で、ほんの少しだけ、頑丈な手すりを見つけられた、みたいな。ま、気休めでしかないんだけどね」
そう言って、彼女は自嘲するように、ふっと笑った。
未来が見えない。自分の力じゃどうにもならない。その言葉が、やけに重く、俺の心に響いた。「そっくりさん」として生きる彼女の世界には、俺の知らない嵐が、いつも吹き荒れているのかもしれない。
俺は、彼女に気の利いた言葉をかけてやることはできなかった。ただ、彼女が、その嵐の中で、たった一人で、ハンカチ一枚をお守りにして立っている姿を想像した。
「そっか」と俺は言った。
「じゃあ、俺、明日から毎朝、七瀬さんの分の占いもチェックしとこうかな」
「……え?」
「で、しし座の俺より運勢が良かったら威張っていいし、悪かったら、ラッキーアイテム、俺が探しといてあげる」
「ふふっ……なにそれ」
「もしラッキーアイテムがサボテンだったら、朝一で七瀬さんの家に届けに行くよ。ちっちゃいやつ」
俺が真顔でそう言うと、七瀬さんは一瞬、きょとんとした顔をして、それから、耐えきれないといった感じで、ぷっと吹き出した。
「ふふっ……いらないよ、そんなの。朝からサボテン持ってこられても困るし」
「そう? 結構、いい案だと思ったんだけどな」
彼女は、まだ笑いながら、「ばかじゃないの」と小さく呟いた。でも、その声は、心の底から楽しそうで、その笑顔は、さっきまでの儚げなものとは違う、温かい光を灯している。
「……七瀬さん、今日のラッキーアイテムって何?」
「や、コーンスープ」
「占いをガッツリ意識してたんだね!?」
「ふふっ……そういう日もある」
七瀬さんはもう一度上を向いてコーンスープの缶を逆さにして口につけ、トントンと底を叩いた。
「ん……コーン、たくさん出てきた。ラッキーだ。ま、最下位だったけど」
「よ、良かったね……最下位ってことは、七瀬さんもしし座なの?」
「や、乙女座。最下位なのに書かれていたのは『恋が動くかも』だってさ」
「う……動いたの?」
七瀬さんはじっと俺の方を見てくる。感情に乏しく、動いたのかどうかはまるでわからない。やがて、ずっと動かなかった時計が動いたかのように、七瀬さんはゆっくりと微笑んだ。
「ん。ちょっとだけ。時計の一番短い針くらい、ゆっくり」
「へっ、へぇ……」
「陽介、相手が気になってそうだね。誰か分かる?」
「わっ、分からないけど!? 気にしてないけど!?」
「ふーん……」
本音を言えば気になるけれどなかなかそんな事を面と向かっては言えない。
それでも七瀬さんは俺の本音を見透かしたようにニヤニヤしている。
「や、ってかさ、これも星座占いが信用ならない理由の1つだよね。局っていうか……占いを作ってる人によって順位が変動するってさ――」
七瀬さんはまたヒートアップしていかに占いが当てにならないのかを熱弁し始めた。
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