第53話「目黒さんの助言」

 翌日の放課後、八人は古道具屋「目黒」を訪ねた。


 雨上がりの石畳が濡れて光り、古い看板が静かに風に揺れている。みずきは少し緊張していたが、クラスメートたちは興味深そうに店を眺めていた。


「いらっしゃいませ」


 目黒さんが奥から出てきて、八人の生徒を見て微笑んだ。


「これは賑やかですね」


「目黒さん」


 田辺先生が前に出た。


「突然お邪魔して申し訳ありません。学芸会の件でご相談があるのですが」


「学芸会ですか」


 目黒さんが興味深そうに答えた。


「どのようなことでしょう」


 みずきが代表して説明した。


「『古道具屋の不思議な品物』という昔話を劇にするのですが、舞台装置で困っています」


鴉川屋からすがわやの雰囲気を出すために、古い品物をお借りできないでしょうか」


 恵奈えなが続けた。


 目黒さんの目が優しく光った。


「それは素晴らしい演目ですね」


「ご存知なのですか?」


 小瑠璃こるりが驚いた。


「ええ、もちろん」


 目黒さんが頷いた。


「鴉川屋の話は、この町の大切な伝承です」


 目黒さんが店の奥を見回した。


「小道具でしたら、喜んでお貸ししましょう」


 修一が安堵の表情を見せた。


「本当ですか?」


「ただし」


 目黒さんが続けた。


「品物には魂が宿っています。大切に扱ってくださいね」


「もちろんです」


 みずきが深くお辞儀をした。


 目黒さんは店の中から、時代を感じさせる美しい品物を選んで見せてくれた。古い行灯あんどん漆塗うるしぬりの文箱ふばこ、年代物の帳簿ちょうぼ、小さな置物たち。どれも鴉川屋の雰囲気を演出するのに完璧だった。


「まあ、本物みたい」


 まゆみが感嘆した。


「これがあれば、きっと素敵な舞台になりますわ」


 小瑠璃も目を輝かせた。


「実は」


 目黒さんがふと言った。


「演劇についても、少しお手伝いできるかもしれません」


「演劇も?」


 たけしが驚いた。


「若い頃、地方の劇団に関わっていたことがあるのです」


 目黒さんが説明した。


「舞台での動きや、観客への見せ方など、多少の心得があります」


 田辺先生が感激した。


「それは心強いです」


「お時間があるときに、少し指導していただけませんか」


 恵奈が丁寧にお願いした。


「もちろんです」


 目黒さんが微笑んだ。


「明日の夕方はいかがでしょう」


 翌日の夕方、八人は再び古道具屋を訪れた。目黒さんは店の奥の広間を稽古場にしてくれていた。


「まず、舞台での立ち位置から始めましょう」


 目黒さんが説明した。


「観客から見て、どの位置が一番効果的か」


 修一が鴉川屋の主人として中央に立つ。


「もう少し下手に」


 目黒さんが指示した。


「そうすることで、お客さんとの関係がより自然に見えます」


 恵奈が病気の息子を持つ母親役で登場する。


「入ってくる時は、少し戸惑いを表現してください」


 目黒さんが実演してみせた。


「古道具屋に入るのは勇気がいることですから」


 恵奈が目黒さんのアドバイス通りに演じると、確かに母親の心境がよく伝わった。


「素晴らしい」


 目黒さんが拍手した。


「感情がよく表現されています」


 一人一人に細かい指導をしてくれる目黒さん。小瑠璃には「上品さを保ちながらも親しみやすく」、まゆみには「疑いから理解への変化をもっと大きく」、たけしには「商人らしい実直さを表現して」。


 どのアドバイスも的確で、生徒たちの演技が見る見る上達していく。


「照明についても工夫しましょう」


 目黒さんが続けた。


「場面転換の時、明暗を使い分けることで、観客の注意を誘導できます」


 みずきは目黒さんの指導を聞きながら、深く感動していた。演劇の技術だけでなく、鴉川屋の物語への深い理解も感じられる。


「目黒さん」


 みずきが質問した。


「鴉川屋の話は、目黒さんにとってどんな意味があるのでしょう」


 目黒さんが少し遠い目をした。


「古い物には、それを作った人、使った人の想いが込められています」


「それを理解し、大切にすることが、私たちの役目なのかもしれません」


 みずきの心に、万年筆のことが浮かんだ。確かに、万年筆にも古い学者の想いが込められている。目黒さんは、それを理解してみずきに渡してくれたのだ。


 稽古が終わると、八人の演技は劇的に向上していた。


「ありがとうございました」


 田辺先生が深々とお辞儀をした。


「おかげで、素晴らしい演劇になりそうです」


「いえいえ」


 目黒さんが謙遜した。


「皆さんの心がこもっているからこそです」


 帰り道、みずきは目黒さんの言葉を反芻はんすうしていた。物に込められた想い。それを理解し、大切にすること。それは、万年筆との関係にも通じるものがある。


「みずきちゃん」


 恵奈が声をかけた。


「目黒さんって、不思議な人ね」


「どんな風に?」


 みずきが聞いた。


「演劇のことも、古い物のことも、まるで何でも知っているみたい」


 小瑠璃も同感だった。


「とても深い知識をお持ちですわね」


 みずきは二人の言葉に頷いた。目黒さんは確かに特別な人だ。万年筆の由来を知っているだけでなく、人と物との関係について深く理解している。


 学芸会まで残り一週間。目黒さんの指導のおかげで、演技も舞台装置も完璧に近づいていた。


 でも、みずきの心には一つの疑問があった。今回の学芸会で、万年筆の力は必要だろうか。これまでの準備を見る限り、人間の力だけで十分素晴らしいものができそうだった。


 その夜、みずきは万年筆を手に取った。


「来週、学芸会があります」


 みずきが万年筆に話しかけた。


「あなたの力が必要になるかもしれません。でも、もしかしたら必要ないかもしれません」


 万年筆は何も答えないが、いつものように温かく感じられる。


「どちらでも構いません」


 みずきが続けた。


「大切なのは、みんなで作り上げることですから」


 窓の外では、秋の夜長が静かに更けていく。


 ホーホー。


 フクロウの鳴き声が、遠くから聞こえてきた。まるで、みずきの気持ちを理解してくれているかのような、優しい声だった。

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