出雲神譚
@kawatoeki
出会い
キキキーーーイィィッ!!
物凄い音とともに目の前に巨大な影が迫った! 一瞬日の光が隠されて暗闇に包まれる、と思う間もなく衝撃が全身を襲い
・・・ああこれで死ぬんだ・・・そう思った瞬間今までの短い人生が走馬灯のように目の前を駆けめぐった・・・。
あたしの名前は小林
東京の生まれで姉妹ふたりっこの妹のほう。小さいときは人見知りする子だったんだけど、小学校に入ってからは妙に人懐っこくなっておっちょこちょいに育ってしまった。高校では歴史関係に興味を持ち、大学はおばあちゃんが島根の出雲市に住んでるご縁で島根大学の法文学部に進学。ただいま2回生。ま、平凡だけどいちおう普通のキャンパスライフを楽しんでいる。
はじめはおばあちゃんちから通ってたんだけど、当のおばあちゃんが去年亡くなっちゃって家を手放すことになった関係上、今は部屋を借りて一人で住んでる。
アパートは今市のまちなかで、駅近くの商店街はシャッターを下ろしたお店が目立つけど、松江みたいにがやがやしてなくてあまり高い建物もなく、静かな雰囲気が気に入っている。
学校はその松江にあってここからは山陰本線で毎日通ってるんだけど、途中の宍道湖のながめが大好き。日本で7番目に大きいんだよ。今年夏休みに東京に帰ったときは友達に「島根ってどこにあるのお?」とか聞かれて鳥取の左側って説明したんだけど、通じなかったみたいで不思議そうな顔をされちゃった。だいたい鳥取がどこにあるかわかってないからね。ま、楽しく暮らしてるんだからいいか。
今日はミニゼミ[1]で発表する日だから昨日は夜おそくまで準備をしてたんだけど、なんとそのせいで今朝寝過ごしちゃった! やっちゃったわね! 部屋から駅まで走って10分ていど、食パンくわえて(嘘!)あわてて路地をぬける。白い息が出ては消える。駅前の大通りに出て、あ、駅が目の前に、高架の上に汽車がとまってる、やばい今にもうごきだしそう、やくもがはいってきた、あれをまってはっしゃ、てーきどこだ、ファイルいれたっけ、ノートは、きのうまとめたしちべえとたかせが
あたまからおちる感覚いきなり体全体が包み込まれたようなフワッと、たたきつけられておわり、そろっと、え? モノクロの視界がさかさまからよこへ、地面があたまのよこへ、真綿の安心感・・・。
『ちょっとなにやってんの! 遅れたらまたしかられるよ!』
『まがたまをほうっておけるか!』
とおくで誰かの声が聞こえて・・・アスファルトの冷たい感じ、その巨大なもののドアから人の気配、そして駆け寄ってくるいくつもの影、薄闇が覆っていって、フェイドアウト・・・。
まっくら、なにも見えない、ここはどこ、音ひとつしない、かんおけの中? あ。
次第に目が慣れてくるにしたがい、白い平面が見えてきた、天井。
その横にはひらひらしたなにか・・・カーテンが月明りに透けて動かない・・・あたまをぐるっと・・・右も左も白い平面。薄青い大気の底であたしは横たわっている。
ようやく、ここが病室ということがわかってきた。どうした、なにが起こった? そうだ、目の前に駅、やくもが入ってきて、意識が大梶七兵衛と高瀬川に飛んで、そして、ものすごい音と衝撃。
そうか、あたしは駅前の通りを乱横断しようとしてトラックにはねられたんだ。状況からしてきっとそうだ。そのあとたぶん救急車でここに運ばれ、意識のないまま処置をされて、寝かされて、いま目が覚めたんだ。
手をついてそろっと上体を起こしてみる。体は痛くない。狭い病室にはあたしの寝ているベッドだけ。少し離れておいてあるカゴには、あたしのカバン。なんだかシュールな映画みたい。トラックにはねられたっていうのに何の医療機器もなく、点滴すらなく、ただ横たわっていただけ。今何時?
ん、左側のかべ、なんかある、なに・・・人のあたま・・・えっ、かべから人の頭が、生えてる、こっちをじっと見てる、月明りに照らされて、青く、きゃあ・・・
こんなとこで悲鳴をあげたら大騒ぎになる、セコムがとんで来るかもしれない、叫び声をぐっとこらえてそのあたまを凝視する。
そのあたまはこちらに近づいたと思うと、その後ろから首が出てきて、肩が、胸が、上半身が、腕が、手が、足が、出てきて、一人の人間になった。だ、だれ、だれ、だれ・・・。
『言っておくが人間じゃない』
いきなり頭のなかで男の人の声がした。軽薄な、まるでこちらを見下したような・・・。
男の人はじっとこちらを睨んでいたが、何かを探すようにそろそろと視線を動かし・・・やがてあたしに背を向け、カバンを置いてあるカゴのほうへ近づいてゆく。そしてカバンを手に取りあちらこちら
『粗末にするやつには持つ資格なんかねぇ』
ちょっと怒ったようにつぶやく。白い着物が青い月に照らされて、まるで深い海の底の深海魚のよう。
そのむこうで・・・閉まっている部屋の扉からもうひとつアタマが生え出てきて、ゆっくりと顔を上げる、目つきのわるい、今度は髪の長い女の人だ、そして音もなく次第に人のかたちになり・・・。
『どう、納得した? アンタのこだわりもたいがいだね・・・』
また頭のなかで声が響く。思わず両手で耳をおさえたけど残響が消えない。ふと女の人の視線がこちらに向いた・・・あたしと視線が合ったとたん、目を細め、値踏みするように睨みつける。『ふーん・・・この子見えるんだ』
な、なに言ってるの、なにが見えるっていうの?
ひととおりいじり回して満足したのか、男の人がカバンをカゴにそっと戻す。そして髪の長い女の人に近づき・・・ん? いま気づいたんだけど、このふたり何かへんな恰好してるわね。男の人はそう、絵本にでてくる神さまみたいに顔の両側で髪を結って、白い着物の袖口と足首をしぼっていて、おなかあたりを白いヒモでしばってる。首には長いネックレス。女の人は神社の巫女さんみたいな、あれよりちょっと豪華な感じでやっぱり首から長いネックレスを下げて。深夜の病院には不似合い。
『この子どうすんだい』ギロッとこっちを睨む女の人の目が一層光った。男の人はなにも答えずにしばらく考えるようすだったが、ひとこと『まあいい』と言ってかべに手をつくと、今度は逆にその中に消えていった。それに続いて女の人も消えてゆく・・・。
な、なに、あれ・・・。夢かしら・・・いや、起きてる・・・。
呆けたようにあたしはふたりが消えていったかべを見つめ、見つめ、いつまでも・・・。
あたしが運ばれたのは今市の県立中央病院で、次の日無事退院できたんだけど・・・無事といっても、そもそも大型トラックにおもいっきりはねられたのにどこもかすり傷ひとつせず、あたまのひとつも打たず、服の破れもなく、お医者さんはじめ関係者みな首をひねるばかりだった。いちばん驚いたのはトラックの運転手さんで、たしかに人ひとりはねた手ごたえがあったのに、そしてあわれなあたしは放物線をえがいてゆうに10メートルは宙を舞ったのに、そしてフロントガラス越しにそれを確かに見たのに、はねた相手は無傷なのだ。ぶつかったバンパーには凹みのひとつもなく、きつねにつままれたとはまさにこのことで、事情聴取だけで釈放された。そのあとあたしもさんざんしぼられ、書類を書かされ、最近めでたく建て直してきれいになった出雲警察署を出たのはもう夕方のころだった。
病院で見たふしぎなふたりのことはけっきょくだれにも言わなかった。言えばやっぱりアタマのどこかを打ったのだと精密検査で引き留められたことだろう。
ああ、あしたは学校へ行ってまたいろんな面倒なことをやらなきゃいけないのかと思うとキブンが滅入るが、それはそれ元が楽天なあたしだから今日はもう考えずに早く帰ってテレビでも見よう、その前にコンビニで何か買って帰ろう、勇んで有原中央公園の角をひだりへ曲がろうとしていきなり人にぶつかった!
うわあ、ごめんなさい・・・ん? するっととおり抜けた。は? なんだいまのは?
振り返ると、白い服を着た男の人のうしろすがたが見えた・・・「ちょっと!」おもわず小さく叫ぶとそれに反応してかその相手もこちらを振り返り・・・あれっ、恰好がきのうの男の人とまるで同じ、神さまみたいな・・・。
あたしの顔を見たそのひとはきびすを返し、にこにこしながらこちらへ近づいてくるではないか。
『やあ君が今うわさのひなただね』
うわさ? なんのうわさ? それにあなた誰?
『あ、いきなりごめん、ぼくは阿遅須枳高日子[2]。今から打ち合わせに行くんだ』
え・・・あ、ちこくのち・・・須枳はなんて読むの? ひ、こ、いのち・・・?
『ああ、あぢすきたかひこって読むんだ、あぢすきたかひこのみこと、だよ』ええ? みこと、って、ひょっとして、あなた神さま?
『ひょっとしなくても神様だよ。この神殿はぼくの別荘なんだ。ちょっとちっちゃいけど手がこんでるだろう』
右側を指さしてなにか自慢してる。でもつつじの植え込みの内側にはさくらの木が植わっているだけでフツーの公園だわよ。いや、よく見るとつつじにうもれて「延喜式内社
『あ、君にはまだ見えないのか。まだそこまで干渉してないんだね』
このあじ・・・なんとか・・・たかひこ、ええい、たかひこ君でいいや、たかひこ君が言うには、人間には見えないんだけど神社にはそこのご祭神が滞在する神殿があるのだそうだ。けっこう豪華にできてて、神さまはみんな自分らの神殿を自慢しあってるらしい。阿利神社はたかひこ君が祀られてるお宮で、今は移転して違うとこにあるんだけど、ここの旧社地には神殿が残ってるんだって。
『ひなたに見えないのが残念だなあ、もっと修行すれば見えるようになるよ』
修行つって滝にでも打たれるの?
たかひこ君は同じ神さまでもきのうの目つきの悪いやつとは全然ちがう、気弱でやさしそうな感じね。
『あ、きのうは木俣君と綾門姫に会ったんだよね。まあ神様にもいろんなタイプがいるからね。でもあの
「たよりになるって!? あれが?!」
信号待ちのひとたちの視線がいっせいにあたしに注がれた。思わずつつじの中に顔をうずめそうになる。
『ぼくはひなたにしか見えてないからね、声を出しちゃだめだよ。頭で思うだけで会話できるから』
そ、そうなんだろうけど、慣れないと、ね。
あたまの中で会話すると直接漢字がはいってきちゃって・・・読みかたがわからないよ。木はキ、俣はマタだから、木俣はキマタね、綾門姫は・・・アヤモン、え? アヤトなの? 了解。
『母様が違うんだけど木俣君はぼくの兄なんだ。いい神様なのはぼくが保証するよ』
なっとくいかないなー・・・ところで今から打ち合わせって、何の打ち合わせ?
『神在月だよ』そう言ってたかひこ君は左腕の腕章を見せてくれた。神在祭実行委員会? 『木俣君も綾門姫も委員なんだよ。もっともきのうは打ち合わせに遅れちゃって叱られてたけどね』
あ、そういえばあの声・・・あれはあの
え、もしかしてキマタは遅れるの承知であたしを助けてくれたの?
『そのときに木俣君の神波とひなたの人波がうまく干渉しちゃったんだね。それで神様が見えるようになったんだよ。たまに起こるんだ、そういうこと・・・最近なら卑弥呼とか』
そう言うとフトコロからポータブル日時計を出して『あ、それじゃあもう行くね。来月の神迎神事はぜひ見に来てね』手を振って歩きだし、そして、消えた。
なんか・・・ゆめ?
[1]筆者は島根大学の卒業生ではないのでそんなものがあるのかどうか知りません。
[2]神名の漢字表記はいろいろあるのであまり突っ込まないで下さい。以下同様。
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