第4話 感情

 その日、エレナは森に現れなかった。

 三日、続けて。


 それは初めてのことだった。


 森の奥、決して人の近づかぬ水辺で、ラグナは静かに佇んでいた。

 周囲は静かで、鳥のさえずりさえ遠い。

 地に落ちた視線の先には、小さな白い花がひとつ、風に揺れている。


 「……来るなと言ったのは、俺のほうだが」


 誰に言うでもなく、吐かれた声。

 指先がゆっくりと地をなぞり、そっと摘まれた花の隣には、小さな赤い果実が転がった。


 ラグナはそれを見つめ、ひとつため息をついた。

 そして──そっとその実を手に取ると、森の奥へと歩き出した。



 エレナの家は、村のはずれにあった。


 夜に近い薄明かりのなか、小さな窓の奥に灯りが見える。

 ラグナは気配を殺し、窓の近くの木陰に身を潜めた。


 布団の中で横たわるエレナが、誰かに看病されている声が聞こえる。


 「……熱は少し下がったようですが、無理は禁物です。明日まで、安静に」

 「……はい、ありがとうございました。……ごめんね、へびさん……」


 その名を呼ぶ声に、ラグナの胸がかすかに震えた。

 届くはずもない祈りのように、弱々しく、小さな声。


 しばらく佇んだあと、ラグナは窓の縁に、小さな包みをひとつそっと置いた。

 そこには、真っ赤に熟れた果実が数粒、丁寧に並べられている。


 「……おまえの言う“気持ち”とやらが、こういうものなら」


 誰にも聞かれぬように、ぽつりとつぶやいた。


 「……悪くない」

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