第七話:春の音が聞こえる

 教室の窓をかすめて、風がやさしく吹きぬけた。


 昼下がりの光は机の上に長い影を落とし、桜色の余韻だけがまだ、どこかに残っているようだった。


 律はペン先を止めた。書きかけのノートの上でインクが少しにじむ。


「……お姉ちゃん」


 隣の席で頬杖をついていた美香が、顔を上げた。


「なに?」


「ここって、ほんとに静かだね」


 窓の外では、校庭に咲いたツツジが陽に透けていた。


 それが律の目には、まるで音のない焔のように見えた。


「春って、こんなに音がなかったっけ……」


 呟くと、美香は小さく笑った。


「ううん。きっと今だけよ。何かが始まる前って、いつもちょっとだけ静かになるの」


 その言葉に、律は目を伏せた。


 カレンダーの隅には、もうすぐ訪れる遠足の日が、蛍光ペンで囲まれていた。


 新しいクラス、新しい制服、新しい友達。


 だけど、どこかでまだ春を掴みきれずにいる。


「……お姉ちゃんは、春って好き?」


「好きよ。ちょっと寂しくなるけどね」


「どうして?」


「だって春って、何かが終わって、何かが始まる季節だから」


 律は机の上で、そっと指を重ねた。


 終わるものと、始まるもの。


 その狭間で、自分がどこに立っているのか。


 春の音が、そっと問いかけているようだった。

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春にほどける約束 エグジット @rp_no_Yokensu

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