第51話「準備の困難」

 学芸会まで残り三週間となった十月の初旬、稽古が本格的に始まった。


 放課後の教室で、八人が脚本を手に円になって座っている。田辺先生も一緒に参加してくれている。


「それでは、まず第一場から読み合わせをしてみましょう」


 田辺先生が提案した。


「鴉川屋の主人役は、鶴田つるた君ですね」


 修一が脚本を開いた。古道具屋の主人という重要な役を任されて、少し緊張している様子だった。


「最初のお客さん役は、雀部ささべさん」


 恵奈えなが頷いた。病気の息子を持つ母親の役だ。


 読み合わせが始まったが、すぐに問題が浮上した。


「あの、鶴田君」


 女子の一人、鳩田はとだまゆみが手を上げた。


「古道具屋の主人の台詞、少し棒読みに聞こえるわ」


「棒読み?」


 修一が困ったような顔をした。


「僕なりに一生懸命やっているつもりだけど」


「でも、もう少し感情を込めた方が」


 まゆみが続けた。


「お客さんの気持ちを理解する優しい人なのでしょう?」


 修一は黙り込んでしまった。確かに、台詞を読むのに精一杯で、感情表現まで手が回らない様子だった。


「大丈夫よ、鶴田君」


 みずきがフォローした。


「最初はみんなそうよ。練習すれば上手になるわ」


 でも、読み合わせが進むにつれて、他にも問題が見つかった。


「あの、青山さん」


 男子の一人、鷲尾わしおたけしが言った。


「町の人の役の台詞、少し聞き取りにくいです」


 小瑠璃こるりが頬を染めた。


「申し訳ありません。もう少し大きな声で」


「それと」


 たけしが続けた。


「僕の商人の役、どんな風に演じれば良いかわからないんです」


 田辺先生が困ったような表情を見せた。


「皆さん、演技は初めてですものね」


「先生」


 恵奈が提案した。


「演技の指導をしてくださる方を、お呼びできないでしょうか」


「それは良いアイデアですが」


 田辺先生が答えた。


「学芸会まで時間がありませんし、専門の先生を見つけるのは難しいかもしれません」


 みずきは困った状況を見回した。せっかく良い脚本ができたのに、演技がうまくいかなければ台無しだ。でも、どうしたら良いのだろう。


「とりあえず、今日は読み合わせを続けましょう」


 田辺先生が言った。


 しかし、時間が経つにつれて、さらに問題が浮き彫りになった。


「すみません、この場面転換がよくわからないのですが」


 まゆみが脚本を見ながら言った。


「鴉川屋の店内から、町の広場に変わるところです」


「ああ、それは」


 みずきが説明しようとしたが、実は自分でもはっきりしていなかった。脚本を書く時は、場面のことまで詳しく考えていなかったのだ。


「舞台装置はどうするのかしら」


 小瑠璃が心配そうに言った。


「古道具屋の店内を表現するには、たくさんの小道具が必要ですわ」


「そうですね」


 田辺先生も頭を抱えた。


「学校にある物だけでは、古道具屋らしい雰囲気を作るのは難しそうです」


 読み合わせが終わる頃には、みんなの顔が曇っていた。


「思っていたより、大変ですね」


 たけしがため息をついた。


「脚本を書くのと、実際に演じるのは全然違う」


 恵奈も同感だった。


「演技の問題、舞台装置の問題、場面転換の問題」


 恵奈が指折り数えた。


「三週間で解決できるでしょうか」


 みずきは万年筆のことを考えた。万年筆の力を使えば、何か解決策が見つかるかもしれない。でも、これはクラス全体の問題だ。一人だけが万年筆の力に頼るのは、やはり良くない。


「みんな」


 みずきが立ち上がった。


「今日はここまでにして、それぞれが解決策を考えてみませんか」


「解決策?」


 修一が聞いた。


「演技の指導をしてくれる人を探すとか、舞台装置を工夫するアイデアとか」


 みずきが説明した。


「一人で考えるより、八人で考えた方が良いアイデアが出るはずです」


 田辺先生が賛成した。


「それは良い提案ですね。明日、それぞれのアイデアを持ち寄りましょう」


 みんなが帰り支度を始めた時、小瑠璃がみずきに近づいてきた。


「みずきさん、万年筆の力を使おうと考えていませんか?」


 小瑠璃が小声で聞いた。


「どうして?」


 みずきが聞き返した。


「なんとなく、そんな気がして」


 小瑠璃が微笑んだ。


「でも、まずはみんなで考えてみることから始めましょう」


 恵奈も同意した。


「そうね。万年筆の力も大切だけれど、みんなの知恵を集めることの方が、今は大切かもしれない」


 三人は一緒に学校を出た。


「それにしても」


 恵奈がため息をついた。


「演技って、思っていたより難しいのね」


「そうですわね」


 小瑠璃も同感だった。


「台詞を覚えるだけでも大変なのに、感情を込めて演じるなんて」


 みずきは歩きながら考えていた。演技の指導をしてくれる人。舞台装置のアイデア。場面転換の工夫。どれも素人には難しい問題だ。


「でも、きっと解決策はあるはず」


 みずきが言った。


「この町には、色々な人がいるもの」


「そうね」


 恵奈が頷いた。


「明日、いいアイデアが見つかるといいわね」


 家に帰って、みずきは一人で考え込んだ。学芸会の成功のために、自分にできることは何だろう。


 万年筆を手に取ってみたが、今回は使わずに置いた。まず、人間の力でできることを全て試してみよう。


 みずきは町の人たちのことを思い浮かべた。田辺先生、目黒さん、山田きつきおばあちゃん、町内会の人たち。誰か、演劇について詳しい人はいないだろうか。


 そして、舞台装置のこと。古道具屋らしい雰囲気を作るには、確かにたくさんの小道具が必要だ。でも、本物の古道具を借りることができれば...


 みずきは目黒さんのことを思った。古道具屋「目黒」なら、きっと学芸会に使える品物があるだろう。でも、お借りできるだろうか。


 翌日の放課後、八人が再び集まった。それぞれが考えてきたアイデアを発表することになった。


「僕は、町内会の人たちに聞いてみました」


 修一が報告した。


「でも、演劇の経験がある人は見つからなくて」


「わたしは、図書館で演技の本を調べてみました」


 まゆみが続けた。


「基本的なことは書いてあるけれど、短期間で上達するのは難しそうです」


 他の生徒たちも、同じような報告だった。みんな努力してくれたが、決定的な解決策は見つからない。


「あの」


 みずきが手を上げた。


「一つ提案があります」


「どのような?」


 田辺先生が聞いた。


「古道具屋の目黒さんに、相談してみてはいかがでしょう」


 みずきが説明した。


「舞台装置に使う小道具をお借りできるかもしれませんし、もしかしたら演劇についても何かご存知かもしれません」


 クラスメートたちが興味深そうに聞いていた。


「それは良いアイデアね」


 恵奈が賛成した。


「目黒さんは、色々なことをご存知だもの」


「わたくしも賛成ですわ」


 小瑠璃も頷いた。


「古道具屋の雰囲気を作るには、本物の品物が一番ですもの」


 田辺先生も興味を示した。


「それでは、明日の放課後、みんなで古道具屋「目黒」を訪ねてみましょうか」


 みずきは少し複雑な気持ちだった。目黒さんは万年筆の秘密を知る重要な人物だ。クラス全体で訪ねて、何か問題は起こらないだろうか。


 でも、今は学芸会の成功が最優先だ。みずきは不安を押し殺して、明日の訪問に備えることにした。

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