4-3


 やましい。ひとことで表すならば、この言葉なのだろうか。青宮へ戻る馬車の中、いまだかつて味わったことのない、奇妙で異様な雰囲気の中にナイティスはいた。

 ヤグドの屋敷のならず者の男たちに取り囲まれたが、間一髪のところでシグレスと青宮の騎士たちに助けられた。そのおかげでケディンやタリスの命が失われることはなかった。

 ナイティスはシグレスにも青宮の騎士たちにも何度も礼を言い、傷を負ったケディンとタリスを労った。傷ついた裸体のケディンはクランのマントに包まれ、同輩の騎士たちに助けられながら歩いていた。彼らは別の馬車に乗って、同じく青宮を目指しているはずだ。

 シグレスは助けに来てくれたときから、いつもと雰囲気が異なっている。ナイティスが礼を言っても謝っても、青ざめた無表情のままだ。ナイティスは衝撃を受けた。こんなシグレスは見たことがない。

 一つは自分たちの無謀な行為への怒りだ。それはナイティスがケディンと共に、ヤグドの屋敷に乗り込んでいった――そうするつもりはなかったにせよ――ことに原因するのだろう。もう一つ、これが厄介だ。逃げる前にはそうなっていたからとしか言えないのだか、裸でいるケディンに抱きついているところを見られた。

 それに対するシグレスの憤りと嫉妬が入り交じった感情が、そのまま凍り付いてしまったかのようになっている、今のこの場のこの空気――ナイティスは氷の彫像のように冷たい横顔を見せているシグレスの顔をそっと盗み見た。急に彼が碧い目をこちらに向ける。その眼差しすら、いつもの輝かしい光ではなく、氷のような冷たさを感じるのだ。ナイティスは体を縮こませた。

 自分のしでかしたことを後悔し、なんとも言いがたいほどつらい。愛するシグレスにこんな顔をさせている自分が申し訳ない。心の底から謝りたい。なのに。

 ――シグレス様をこんなに怒らせてしまって、それどころでないのに、私は、私の体ときたら。

 冷たいその表情を見ているだけで、体の奥がありえないほど疼く。甘くはしたなく、その部分が喘ぐようにひくついているのを感じる。馬車が大きく振動する響きすら体の奥を震わせるようで、こらえるのが苦しい。   

 ――こんなはしたない私を、シグレス様はお許しにならないだろう。

 ヤグドが言った言葉を思い出す。「恥を知る妃なら、二度と王子の元へ戻れぬようにしてやろう」

 実際にはヤグドの辱めは受けていないが、シグレスにとって、さっきの自分はそれと変わらぬほどの恥に思えるのだろう。裸の騎士に抱きついている妃の姿は。

「シグレス様、本日は助けていただき、本当にありがとうございました」

 何度目かの礼の言葉をナイティスは口にしたが、シグレスは黙ってかすかにうなずいた。

「勝手に探索に出たことを、心からお詫び申し上げます」

 今度はうなずきもしなかった。ナイティスは涙がこぼれそうになった。勇気を奮い起こして言った。

「これまで本当にありがとうございました。シグレス様の元で、私は生まれて初めて幸せというものを感じました」

 もうシグレスの元にはいられないだろう、とナイティスは今までのことについても感謝を口にした。声が震える。シグレスの言葉はない。とうとう顔も上げられず俯いたままになり、シグレスがどのような表情でいるのか、確かめられなかった。

 ぽつりと涙が膝の上で握りしめた手に落ちた。嗚咽をこらえて喉が詰まったようになり、言葉の最後がとぎれとぎれになった。

「ほ、ほんとうに、あ、ありが、とうござい――」

「……飛躍しすぎだ。いきなり泣きながら何を言っているのだ」

 ようやくシグレスの声が聞けた。いつもより冷たい声でも、体の奥に響いて甘くかき乱す。ナイティスは嬉しいと同時に絶望も感じた。

 むず痒い最奥の熱と潤みを、意志の力では押さえつけることができない。体が少しも思うようにならない。相変わらず眉を顰めたままの厳しいシグレスの顔がちらりと目に入る。

 ――発情した私は、恥を知らない、こんなにも淫らな体なのだ。こんな、こんな私が、シグレス様の元へ戻ることなど許されない。

 零れ落ちる涙は、ぽたぽたと膝を濡らした。

「わ、私はシグレス様の元に戻る資格などございません」

「……お前は、もしやケディンと」

 いっそう不穏な空気を放つシグレスに、ナイティスは慌てて説明した。

「ケディンはヤグドに服を剥がれてあのような姿になっただけです。私たちは何もやましいことなどありません」

「ならば、お前はさっきから何を言ってる? なぜ、そのように萎縮しておるのだ」

 萎縮? それはシグレスの様子がいつもと異なるからだ。厳しく冷たく接せられるのがつらい。しかしナイティスからはそう言えない。

「私が恥を知らない体だからです」

 涙の雫が止まらない。

「そんな私が、シグレス様のお怒りを買うのは当然です」

「……俺がいつお前を怒ったというのだ」

「……い、今、怒っていらっしゃるのでは……」

 語尾が震えて小さくなり、ナイティスはさらに身をすくめるように俯いたままの姿勢を崩さなかった。と、急にシグレスが頬に手をかけて、顔を上げさせた。目をつぶりたいくらいだが、それは許されない。険しい碧い目が睨むように自分を見つめている。

「怒ってはおらん。泣くな」

「……」

 そんなお顔をして? と言いたくなる。しかし、ナイティスの体は、そのきつく睨むような眼差しにも反応した。

 涙がこぼれるのと同時に体の奥から蜜も溢れてくることに、ナイティスは心の底から困惑した。どうして神は自分の体を、こうもはしたなくお作りになったのだろう。

「怒ってはいない。しかし腹立ちはある」

 それこそ怒っているのでは? とも言いたかったが、シグレスは複雑な表情になった。

「お前はさっき恥を知らない体と言ったが、その体はなぜ俺には反応しないのだ?」

 ナイティスはとっさにシグレスが何を言っているのか分からず、小首をかしげた。シグレスは怒ったような声で続けた。

「お前はヤグドの薬で発情して、体が昂ぶっているのではないのか? ケディンには抱きついていたくせに、俺にはなぜ抱きついてこないのだ!?」

 思いがけない言葉にナイティスは硬直した。青宮の騎士たちの前で抱きつくなど、シグレスの体面に関わるだろうし、あのときは考えもしなかった。

 そもそもケディンに抱きついていたのだって、彼を剣からかばうためであって、発情の昂りからのものではない――そこまで考えていたナイティスの思考が止まった。シグレスの顔が、思いがけないほど目の前に迫ってきていた。

「恥を知らない体と言うなら、どうして俺に対しては、ケディンと同じようにしてこないのだ?」

 呆然とするナイティスに向かって、眉を顰めた険しい顔でシグレスは言い募る。

「助けられた後も、俺に寄ってもこないし触れてもこない。こんなに発情の香りを漂わせながら、お前は全然俺に反応しないではないか。お前は俺が欲しくはないのか? 俺に我慢させるだけさせて」

 思ってもみなかった、あまりに直截的な言葉に、ナイティスは体を貫かれたような衝撃を受けた。いつの間にか涙も止まっている。シグレスの青ざめこわばった顔は、種器の匂いへの反応を抑えつけているためであることに気が付いた。

「シ、シグレス様、私は――」

「ケディンには、誰はばかることなく、背中まで手を回して抱きついていたのに」

「あ、あの、私は――」

 お前は俺が欲しくはないのか――体を貫いた言葉はナイティスの奥まで届き、心から体までが拓かれ、熱く溶け出していくような心地を味わった。言葉でもこんなに感じるのだ――思わず、そっとシグレスに体を寄せる。

「――今頃抱きついても遅いぞ」

 不機嫌そうに唇を尖らせながら言われても、ナイティスは離れなかった。そっと手を回してシグレスの胸に顔を寄せた。

 シグレスの匂いを鼻腔に深く吸い込む。この頭の奥が痺れそうになる好もしい匂いを、なんと形容したらいいのだろう。脳髄を溶かすほど甘くて、体がとろけておかしくなりそうな……。

 ――ああ、止まらない……。

 脈うつような体の奥から、甘い痺れが広がり、また雫がじんわりと滲み出すのを感じる。それは自分の体の匂いを、いっそう高めるのかもしれない。とげとげしかったシグレスを包んでいた空気が、ふと和らぐ。

「お前はどうしたいのだ?」

 ナイティスは背中に回していた手をゆっくりと下に動かした。シグレスの脚の間に手をやると、そこはいつの間にか熱を帯びて隆起しているようだった。

 さっきまで、あんなに冷たく怒って見えたのに、とナイティスは小さく吐息をついた。こんもりとして見える部分の熱を手の中に感じると、また体の奥の潤みが広がるようだった。

「汚いもののように、おそるおそる触るな」

「大事だからそっと触れております」

「そんなのでは物足りん」

 ナイティスの手が触れ、優しく撫でるにつれ、シグレスの口調が次第に甘やかになってきた。

「お前の発情した匂いはすぐ分かる。俺を呼ぶように漂ってきたから、あの男の屋敷に入る前でも、どこにいるか分かったぞ」

 ナイティスたちが追い詰められたすぐ近くから攻撃できたのは、そのためだったのだろう。淡々と語りながら、シグレスはナイティスの手をぐいと掴んで、下衣の中まで導き入れた。

 すっかり逞しい形に育ったものを、ナイティスはそっと握りしめた。力強い形と脈打つような熱を指先に感じるだけで、自分の中が潤み濡れていく。

「……俺に触れるだけでお前も感じるのか?」

「……はい。恥ずかしながら」

「だから恥じる必要などないと言っておる」

 腰の辺りを抱き寄せられて、ナイティスは思わず呻いた。全身どこもかしこも、シグレスに触れられると強く感じるのだ。シグレスの手が腰から尻の丸みを撫でさする。

 じゅんと音を立てるかのように、自分の奥が溢れる。馬車の振動ですら刺激になる。強い手がナイティスの抵抗を押さえ、下衣の中に入ってきた。ナイティスは息を呑んだ。

 ――こ、この馬車の座席の中で!?

 ナイティスの可憐な肉の茎は、シグレスに触れられるだけでおずおずと勃ち上がっており、さらにその手で包み込まれて先端から涙をこぼした。

「っあっ、やあっ……こ、こんなところで」

 小さなものを愛でるように、割れ目の部分を指先が撫で、ナイティスは声を洩らして、身体をひくつかせた。いつの間にか下穿きを脱がされ、その部分が露わになっている。

「ここは正直に悦んでいる」

「うっ、あっ……それはっ、やっ」

 シグレスの唇が寄せられ、ナイティスは動転した。

「そっ、そこは汚のうございますっ」

 そんなところを唇で愛されるとは思わず声を上げたが、それ以上は強烈な快感に歯を食いしばった。馬車の座席に凭れたまま、ナイティスは身悶えた。シグレスが自分の腰に強く手を掛けたままなので、逃れることもできない。

 ――う、嘘、ここで、こ、こんなことを、シグレス様が……。

 熱い舌に直に愛撫される感覚に、あっという間に高みに追い詰められる。

「あ……んっ、ん、ああ」

 自分のものとも思えぬほど淫らな声が喉を迸る。

「っ、あ、ああ……お、おゆるし……」

 あまりの快楽に恐ろしくなり、思わず許しを請うが、シグレスの愛撫は容赦がなかった。さきほどまでの怒りが残っているのか、ナイティスの懇願にも止める気配はなく、いっそう強く吸い上げてきた。

「はっ、あっ……ああ、も、もう、い、いやっ、あっ……」

 朦朧とした視界に金色の髪の頭が入る。甘い限界が来たとき、目の前はその金の光しかなかった。発情の熱が一瞬解放され、意識が金色の中に舞い飛んだ。

 気が付いたときは、呆然と力なく馬車の座席に凭れていた。ナイティスが放ったものを、シグレスはそのまま飲み込んでしまったのか、おそるおそる見つめたときには、手の甲で口をぬぐい、にやりと笑ってみせた。

「このくらいでは発情は収まらないだろう」

 ナイティスの頬は真っ赤に染まった。さっきまでの淫らな愛撫に解放されたはずの自分が、その言葉だけで再びじわじわと熱を集めつつある。

「次は俺を満たしてくれ」

 シグレスが低い声で言うと、ナイティスはこくりとうなずいた。ここで、このままで……? ためらいはあったが、熱く見つめる碧い眼差しのなすがままに任せた。シグレスの手に引き寄せられ、その手はナイティスの脚を開かせようとした。

 体の奥深く、シグレスを待ちきれず涙をこぼすように潤みが広がっていく。シグレスの指が蕾に触れようとする。ナイティスは目をぎゅっと瞑った。

 不意に馬車が止まり、辺りの様子で青宮に着いたことが分かった。シグレスは忌々しげにナイティスの奥まった部分から手を離した。高まったままの熱が放置され、ナイティスは呆然とした。

「無粋な御者だな。遠回りさせればよかったか」

 ナイティスは思わず大きな息をつき、急いで服を整えた。馬車から降りようとして、体がさきほどまでの強烈な快楽に、言うことを聞かないかのようにふらつく。シグレスが抱きあげた。体の熱を持て余したまま、シグレスの胸に顔を埋める。

 青宮に入り、シグレスが腕に抱いたナイティスを降ろすと、侍女頭のデイラが、青宮の仕着せを着た姿を見とがめ、驚きの声を上げた。

「まあ、なんですか、そのお姿は! この宮にこんな小姓がいたかしらと思ったら。まったく驚きましたわ」

「俺の気に入りの小姓だ。俺の妃が勝手に青宮を出て俺をないがしろにするので、浮気をすることにした」

 シグレスはうそぶき、ナイティスは恥ずかしくてデイラの顔を見ることができず、俯きながらシグレスに付いて居室へ入った。シグレスは少し離れて、まじまじとナイティスの姿を見つめた。

「実に可愛らしい小姓だな。黒髪に瑠璃色の瞳、青い仕着せがよく似合う」

 ナイティスは顔を背けた。シグレスにじっと見つめられるだけで、さきほどの熱が蘇り、潤んだものが脚の間まで滴り落ちてしまいそうだ。わざととがった声で言う。

「小姓とお戯れはおよしくださいませ」

「小姓と浮気をすると、妃に愛想をつかされるということか」

「妃は意外と嫉妬深いものでございます」

「そうだとは知らなかった」

 ナイティスは顔を合わせないままうなずいた。近づいたシグレスが強く抱き締めながら、耳元で言った。

「王子も冷静なように見えて、本当は嫉妬深いというのを知っているか?」

 ナイティスは抱かれたまま、かぶりを振った。シグレスの言葉の端々に体が反応し、熱が一気に上昇していく。

「王子はお心の広い方と伺っております」

「妃に対しては別だ。嫉妬深くて、他の男と一緒にいるのを見るだけで、いらいらするのだ。ましてや騎士に抱きついているところなど見ると」

 腕の中にいるナイティスに、シグレスはささやきかけた。

「吐息が熱い。まだまだ足りぬだろう。さっきの続きをしてくれ」

「……今でしょうか?」

 ついさきほどまでシグレスに触れられ、発情した体が疼くように彼を求めていても、昼間の日の光が眩しさにナイティスはためらいを感じた。シグレスがぐいっと腰を引き寄せた。

「ああっ」

 太腿にぴったりした仕着せの下穿きの脚の間に、シグレスの膝が入りこんできて意地悪く動かした。さっきまで燃えていた体は、あっけないほど簡単にその刺激に声を上げる。

「今すぐお前の身の潔白を証明しろ。王子は嫉妬深いぞ。欲しくてたまらぬと言うのを見せろ。王子が黒騎士を八つ裂きにしないためには、それが必要だ」

 笑みを含みながらも、シグレスの声音にはただならぬものを感じる。そのくせその低い声はぞくりとするほど甘く、官能をくすぐるようだ。

 体の奥から突き上げるものに導かれるように、ナイティスはそっとシグレスの下半身に手を伸ばす。すでにそこは反り返るように逞しく育っている。熱を解放したくてたまらないと訴えかけているようだ。ナイティスが触れると、シグレスはすぐさま、不満そうな声を上げた。

「そのように、無理にやらされているような感じではなく、もっと強く、自分から触れたくてたまらぬように」

「……」

 注文の多い王子に呆れつつも、ナイティスはシグレスに寄り添い、手に触れたものを大きく形づくっていった。と、不意にその手を抑えてシグレスが口づけた。

 しばらく無言のまま、唇が合わさり、離れる、ひそやかで濡れた音が続く。長い長い口づけの後、寝台を囲む青い帳の奥へふたりの姿は消えた。

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