唯一の拠り所

 真梨まりの家に到着した千郷ちさとは、涙で崩れた顔をしていた。彼女は恐る恐るインターホンを鳴らし、返答を待つ。

「はい、御巫かんなぎです」

「真梨? あーしね、上手く言えないんだけどね。今、凄くしんどくて……」

「……とりあえず、あがりなよ」

 その声色は、千郷を心配しているような雰囲気を醸していた。実際の真梨は全ての黒幕であり、この優しささえも演技である。しかし依然として、千郷はその事実を知らないのだ。真梨は鍵を開け、玄関のドアを開いた。直後、千郷は彼女の胸に飛び込み、その華奢な体にしがみついた。傍目に見ても、千郷が滅入っているのは明白だ。そんな彼女の背中をさすり、真梨は優しげな声で囁く。

「とりあえず、何があったか話せそう?」

「わかんない。わかんないよ、真梨……」

「大丈夫、落ち着いて。私はいつでも、千郷の味方だから」

 一先ず、二人はリビングへと向かった。千郷がソファーに腰掛けながら呼吸を荒げている傍らで、真梨はコーヒーを淹れている。それからしばらくして、真梨はコーヒー入りのマグカップをミニテーブルに置き、弱っている親友の隣に座る。千郷は涙声になりながら、今の自分が置かれている状況を語る。

「あーしのお父さんね、カードゲームのPR担当者だったの。それでね、サクラを雇ってステマしたんじゃないかって話になってる」

「千郷は、お父さんを信じる?」

「わかんない。ただ一つ言えることは、学校に居ても、家に居ても、居心地が悪いの。あーし、どこで生きていけばいいのかな?」

 事態は壮絶だ。このままでは、彼女が精神的な限界を迎えるのも時間の問題だろう。同時に、これは真梨にとっての好機でもある。

「私が千郷の居場所になる。千郷がどんなに孤独を感じていても、私は千郷の側にいる。今ある世界が千郷を苦しめるなら、私が千郷の世界になる!」

「真梨……ありがとう……」

「……今は、どんな言葉をかければいいのかわからないけど、誰よりも貴方のことを想っている人間はここにいる。それだけは、忘れないでいて」

 もはや、その言動には本心と演技が入り交じっていた。



 *



 数日後、千郷の家庭では、再び淀んだ空気が立ち込めていた。夫婦の仲は険悪になりつつあり、それは千郷にとって耐え難いものである。

「あなた、どうしてくれるの! ステマして、左遷されて、会社からは訴訟されて、挙句の果てに賠償金? これから、千郷が大事な時期なのに!」

「お前に何がわかるんだ! 俺は濡れ衣で人生を狂わされた挙句、お前からも信じてもらえない! それでも、俺たちは家族なのか!」

「何が家族よ! あなたのせいで、わたしも、千郷も、何もかも終わりよ!」

 真梨がもたらした影響は、着実に萩原はぎわら家を蝕んでいた。ついに我慢の限界に達した父親は、テーブルを叩きながら声をあげる。

「さっきから自分と千郷の人生のことばかりだな! 俺だって、好きでこんな目に遭ってるわけじゃない!」

 それに応戦するように、母親も叫ぶ。

「あなたが悪いんでしょ! あなたが訴訟されるようなことをしなければ、わたしたちの人生は壊れなかったのよ!」

 そんな怒号に包まれた空間で、千郷は心細さを感じていた。

「お父さん、お母さん! もうやめてよ!」

 彼女はそう言ったが、二人は言い争いをやめはしない。

「千郷は勉強に集中しろ。成績、良くないんだろ? それに、これはお父さんとお母さんの問題だ」

「千郷。もうこの人は、あなたのお父さんではなくなるわ。わたしのところに来なさい」

「なんだと! 誰が千郷の生活を支えてきたと思ってるんだ!」

 両者ともに、極めて感情的な有り様だった。こんな時に千郷を支えられるのは、御巫真梨ただ一人だけだ。

「真梨……助けて……」

 心の中でそう呟いた千郷は、虚ろな目をしていた。

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