旧校舎の裏

 翌日、体調が回復した千郷ちさとは、いつものように登校した。校門にて、彼女は真梨まりと合流する。

「おはよ、真梨!」

「おはよう、千郷。体調の方は、もう大丈夫なの?」

「うん、大丈夫」

 相も変わらず、千郷は純真無垢すぎた。彼女には、親友を疑うという選択肢などないのだ。


 そんな二人の背後から、一人の少女が声をかけてくる。

「ねぇ千郷。少し良いかな」

 小倉沙奈おぐらさなの登場だ。彼女は妖しげな微笑を浮かべたまま、じりじりと歩み寄ってくる。

「ん? どうしたの?」

 千郷は訊ねた。その横で、真梨が怪訝な顔をしている。そんな彼女に構うことなく、沙奈はこう続ける。

「千郷と二人で話したいことがあるんだ。昼休み、旧校舎の裏で待ってるよ」

 その場に、にわかに不穏な空気が立ち込めた。真梨はまだ、沙奈が探りを入れ始めていることを知らない。しかしそこには、紛れもなく悪寒があった。

「何を話すつもりなの?」

 真梨は質問したが、沙奈はそれを難なくいなす。

「あまり乙女のプライバシーを侵害するものじゃないよ」

 そんな一言だけを残し、沙奈は先に昇降口へと歩みを進めた。



 その日の昼休み、千郷は旧校舎の裏に向かった。そこで彼女を待っていた沙奈は、くすりと笑う。

「来てくれると思ったよ、千郷。さて……昨日は、散々な目に遭ったみたいだね」

 それが沙奈の第一声だった。千郷は首を傾げつつ、用件を問う。

「それで、話って何?」

 やはり彼女は、何も察していない様子だ。さっそく、沙奈は話を切り出す。

「千郷。最近、アナタは真梨から貰った飲み物を飲んでいたね。それって、どんな味や香りがしたの?」

「あぁ、沙奈も飲みたいの? 真梨の作るジュース、すっごく美味しいんだよ!」

「仮に……真梨が飲み物に微量の毒物を含ませてきたと仮定すると、昨日アナタが体調を崩したことの説明がつく」

 その言葉は、まさしく核心に迫っていた。一方で、千郷は心の底から真梨を信頼している。そんな彼女が、沙奈の言うことを信じるはずもないだろう。

「沙奈は、この前も真梨の変な噂を流そうとしたよね? 空箱転売だとか、名簿業者だとか。一体あんたは、真梨になんの恨みがあるの?」

 そう訊ねた千郷の声色は、微かな怒気を帯びていた。そんな彼女に臆することなく、沙奈は話を続ける。

「じゃあ聞くけど、アナタの体調不良は風邪や感染症で説明のつくような症状で済んだの? 仮に何かに感染したと仮定して、アナタ一人だけが保健室送りになったのも妙だよね?」

「そ、それは……!」

「そしてアナタ一人だけが摂取していたものは、真梨の出してきた飲み物。違う?」

 無論、千郷には、物的証拠のない疑惑を簡単に信じる理由はない。ましてや一番の親友を疑うことなど、彼女には到底できることではない。

「真梨は、あーしの親友なんだよ。真梨があーしに酷いことをするなんて……そんなの、あり得ないよ!」

「信用と信頼は違う。信頼を騙る悪意は、善意と同じ見た目をしているものだよ」

「いずれアナタにも、ワタシの意味したところが理解できる。その理解を拒むようになり始めてからが、兆候だよ」

 そんな忠告を残し、沙奈はその場を後にした。


 旧校舎の窓際に隠れて聞き耳を立てていたのは、真梨だ。

「沙奈のことは、警戒しておいた方が良さそうだね」

 この時になり、真梨はようやく敵対者の存在を認知し始めていた。


 一方で、千郷は己の胸にこう言い聞かせる。

「違う……真梨がそんなことをするはずがない。仮にもし誰かが嘘をついているのだとしたら、それは沙奈のはず!」

 皮肉にも、誰よりも真梨の側にいるはずの彼女が、その本性をまるで知らなかった。一先ず、沙奈との話を終えた千郷も、その場を去ることにする。続いて、窓際で全てを盗み聞きしていた真梨も、急いで教室へと向かった。

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