神在月 その1

 そうこうするうちに1か月が過ぎ、深まった秋もおわってそろそろ初冬の寒さだ。そのせいかここ10日間くらい体調がすぐれない。熱はないんだけどからだがおもくてあたまがけっこうガンガン、ベッドでこう、ぐだっとしてる。出雲で生活しだして1年半、はじめてのことだ。授業の代返はともだちにたのんだけどミニゼミ出ないとやばいし、学校には行ったり行かなかったり。

 へやでどん兵衛をすすりながら、それでも今日は朝からちょっと楽になってきた。

 ・・・今日はたかひこ君の言ってた神迎神事の日だ。去年は興味もなかったので行かなかったんだけど、神さまにさそわれた以上ムゲにできないな。夕方の7時からだからもうそろそろ出ようか。

 ぶりかえさないように厚着をして、カバンを肩にへやを出る。

 今日は土曜日だから5時13分の一畑電車に乗って・・・駅に着くとやたら人が多い。観光客であふれてる。ここは神在月とお正月がかき入れ時なのね、まあそんなときに限って架線が切れたり踏切事故が起きたりして止まっちゃうんだけど・・・出雲大社前まで550円、改札で切符にハサミを入れてもらって2階のホームに上がると、停まってる2両の赤い電車はほぼ満員だった。定刻に発車し、途中の川跡かわとで乗り換えて、5時35分に出雲大社前に着く。ここから2キロ弱の道のりを海岸まで歩くのだ。

 海岸へとむかう観光客といっしょに30分ほど歩く。この道は出雲大社から日御碕へむかうルートで、途中には出雲阿国の墓なんてものもある。海岸まぎわは砂丘を越えるため坂道になっていて、そのてっぺんまで来ると稲佐の浜が眼下にひろがる。もう薄暗い景色の中、照明がいくつか浜を照らしていて、そこに・・・まあ、まるでアリみたいに人がたくさん! そんなとこへこれでもかというくらいにあとからあとから人が押し寄せてゆく、すごーい。たかひこ君は神事といってたけどこれはもうフェスよ! キッチンカーも出てるし。

 最近整備がおわって親水公園みたいになった浜にはいると、たくさんの人が思い思いに座ったり歩き回ったりしてる。そんな中、弁天島からちょっと右にずれたところに大きな人垣ができていた。浜の波打ち際に薪を積んだちいさな山が3つ、そのうしろにはテント、それらをすでに分厚い人垣が囲んでる。

 しかしあたしはあろうことか実行委員の神さまに招待されたのだ! そんな人物がほかにいるだろうか! プライオリティーが高いのだ・・・ちょっとすみません、すみません、VIPです、とずうずうしく割り込んでいって、けっこう前のほうまで出ることができた。これから神事が始まるまで立ったまま1時間待ちだ。

 さいわい今夜はあまり風もなく、さむくもなく穏やか。この時期の出雲はお忌み荒れといってなみかぜが荒く、なんとセグロウミヘビが仮死状態で浜に打ち上げられる[1]ほど。だいたいふだんから波が荒いせいで大量の砂が打ち寄せられて海岸を埋め、今や弁天島は陸つづきになってしまった。あと20年もしたら完全に陸地になってしまうんだろうな。

 水平線のうすあかりが次第に闇に変わっていき、7時近くになるとあたりは完全に夜になった。そしていよいよ関係者のひとたちが波打ち際の3つの薪の山に火をつけてまわる。薪に乗り移ったほのおは一気に大きく燃えあがり、それをとりかこむ人たちを赤く照らしだした。いよいよはじまる!

 ・・・え? 急に全身からつめたい汗がにじみ出してきた、おなかのあたりがおもくなって足のちからが抜けていく、あたまがガンガンしはじめて、一気に全身の血がスウッと引いていって・・・ちょっとまって、よりによってこんなときにまた体調がわるくなるの!? あと数分ではじまるのよ、なんでこんなときに・・・1時間ちかくも立ちんぼで待ってたのよ!・・・それがいけなかったのか[2]?

 ダメだこりゃ、ああダメだ、もうダメだ・・・倒れそうになるのを必死でこらえて分厚い人垣をかきわけ外に出ると、そのまま砂のうえにうずくまってしまう。肩で息をして・・・ああしんど・・・うしろではついに神事がはじまったようで、はるかむこうから太鼓のおとや笛のおとがし、千家国造さんのがマイクをとおして聞こえてくる。かしこみかしこみもおさく・・・とおくなりそうな意識のなかで、神職さんの名前を呼んでゆく声、それにこたえる「おーーーっ」っていうおたけび・・・な、なにをやってるの? なんで見られないの? 目の前は砂ばかり・・・。

 やがてうしろでがやがやと人が集まり、そして何かがうごいてゆく気配がし、それにつれて人もうごいてゆき・・・どうもおひらきとなったよう。

『ひさしぶりひなた! たいへんだったねえ!』

 いきなり頭のなかで声がした。え・・・見まわすと目の前にぞうり、そして神社の巫女さんみたいな、あれよりちょっと豪華な感じのはかまが目にはいった・・・そろそろと視線を上へあげてゆくと、どこかで見たような顔・・・あ、あのときの病室にあらわれた目つきの悪い女の人・・・きょうはそんな陰鬱なかんじじゃなくて、なんかむじゃきに笑ってる。たかひこ君が言ってたな、なんだっけ、ああ、アヤト姫。

『高日子から聞いたよ、アンタまだ修行がたりないんだって?』

 はあ? 修行もなにも勝手に、ええと、干渉・・・されて迷惑だわ、どうしてくれる! そのうえ神さままで見えるようになって、ついでにこれもどうしてくれる!。 まあユーレイよりかはいいけど。

『今日ここには八百萬の神々が来たからね、神圧に負けたんだよ。しっかし修行が足りないのによくこんなところに来たねえ。こうなるのは目に見えてんじゃん』

 し、しらないわよ! たかひこ君に招待されただけよ、神聖な神事を見に来ただけよ、まあビール飲んだり電飾をあたまにかぶったりするふまじめなやつもいたみたいだけど。

 でもなんであなたがここにいるの? あ、あなたも八百万の神さまのひとりか。

『そりゃそうだけど、今日は仕事だぞ』そういって左腕をにゅっと突きだしてきた。あ、腕章だ、神在祭実行委員会。

『なんせ八百萬の神々が一堂に集結するからね。それを迎える出雲の神様は大変だよ。案内から食事、寝床、けんかの仲裁まで、今日から1週間てんてこまいだ・・・そういやアンタ、ここ10日間体調悪かったみたいだね。今市から朝山神社まで直線距離で5キロ以上あるってのにそれでも寝込んでたんだから、こんなとこに来るなんざ千年早いね』

 え、朝山神社ってなに?

『アンタなんにも知らないんだね。八百萬の神々はいちばん最初は朝山神社に入るんだよ。そこで10日間過ごしてから一旦西方の海上に集結して[3]、改めて稲佐の浜に入ってくるんだ』

 え、じゃあ今まで10日間しんどかったのはその朝山神社からの神圧のせい、ってこと? 今日いったん楽になったのは神さまたちが海の西のほうに遠ざかったから?

『まあアンタも神様が見えるようになっちゃったんだから、そのうち神圧にも耐性がつくだろうよ・・・そろそろいかなくちゃ。それじゃあお先に』

 行くってどこへ?

『これから神楽殿で神迎祭があるからね。行って見張ってないと、今から酒飲みだす気が早い神様もいるから』さ、さけ?

 そういってアヤト姫は立ち上がり、こっちへ二指の敬礼をして消えた。なに気取ってんの! 

 あたしは砂の上にすわりこみ、ボーッとするあたまでしばらく波の音を聞いていた。冷たい海風がひや汗にあたり、一瞬ブルッと震える。今日はなにも見えなかったけど、すごく神聖な場だったことはなんとなく感じた。これからの何日間か、八百万の神さまが人々の縁を取り結ぶのだ、あたしは神さまと縁ができちゃったけど・・・浜にいたひとたちは三々五々去ってゆき、少しずつ静けさが戻ってくる。水平線のほのかな光のなかに弁天島のシルエットだけがおおきく浮かんでいる。この前に夜の海に来たのはいつだったろう、こっちに越してきたときにうれしがって、暗くなってから海岸をぶらぶらしてたなあ。多伎のほうでは夜光虫がいっぱい光ってた・・・。

 体調はあいかわらずよくないけど(そりゃ直線距離で1キロちょっとのとこで八百万の神さまが神迎祭やってんだから)、なんとか出雲大社前の駅までたどりつき、臨時増発の一畑電車に乗りこんだんだけど、これがまた東京の通勤電車なみのスシ詰め。たぶんほとんどが観光客で地元の人は少ないとおもう。ああ、ずっと気分がわるい。


 その後八百万の神さまは出雲のあっちこっちの神社を行ったり来たりしているようで、きょうは北西から神圧がビンビン(日御碕神社か)、次は北東から神圧がバンバン(佐陀さだ神社だろう)、そしてさいごは東からなんか酒臭い神圧がボンボン(万九千まんくせん神社にちがいない!)おしよせ、稲佐の浜の日から半月のあいだずっと部屋で伏せっていた。

 やっと起きられるようになったのは11月も終わりのころ、北風がつめたくなっていた。神在月がおわると出雲地方は冬支度に入るらしいけど、毎年この時期こんなんかーとおもうと気が滅入ってくる。こりゃアヤト姫じゃないけど、これから数年出雲に住むつもりなら修行を積んで耐性をつけるほかない。


[1]南からの暖流に乗ってきたセグロウミヘビが北からの寒流にぶちあたって気を失うらしい。つかまえた漁師はそれを出雲大社に奉納し、それを神々の先導役として祀る。

[2]筆者の体験談です。

[3]西方海上集結は筆者の見解です。

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